オトシマエ | まつすぐな道でさみしい (改)

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ジョーサン道の正統後継者。

師匠は訳あって終身刑で服役中…

いっとくけど、超格闘技プロレスjujoの応援blogじゃないからな!

大相撲協会非公認応援blog





1997年 10月
PRIDE.1 開催


1998年4月
アントニオ猪木引退


1999年 1月
ジャイアント馬場死去

昭和のプロレスを支えた2枚看板を相次いで失ったプロレス界は、これを期に徐々その歯車を狂わせていく。



2000年
三沢光晴 全日本プロレス退団
プロレスリング ノア設立
一部選手のみを残し、全日の選手フロントほぼ全員が追従


2001年
橋本真也 新日本プロレス退団
ZERO-ONE設立
その他、大谷、高岩等が追従


2002年
武藤敬司 新日本プロレス退団
全日本プロレス移籍
その他、小島、カシン他フロント社員多数が追従

武藤退団の責任を取らされ、
長州力は現場監督解任
永島勝司 退団

後に長州も、猪木・新日に対する批判をぶちまけた末に退団

永島と共にWJプロレスを旗揚げ
その他、健介、健三等が追従


2006年
リングアナで役員のケロちゃんこと、田中秀和と共に西村修など11名が新日本プロレス退団

同年、社長の藤波辰爾 退団



まるで沈没する船から逃げ出すように分裂・離脱を繰り返し、自ら崩壊の道を辿るプロレス界と、それを踏み台に台頭する格闘技イベント。


00年代、プロレスはまるで90年代の繁栄が幻だったかのような、出口の見えない暗いトンネルを進んでいた。






2004年 4月
27歳の彼が武藤全日本の門を叩いたのは、そんな暗黒期と呼ばれた時代。


プロレスブームと騒がれる昨今だが、その実状は新日本プロレスの独り勝ち。


かつて3大メジャーと呼ばれ、暗黒の時代にひとり気を吐いていたあの緑のマットも、社長兼エースをリング上の事故で失ったことで急速にその吸引力を失い、現在は新日の二軍と言われながら何とか生き永らえている状態。


彼が専務を勤める老舗の看板も度重なるの分裂の末、後楽園ホールに見るガラガラの客席が示す通り、今また風前の灯。



今年39歳になった彼は、そのプロレスキャリアの中で、プロレスブームと呼ばれる恩恵を一度も受けていない。





デビュー以来、その恵まれ体格と潜在能力の高さからジャンボ鶴田の再来を期待されながら、今ひとつ殻を破ることが出来ずブレークすることのない彼の最大の欠点は、ジャンボ同様の常識人でプロレスラーとしての破天荒さに欠ける点だろう。


「諏訪魔、分かってるよな諏訪魔。なあ? 俺は年末が楽しみで楽しみでしょうがないんだよ。そういうことだよ。分かってるよな? それだけだ」


「おい藤田。いつも適当なことばっかり言ってんじゃねぇよ。今日は天龍さんの引退試合のリングなんだよ。俺はお前の考える総合のリングに上がる気はない! 俺は天龍さんみたいな熱いプロレスをしたいんですよ! 必ず今日の大日本みたいな試合だっていいじゃねぇかよ! まだまだ闘いたい相手がいるんでよろしくお願いします! 以上です」


今年は攻めると宣言し、他団体のリングに押し掛けてまで求めた新たなライバルとの抗争は観客の不評を買い、挙句、試合後のマイクアピールでは藤田の放つ毒の前にまともな受け身も取れず赤っ恥をかかされる。


今日の大日本みたいな試合だっていいじゃねぇかよ!  
かつてのメジャー団体も、現状はインディー団体と呼ばれる大日本プロレスの勢いには敵わないことを素直に認めるているのだろうか?


天龍さんの引退試合のリングなんだよ。
まさに常識人と言えるコメント …


客席のブーイングが一瞬止み、ま~お前は許してやろうか? そんな生温い評価はレスラーにとってなんの価値もないどころか、マイナスでしかない。


日本中のプロレスファンが注目する大舞台で赤っ恥をかかさた男は、この落とし前をどう付けるつもりなのだろうか?


もし彼が、これでプロレスファンの共感を得られたと本気で考えているようであれば、全日の未来はもう無いのかも知れない。



彼の言う天龍さんみたいな熱いプロレスとは何を指して言っているのかは分からないが、少なくとも天龍の熱いプロレスとはチョップやパンチのことではない。


天龍は団体を背負いながらも見果てぬ夢を追い続け、リスクを恐れず常に新しいことへのチャレンジを繰り返した。


そんな男の立つリングは観客の心を捕らえ、客席はその生き様に涙した。




立ち止まっていたら転ぶこともない。

でも新しい世界にも出会えない。



2015年 12月31日 8年振りの大晦日地上波ゴールデンに復活するあのイベントがどのような物になるのかは分からない。

しかし、かつてプロレスを飲み込み日本に一大ブームを巻き起こしたあの大会は、崩壊後の参加選手から流出した情報でも明らかだが、ラスベガスに進出し純然たるスポーツとしての格闘技という地位を確立したUFCとは明らかに異なる価値観で運営されていた。



最初の契約の時、ウチのリングではドーピング検査はやりませんからと、しつこく念を押すように言われた。
コレってやれってことなんだろう?


ファイトマネーにはKOボーナスという物が組み込まれており、時間切れで判定勝利するより、思いっ切り行ってKO負けした方がファイトマネーが高くなる仕組みになっていた。


ラスベガスでギャンブルの対象として大金が動くのだから当然だが、細かく階級分けされた平等な条件下で、少しでも疑わしい選手は出場すら許されない。あのリングとは明らかに違う。



細け~ことなんてどうでも良いんだよ!


 お前ら、こんなカード観たくねぇ~か?


こんな奴らが思いっ切り正面からぶつかり合ったら面白ぇ~だろ?



純粋なスポーツというより、どこかプロレス的な胡散臭さを感じさせるあの舞台は、少なくとも深夜枠に放送されるワールドプロレスリング中継よりは世間の注目を集めるだろう。



あの時代、オーナーの強権発動でなし崩しにリングに上げられ、踏み台にされたレスラー達の姿ばかりが思い起こされるが、実際にはあのリングに上がり、プロレスラーにしか出来ない闘いを魅せることで、勝敗に関係無く男を上げたレスラーも少なからず居たことは確かだ。







格闘技だからといって、別に相手の技をスカさなければならないというルールは無い。









何でも有りのリングなんだから、バッチバチのプロレスをやっても構わない。














日本中のプロレスファンが注目する大舞台で赤っ恥をかかさた男は、この落とし前をどう付けるつもりなのだろうか?