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3SCOREのブログ

切な情熱系メロディックパンクバンド『3SCORE』(トリプルスコア)のブログです。音楽やライブはもちろんのこと、仲間のことや徒然なる日常を描きます。気軽に絡んでくださいね(^-^)/

LAST GIGSと言えばそう
伝説のバンドBOOWYですね。



30歳を超えた俺ら世代(ってか兄貴がいる世代)はギターを持つと入門編としてNO NEW YORKをよく弾いたものです



おはこんばんちは、ゆーたです。



この前、大事なバンドの解散ライブ、
そうLAST GIGSに関わってきました。

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『THE GRAFENBERG SPOT』



通称「グレフェ」でお互いのSNSなんかにはよく登場しますね。
本当に公私ともに深い関係なんです。




ーー話は遡って約5年前の2012年。



新宿head powerというライブハウス。
GW最終日の5/6。
お客さんはおろか、バンドすらも集まりにくい日に俺らは出会いました。



当時は俺もコーも前身バンドで、
グレフェも現メンバーはBa.タイジ/Dr.アキのみ、メンバーが定まりきってなかったんだよな。
ゆってぃとあつよしもまだ加入の「加」の字もない頃だ。



お互いにライブが終わって
喫煙所でタイジ君と少し喋りながら
携帯の番号を交換した。
当時、俺は赤いG-SHOCK携帯を使っていて、そこに「丸山(The Graf spot)」と入力した。
グラフスポットてwww
多分、長くて面倒くさかったんだろうw



それにも増して面倒くさい関係がここまで続くとはあの時予想もしてなかったけどねw



彼らも地方出身、俺らもそう。
なんとなくではあるけどずっとそこから繋がりは続いてて、
前身バンドの企画にも出てもらったな。



それから暫くして、
グレフェが正式にメンバーを募集するために仮音源を作りオーディオリーフという試聴サイトに載せた。
夜になんとなしに聴いて、タイジ君にメールした。
内容は忘れたけど「ちゃんとしたメンバー見つかるといいな」的なことだったと思う。



更に暫くして(多分1年〜1年半)くらいして、ようやくメンバーも現メンバーで固まったんだよね。



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あっ、違うわwww
こっちだ。
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そう、コレ。



初ライブが横浜FADだったんだよね。
コーと見にいってさ。
で、俺らも俺らで前身バンドが終わって、もう3SCOREをやってた頃だったんだけど。



まぁ、良かったよね、あのライブ。
グレフェが大変身してたんだもん。
何かしてあげられたワケじゃないけど、
ずっと気にはなってたし。
単純に「良かったね!」って思った。



ライブが終わって
すぐに声をかけたよ、、、
「今度サンスコ企画やるから出て!」
ってw
しかもほぼ即答でオーケーだったと思う。



で、数年越しのサンスコvsグレフェが実現したのがコレ。

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あ、違う!
これは可愛い姪っ子との対バンだったラブ




コレ⇩⇩
2014年4月。
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で...




縁と言うのは不思議なもので



この数日後にはこんなライブが。




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偶然ブッキングされたメンツに
企画で対バンしたばっかの
Z150とグレフェがいて、
更に「Radio In Old Trash」と出会って。
(フォロクロもいる〜)


で、この日はTHE PORTERのヤスも来ていて、仲良くなって。



この辺の流れから、
俺らもグレフェも、NSNやらRIDGE FATと各々で対バンするようになって、
いつしか俺らの界隈では『横浜組』なんて言葉も出始めて。



それに乗じてこんなことをしてみたり。
⇩⇩
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グレフェはグレフェで
NSNとオムニバスCDを作ったり
共同企画をしたり。
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ライブハウスで会って
飲み屋で会って
家で会って
居心地良く過ごした日々だったわな。
テキドにテキトーでw



(回想シーンはこの辺でおしまい)



だいぶ割愛するけど(これでも、ね)
そんなメモリーや逸話を抱えたバンドが全6バンド。
2017年2月11日に横浜FADに再集結したわけよ。
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当日はトップのRIDGE FATから本当にグレフェ企画らしい温かい熱量に包まれてて、その熱が一度も下がることなく進んでいったな。



たぶん皆、文字通りの「あっという間」を感じたと思う。



どのバンドもグレフェのカバー曲をセトリに挟みながら、MCでも解散を惜しみつつも、「笑って帰ろう!」って。



企画においては、企画者の意図を理解しつつも、トリのバンドがやり辛くなるまでブチかますのが、バンドマンとしての礼儀だからさ。



たまんね〜空間だったなぁ〜。
R.I.O.T.のノーMCで全曲ぶっ放しとか圧巻だったもんな〜。



もちろんトリのグレフェも熱くていいライブしてた!
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感涙と感謝と笑顔に満ちたライブだった。
新旧を混じえたセトリで、懐かしさと成長の証をまざまざと見せつけてた。





正直ね
俺はバンドの解散に関しては
すごくドライなんだよ。


バンドも人。
その人が複数人居れば、複数の都合があって、複数のエゴがある。


その擦り合わせの連続の中、俺らはやってるから。


どうにもならないことがある。


別に解散は全てが
音楽性の違いとか、仲違いとかではない。


さっきも言ったけど、みんな人なんだよ。
物理的にどうしても出来ないこともあるっしょ?


やりたいこととか、やらなければいけないことが見つかったり。
最高のパフォーマンスが出来なくなれば解散がチラつくのは至極当然のこと。



だからドライ。
「あ、そうなんだ」って。





、、、って
思うしかないでしょ。




だからって、グレフェの解散が淋しくないわけじゃない。
むしろクッソ淋しいよ。


だからいつにも増してドライになってた自分がいたのも確か。
そう思おうとしていた、みたいな。
...分かるよね?この感じ。



ギタボのゆってぃは、マジで1番時間を共にしたバンド友達。
これからもそうだろうし。
ギターリペアの相談にもいつも力を貸してくれたし、
バンドで企画に出られなくてもアコースティックで参戦してくれたり。



ギターのアツヨシは、スケベでアホだけど、ギターがとにかく上手くて、ステージに立ってるサマは、いつも俺にとってのギターヒーローで。
打ち上げで時々「みんなで楽しいこと続けていきたいんスよ」とか、急に熱いことを言ってくれたり。



ベースのタイジ君は1番古くからのバンドの友達のうちの1人。
ずっとグレフェをグレフェらしく在らせ続ける為にキャッチーな曲を作ってきてて、
ゆってぃ曰く「俺の中でタイちゃんが1番のメロディメーカー」なんて。



ドラムのメガ...アキ君👓
タイジ君と同じく古くからのバンド仲間。
決してガヤガヤと前に出る方じゃないけど、飲み会でタメ口解禁をした瞬間に「あ、そう?ユータよろしくな!」って、その振り幅すら調整できないブッとんだヤツw
ラストライブのLOVEは彼と歌いました。



俺とおんなじ、もしくはそれ以上の思いを持った人たちが涙を流しながら、ライブでは大合唱してた。



「幸せもんだな」ってちょっと嫉妬したw



ゆってぃもMCで言ってたけど
「このライブは2度とない」って...。




文字通りそうなってしまった。
解散ライブは終わってしまった。



ライブ終わってから数日、
未だにバンド仲間同士、
LINEのやりとりで
「余韻が...」とか
「切ねぇ...」とか
未だに言ってる始末ですw



そうなんです!
居なくなった実感はないけど、
淋しいのですショボーン




だから



いつか



企ててやるんだ





『グレフェ 一夜限りの復活LIVE』





みんなそこそこにハゲて出てきたらみんなで笑おうw





毎度のことながら長くなりました。




まだまだ言えますけどw




ーーー




まずはグレフェ!





否、




THE GRAFENBERG SPOT




お疲れさまでした。





出会えて良かった。





そして






これからもよろしく!!





当面の目標は





「解散しなければ良かったな〜」




って言わせること、かな?




みんなが忘れないように
グレフェ、最後の作品をここに置いていきます。


①CD
LINK ONE'S WAYトレイラー


②MV
Answer





では!
ツァイチェン(再見)!!

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