🚩北海道開拓・空知の歴史
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石碑に書かれている碑文を
しっかりと理解する事なんです。
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初めは何かよくわからなくても、
わかろうとすることで
見えてくる事があります。
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1回目来てわかること。
2回目来て、見えて来ること。
3回目も、
4回目も、
全部違うものが見えてくる。
その時は気づかなかったことが
だんだん見えて来るでしょう。
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わからないことを
わからないままにしないこと
です。
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誰のおかげで、
北海道民は
生きることが出来るのか。
ということを
知らないふりをするような
無慈悲な人になってはいけない。
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私の霊感は
〝努力で得たものだ〟と
説明しています。
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この土地の霊が
何て言っているのか。
神仏が何て言っているのか。
中山久蔵が何て言っているのか。
松浦武四郎が何て言っているのか。
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私が〝なるほど〟という顔をしていると
どんどん
話しかけてくるんです。
〝あーそうか〟と、
ひとつ見つけると
また
〝これはわかりますか?〟と
聞かれたり、
〝次はこれね〟と、
次の問題を教えてくれるんです。
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〝はい、わかりました〟と
〝はい、やります〟という
返事しか
私には無いのです。
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霊は
〝聞こうとする人〟に
話しかけてきますね。
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私が、生まれつきではない
〝努力の霊感〟と言っているのは
元から聞こえる訳じゃなくて
〝聞こうとする努力〟だったのです。
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どういうことかな?
何でかな?
と思っていると
聞こえてくるんです。
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長〜く、真っ直ぐな道路を
運転して帰るのですが、
囚人達の開拓してくれた道路です。
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そういえば、
思い出した。
あのお地蔵さんは
〝ありがとう〟と言っていた。
何回も。
です。
何のことを?ありがとうなのか。
よくわからないけど、
うーん。
と思うだけだったのです。
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囚人とお地蔵さんは関係ありそうですね。
あのお地蔵さんが建てられた
本当の理由や経緯の
真意が気になりますが、、、。
調べようにも、
そういう経緯なんて
文字に残っていないものなのです。
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空知まで行くことになったのは
お地蔵さんの導きですね。
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〝これを見て来て
あなたにはわかるから〟と
言われていたんですね。
理解させて頂きました。
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土地にいる霊が
安らかになりますように
生きている人に祟らぬようにと
いうのが私の役目てす。
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囚人に
〝どうしたの?〟
〝何かあったの?〟
〝そうか、そうだったんですね〟
〝それは辛かったですね〟
〝寒かったでしょうね〟
〝家に帰りたかったでしょうね〟
という会話で
祟りを解き続けます。
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この土地で採れたお米、野菜と
あんこの入ったかりんとう饅頭を買って
帰ります。
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喜ぶのは
束の間です。
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また大きな宿題が見えて来てしまった。
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占い師ヒノカミ神楽
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◾️北広島商工会ホームページより
赤毛米とは
寒地稲作発祥の地 北広島市 2023年は寒地稲作成功から150周年
明治初期、北海道の寒地では不可能とされてた米づくりは、1873年(明治6年)に中山久蔵翁が現在の島松沢(北広島市島松)で、「赤毛種」とよばれる寒さに強い稲を改良しながら、水温を一定に保つため昼夜を問わず管理し、多くの苦労を重ね、稲作に成功しました。その後、中山久蔵翁は稲作を始める開拓者に種もみを無償で配布し、全道各地に米づくりが広がりました。また、赤毛種は、明治時代に広がり、1928年(昭和3年)には神饌田(しんせんでん)に選ばれ献上されました。現在の北海道を代表する米となった「ゆめぴりか」「ななつぼし」は「赤毛種」(道立農業試験場 登録番号一)の子孫です。