〜まったり療養&リハビリしたい〜ME/CFS(慢性疲労症候群)

〜まったり療養&リハビリしたい〜ME/CFS(慢性疲労症候群)

このブログは、ももえんの療養&リハビリの様子をつづっていきます(´・ω・`)

慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)とうまくつきあえるようになりたいなぁ。

1日20時間前後、横になってる生活が、5年以上続いてます。
発症はもっと前(子供時代?)現在三十路。

30分~1時間ほど体を起こすと、めまいや動悸息切れで

動けなくなってしまい倒れ込む、を繰り返す毎日。
横になりながら、布団の中でブログ更新。

環境過敏(音・光・匂)に耐え兼ね、実家から避難→ヨレヨレ1人暮らし。

こんな私の日常をつづっていきたいと思います。

Twitter @momomikan375


ここ最近、ニャンは目まぐるしく回復していました。


オムツを嫌がるのでペットシーツの上に垂れ流すようになると、みるみる体を起こして動けるようになってきて

(そんなにオムツ嫌やったんか)


相変わらず水やエサは毎回口元に持っていかないといけないけど、ガツガツ食べるし、


日向ぼっこも好きな場所に自分で移動できてるし、そんなにはウロウロできなくても、糞尿が出たら出たよ!って報告できるし、


まだまだ大丈夫だと思ってました


ただ、長年会えていない遠方の親戚(母の姉)が危篤状態になりかけたと言われて、泊りがけで行かないとで


自分は体調もだし、ニャンの介護もあったので、行けないと言ってたのですが


母は私と一緒でないと行きたがらず
(なんでやねん)


なんとか老猫でも預かってくれるペットホテルを探して(すごく献身的で親切な所)


私もニャンも体調的にこれならなんとか行けなくはないのではということで、


思い切って預けて行って、休憩も入れつつ大きなダウンなく無事帰ってきました。


それから体を休めて翌日に迎えに行く予定でしたが、予定より早く電話がかかってきて


何だろうと思ったら「ニャンちゃんがグッタリしてますのですぐ来れるなら来てください」と言われ


預かってくれてる間は、ずっとめちゃくちゃ元気で、食欲旺盛で何でも食べて、かわいがってもらって、スタッフさんに懐いて上機嫌だったらしいが


最終日にこうなるとは誰も思ってなかったと

見たらホントに上体を起こせないほどグッタリしてて、息も絶え絶え


何があったのかわからず、とりあえず一旦帰って、お水をあげようと抱き上げたら


大きい声でニャーとひと声鳴いて、その後ガクッと大きく仰け反り、そのまま腕の中で動かなくなってしまいました


その日は日曜だったのでいつもの動物病院も開いてなくて、別の動物病院を調べて行ったら、やっぱりもう命が尽きた状態だと言われました
(診療代はいいからと言ってくれた)


目は閉じようとしても開いたまま、いつもながらとてもキレイなお目々だった。


個別火葬とか、ペットのお墓とか、やってあげられる余裕がなくて、自治体が委託してる動物霊園の合同火葬にお願いするしかなかった


終わってからは、泣いてずっと横になってグッタリしていました。


私はいつも寝てばかりで、ニャンが鳴いてもなかなか起き上がれず、生返事ばかりでずっと良い飼い主ではなかったけど、


最後にペットホテルの人達にこれでもかというほど、ナデナデしてもらって、いっぱいかわいがってもらえて、お世話されてよかったのかもしれない


16年間、お疲れ様。
自分が自宅療養生活をなんとかやってこれたのは、ニャンのおかげでもある。


ありがとう。
人生最初で最後のニャンコ。

最期の最期までそんなにも形相が変わるほど壮絶だったんだね…本当にお兄さんツラかったね。。
うん、良かった、ホントに前日にでも会いに行けてて。


死後の手続き、期限はただの目安だから、間に合いそうになかったら役所に事情話して延長してもらえないか聞いてみるといいかも



なんか難しく感じちゃうよね。。とにかく死亡届とか必要なモノさえ持っていけばあとは窓口に丸投げで(^_^;)



私も父が亡くなった時、精魂尽きて役所の手続きも行けなかったm(_ _)m
なんとか各部署に電話して必要な物と段取りを聞いた上でお母さんに代わりに行ってもらった記憶

担当者も慣れてるから流れ作業のように進めてくれるし、母にも分からなかったら電話してーって言うておけばオケ◎

だけど絶対コレは着いていかなきゃってやつもあるもんねぇ
役所って待たされるからなぁ、スキあらば長椅子で横に…

早いよねぇ四十九日も。そーそー、お返しが大変なんだよねぇ(´;ω;`)いやはやホントにお疲れさんですm(_ _)m

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うん。うん。わかる。。

いやわかるなんて軽々しく言っちゃ駄目だけど、私もお父さんの時にね、病院側の扱いがどうしても納得いかなかったんだ。。

もう手立てが無いってときに、藁をもすがる思いでこちらから望んだ新薬の治験だったわけだけど、
ガリガリのボロボロになるまで、何も食べられてないのに死ぬ間際までやらされた。

何度も状態が悪いからこのまま続けることが不安だと担当者に言ってたのに無視され続けた、点滴くらいしてほしいと言っても決まりだから出来ないと言われた。

30キロ代にまで落ちてフラフラになって、もう採血もできないほどの血管の細さになっても血を取ろうとした。

そして治験担当者の看護師の言動が不誠実なものばかりで、医師もちゃんと見てくれないし、なんで治験なんかやらせてしまったんだろうって本当に申し訳なかった



最後に倒れた時、別の救急医が「なんで医師はこんな状況で治験やらせてるんですか」って怒っていた。そこでピタリと中止された。それくらいの状況だった。そこからほぼ数日で亡くなった

泣いて泣いて、悔しくてたまらなかったけどどうしたらいいかわからなくて、半年間は自責の念に苛まれて抜け殻で動けなかった。

でもようやく動けるようになって、私もこれまでのカルテも請求して、いつ何があったか、本人、病院の覚えてる限りの言動を時系列に書き出して、経過全部まとめて(1年近くかかったと思う)

病院の苦情窓口に提出、最初はのらりくらりと対応してもらえなくて、ホンマにキレたから、「この告発書類を、治験の製薬会社や、管轄してる国にも提出しますから」って言ったら

ようやく「病院のトップがわざわざ直々に謝ってやるから来い」(こんな言い方はしてないけど、ほぼ意味はコレ)って言ってきて



やっと認めたかっていう気持ちと、
なんでしんどいのにわざわざこっちが行かなアカンねん!っていう気持ちと、
会うのが怖い(怒りでどうにかなりそう&ふざけたこと言われたらどうしよう)ってのと

いざ行くか迷ってたら、お父さんがふと「ありがとう、もういいよ、そこまで頑張ってくれて、それで充分やよ」っていう声が聞こえた気がして

なんか尻切れトンボやけど、結局、謝罪は受けなかった。でもやっぱり7回忌を終えた今もふつふつと、行けば良かったかなとも思う。。

だから豆さんには、悔いのないように、やれる範囲でやれるトコまでやってほしいと思う
すぐに動けなくても、いつかやれるときが来たら。



寒い。
春の嵐。

豆さんは、お兄さんが亡くなられたとのこと
本当にお兄ちゃんも豆さんもご両親も
長い間お疲れ様でした

特殊な難病ということで、
普通の闘病、普通の介護では無かった事が
ずっとずっと
より一層困難な状況になってしまっていたけど

皆さん精一杯やれる範囲で
お兄さんを見守っておられたと思います

かわいそうな最期だったかもしれないけど
苦しかった日々から解放されてラクになれたと思えたら、、、

色々手続きに追われてるかもしれないけど
ゆっくり休めていますように…

御冥福をお祈りします


ついに。早いなぁ。
どんどん年をとっていきますなぁ

何やってるんだろうなぁ
一生このままなのかなぁ

動きたいけど大して動けない

まめさん、しんどい時に…
ありがとゥース!
覚えててくれて感謝です。・゚・(ノ∀`)・゚・。

まめさんも次から次へと色んなことがあって
正念場だね…
本当にお疲れ様ですm(_ _)m

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いつもこのとっ散らかった独り言を読んでくださりありがとうございます(汗)

konakoさんより、ブログにいいねやコメント削除が出来ないとのこと
何でだろう?
何も設定は触っていないのですが
アメブロの不具合かな?


お気遣いありがとうございますm(_ _)m

4000年に1度と言われるあれだけ激しい地震で、命だけでも助かったことは奇跡だと思います。
高齢の親戚は金沢に避難し、若い親戚はまだ珠洲市にいるようです。

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そうですよね、ある時ふとあぁあの人はこういう風に思ってたんだなとか理解できるようになることがありますね。

いつ相手の立場になるかわからないという気持ちで接しられたら1番良いのですが、現実はなかなか素直になれなかったり理解する余裕が無かったり。。

CFSなんかは特に周囲から理解は得られにくいですよねホントに。
コロナ後遺症の事が出てきてからニュースにも頻繁に取り上げてもらえるようになり、コロナ後遺症の人がCFSに移行し診断を受けるという事例が増え、やっとある程度理解してもらえるようになったかなという印象

(最近自分が病状を説明する時もコロナ後遺症のようなものと伝えると伝わりやすいなと実感します)

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ニャンのつきっきり介護は
少し落ち着いてきました
ペット用のオムツは高いので子供用を使用。

1日3回のオムツ換え。
ニャンに手がかかる〜って言ってたら
母が「子育てって、そんなもんや」と言われ

これが私の子育てかーって
思った次第です(^_^;)








豆さん、お疲れ様です
大丈夫かな。。大変な中
ご心配ありがとう!!

なかなか書けなくて(汗)

年が明けましたが、なんか色々激しすぎて
言葉がないですね。ホントに、
なんなんだろう、衝撃の年末年始…

とりあえず前回ブログ更新以降、
ニャンが急激に調子を崩してしまい、
介護状態になってしまいました。

一時期は眼振がひどくてまっすぐ歩けず、ぐるぐる回ったり、寝返りも打てず、飲み食いもできず、眼内出血するわ、怒涛のオンパレードでした
主に脳だと思う

そのお世話で自分の時間がほとんど無く、バタバタしておりました。
それがちょっと落ち着いたかなと思った矢先に(大掃除や正月支度は何も出来ず)
能登半島地震がありました。

兄の奥さんのお父さんが能登半島の珠洲市出身でご親戚がたくさんいます。
しかも海に面していて地震と津波で完全に家がぺしゃんこに。

ライフラインが寸断された避難所生活でも、水や食料が確保できず大変困っておられるとのこと。
政府の対応が遅すぎてヤキモキします。。

もう何年分かの衝撃が一気に来たような。

世間がいつも通りにしてくれてないと、我々病人は余計に落ち着かないね。。

皆さんもどうかご無事でありますように。

豆さん、どうか最後の時を穏やかに過ごせますように。。。