フィンランドに来て驚かされたものの一つが、ベジタリアンの多さ。
学校のカフェテリアにも当たり前にベジタリアン用の料理が毎日あります。それほどこちらではベジタリアンでいることが「普通」なこと。
日本ではベジタリアンのことについてなんて考えたことがあるのかどうか覚えていないほど、わたしの意識の中には浸透していないことでした。
ベジタリアンになったきっかけにとても興味があって友達に聞いたことがありますが、彼らの理由は
動物が可哀想だから。
というシンプルで明確な答えでした。
ベジタリアンについて日本のイメージはなんとなく、かっこつけてるだけとか、変わってるとかそんな印象が強いような気がします。
わたしもそんな意識を持っていたかもしれません。
でもこっちでベジタリアンやビーガンの人たちに会って、自分の考えを改められました。
わたしは肉がどのように食卓に来ているのかもわからなかったし、考えたこともなかった。モノのように思っていたかもしれません。
それに、私一人がベジタリアンになったところで何かが変わるわけじゃない、なんても考えていました。
しかし最近は、
私が食べている肉は、出荷されるためだけに増やされ窮屈な場所で育てられている動物から来ている。そう考えたら、自然に動物に対して感謝の気持ちが出てきました。
しかしわたしはベジタリアンやビーガンになろうとは思っていません。でも、命をいただいている立場としてもっと肉の生産のプロセスや仕組み、動物たちがどのように扱われているかを知ろうと思っています。また、肉ばかりを消費するのではなく野菜を今までより多くとるようにしたいとも思っています。
こういう風に考えるようになってから、肉を買わないようにするのは難しいということに気がつきました。肉が好きだし、加工食品は安いから貧乏学生には助かるんです。でも、肉を買う前に、代わりに違うものを買おうかな、とか前には考えなかったことを考えるようになったのはいいことだと思っています。
わたしは犬や猫がだいすきで、牛や豚や鳥たちがされているような扱いを犬や猫がされていたらどうかって考えたらもちろん悲しいし怒りの気持ちまで持つかもしれません。でも、じゃあなんで牛や豚や鳥はいいのか?って考えたらすごく複雑な気持ちになります。
こういうことをじっくり考えるのも大切だなぁと感じる夜。
つらつらとまとまりがない文章になってしまったけれど。。