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  この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は全て架空であり、実在のものとは関係ありません。
  もし、実在の団体及び人物を連想させるようなネーミングが出て来たとしても、それは偶然似たような名前のキャラクターが登場しているだけのことです。
  関連団体及び、そのファンからのクレームは一切受け付けておりませんのでご了承下さい。








2017(平成29)年10月25日 深夜 鳥取県 某カラオケラウンジ
 
  秋の地方巡業の打ち上げ、力士がその土地の後援者と酒を酌み交わすというなんの変哲も無い光景ではあるが、そこに若干の違和感を覚えるのは、ここに幕内力士貴ノ岩(貴乃花部屋)の姿がある事だろう。



『例え巡業中であれ、土俵の上で真剣勝負を繰り広げることになる力士同士が、酒を酌み交わすなどあってはならぬ』

  とにかく頭の固いことで有名な彼の親方は馴れ合いを嫌い、この部屋の力士が他の部屋の力士と酒席を共にするなどまずあり得ないと言われるのだが、この日は彼の出身校である鳥取城北高校の関係者が、卒業生の力士らを激励しようと食事会を開いてくれるという話だったので、無下に断る訳にもいかなかったのだろう。

  この日は同校出身のモンゴル人力士照ノ富士(伊勢ヶ濱部屋)と、同校の校長兼・相撲部監督で、この日1次会が開かれたちゃんこ石浦の経営までをも手掛けるという、なんとも分かりやすい地元の名士で、アマチュア相撲界では名の知れた石浦外喜義を父に持つ 石浦(宮城野部屋)と、同校OBの他にも白鵬(宮城野部屋)鶴竜(井筒部屋)日馬富士(伊勢ヶ濱部屋)というモンゴル3横綱の姿が見て取れる。





『てめぇ~大横綱が話してるってのに、なに見てんだよ!』

  報道以来、『友達とカラオケに行って、モンゴル人留学生だと自己紹介すると慌ててリモコンを隠される』という深刻なツイートが飛び交ったのも記憶に新しいが、あの事件が発生したのは、激励会という名目で呼ばれたにも関わらず、1次会のちゃんこ石浦から2次会のカラオケラウンジに場所を移してまで延々と続く横綱 白鵬の説教がようやく一段落し、スマホの着信に目を逸らした一瞬の出来事だった。


  ここで誤解が無いように言っておくが、『モンゴル人横綱が、凶器であるカラオケのリモコンを手に暴れまわる』というのはあくまでもキャラ設定上のもので、すべてのモンゴル人がカラオケのリモコンを手にすると狂暴になる訳ではなく、ましてや土俵を降りた横綱が凶器を手に一般人に襲い掛かるようなことは対にあり得ないことなので、勘違いしないで頂きたい。

2019(平成31)年2月19日 17:40 両国国技館






『相撲は素晴らしい。全身全霊で頑張ってきた。感謝の気持ちしかない』

  この事件が最初に報道されたとき私は、どうせ伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)が詫びを入れてアッサリ手打ちになるものだろうと高を括っていたのだが、これは私に限らず殆どの相撲ファンや関係者、伊勢ヶ濱親方自身もそう信じていたに違いない。

  しかし、この後予想に反して貴乃花親方(元横綱・貴乃花)が態度を硬化させたことにより、物語は最悪の結末に向かって転がって行くのだが、これはデジャヴと表現すれば良いのだろうか?  ことの顛末を追う内、私は過去に見たことのある物語が再び繰り返されているような、不思議な既視感に駆られていくことになる。




  まずは話を整理するため、今は消滅してしまったがこのとき話題の中心にあった、貴乃花一門とは何だったのかという所から話していこう。

  大相撲でいう一門とは親方衆の派閥のようなもので、昔はこの一門単位で地方巡業を行い資金を稼いでいたようだが、この制度は現在廃止されており、現状での一門の存在意義はというと、所属力士の鍛錬を目的とした合同稽古などの他に、2年毎に行われる理事選(親方衆=年寄りの総選挙で10人の理事を選出。理事長はその10人の理事の投票で選ばれる)の候補者の選定と票まとめという政治的な側面が有り、どちらかというとこちらの権力闘争の方が重要視されるのだが、その名前からも分かるように貴乃花一門というのは元々存在したものでは無い。



『あなたは放っておいてもいずれは理事になる人だから、今回は一門の先輩方の顔を立てなさい』

  2010年 理事選挙  当時二所ノ関一門に所属していた貴乃花親は、一門内の事前調整を拒否して独自に立候補。これに阿武親方(元関脇・益荒雄)大嶽親方(元関脇・貴闘力)など、4部屋6名の年寄りが支持を表明し、貴乃花親方はこの基礎票七票の他に、二所ノ関一門ら1票・立浪一門から2票と、計10票を集めて理事に初当選するのだが、これに対し二所ノ関一門は上記の7名に対して事実上の破門を宣告、無派閥となった親方衆は貴乃花グループとして合同稽古行うなど独自の活動を始めるが、2014年 理事選挙で3期連続当選を果たした辺りで一門と認められ貴乃花一門を名乗るようになる。

  要するにこれは、大所帯の二所ノ関一門から一部のとんがった人達がクーデターを起こし勝手に独立してしまったという騒動あり、これが貴乃花一門誕生のルーツで世間一般に言われるところの第1次貴の乱だが、昔ながらのしがらみや因習を煮染めたような相撲界でこのような勝手が受け入れられるはずもなく、当然理事会の中でも貴乃花親方は孤立して行くことになるのだが、この男の攻勢は留まることを知らない。


  2016年3月 理事長選  前年11月の北の湖前理事長(元横綱・享年62歳)死去後、理事長代行を務めていた八角親方13代目理事長へと昇格するというスライド人事に異議を唱えていた貴乃花親方は、前理事長の残した任期満了のタイミングを待ち理事長選挙に持ち込む。

  この改選は八角親方貴乃花親方の2人を除く理事8人の挙手という形で行われたが、審議時間は僅か5分、6対2で八角親方の圧勝という形であっさりと幕を閉じる。しかしここで注目すべきは、この状況貴乃花に投じられた2つの票の方だろう。

  当然反対票を投じた者は反主流派として、以降最低でも次の理事長選までの2年間は冷や飯を食わされる事になるのだが、そんなことを承知で敢えて貴乃花支持に回ったのは、反八角派の急先鋒で今回貴乃花親方の推薦人となった山響親方(元前頭・巌雄)と、もう1票を投じたのはというと、意外な人物が浮上する。

  この日もう1人の貴乃花親方に票を投じた理事とは、伊勢ヶ濱親方だというのだ

  そう、あの日不始末を犯してしまった愛弟子の日馬富士を引き連れ、貴乃花部屋に詫びを入れに向かったにもかかわらず、無慈悲に門前払いを食らわされ、一言だけでも詫びをと食い下がるものの無視され、最終的に横綱 日馬富士の引退にまで追い込まれてしまうという、あの騒動のど真ん中に居た伊勢ヶ濱親方が前年の理事長選で貴乃花親方の支持に回っていたという。


  実際この二人が個人的に仲が良かったのかは定かではないが、2016年2月 理事選の出馬に際して、自身の伊勢ヶ濱一門だけでは票の足りない伊勢ヶ濱親方は、貴乃花一門から票を回してもらうことで当選し、前記の通り2016年3月 理事長選では貴乃花親方に票を投じている。



  そう、この時点まで二人は明らかな共犯関係であった。



  しかし、数少ない仲間に制裁を下してまで、男はいったい何をなそうとしていたのか?  



  そしてあの焦点の定まらぬ視線の先に、どのような未来を見据えていたのだろうか?

























1985年(昭和60) 9月2日 大阪府立臨海スポーツセンター