安田 善次郎(やすだ ぜんじろう、天保9年10月9日〈1838年11月25日〉 - 大正10年〈1921年〉9月28日)は、富山県富山市出身の実業家。幼名は岩次郎。安田財閥の祖。



明治・大正の実業家であった金融王・安田善次郎は、安田財閥を築き、勤倹貯蓄の師として有名でした。実は、勤倹貯蓄は安田家家憲にも反映していました。
「収入の八割を以て生活し、他は貯蓄すること」
というのです。
意志が強くなければ貯蓄はできないということですが、安田善次郎の特徴として、数字にこだわりを持っていたようです。この延長線上で、住宅の購入には財産の1割以上のカネをけっして使わないなど自分なりの数字による基準値を持っていました。
いかなることあっても見分不相応の生活は断じてしないということらしいです。面白いことに、安田善次郎は日常の晩酌にも最大3合までと、量を決めていたといいます。健康のためもあったかもしれませんが、勤倹貯蓄の具体例かもしれません。
3合で酔えなくなるとしばらく禁酒します。そうすると、身体はわずかな酒量でも酔えるようになるといいます。1合で満足できないようになると2号、そして3合。また、しばらく禁酒し、再度飲み始める。こういう繰り返しだそうです。このように、勤倹貯蓄の師・安田善次郎は、晩年に当時の国家予算の8分の1にも匹敵する資産を築いたといいます。数字へのこだわりをもつことで、チリも積もれば山となったのでしょう。
だからこそ、毀誉褒貶があったものの、東京大学の安田講堂、旧安田庭園などを寄贈・遺贈した人物として名を刻むことができたかもしれません。いかがでしょうか?
施策の目標についても、「できるかぎり」というよりも、「130%を目指す」と数字を挙げたほうが、こだわりが違うように思えます。






『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』
岩崎弥太郎ではなく、安田善次郎。
今回の大河ドラマ「龍馬伝」では酷い表現もあったようで、旧三菱財閥系の人たちから不評も買っていたようですが、岩崎弥太郎はそれなりに名を残している(と思う)。
安田善次郎はどうだろうか?
もしかしたら、今となっては「安田財閥」と言われてもピンとこない人も多いかもしれない。
なぜなら、三菱や、三井、住友は名を引き継いでいる銀行もあれば、まだ冠に残している会社も多い。また、安田は企業グループ自体も他の財閥系とは異なり、「芙蓉グループ」と称されており、その中心となるべき安田銀行すら戦後、富士銀行となり、今やみずほ銀行(フィナンシャルグループ)となって「安田」の名を一切出していないことから、それも想像に難くない。
しかし、この本に転載されているが、昭和3年(1928年)末時点では、
安田 14億2700万円
三井  9億7700万円
三菱  9億1500万円
住友  8億6000万円
(『日本財閥の解剖』高橋亀吉著)
という金融資本力の状況で、金融財閥としては安田の名前が筆頭であったようだ。
そんな安田財閥を、富山の農家で生まれ、年季奉公の身から築き上げた安田善次郎、
その生涯が実に丁寧に描かれている。
著者は、富士銀行の出身である北康利氏。
安田善次郎はその不遇の最期(暴漢により刺殺)が示しているように、表面的なことだけを追っていると好印

象とはなりにくい存在かもしれない。だからこそ、こうした安田の流れを引き継いでいる著者が、こうした本を書くことは「人」には様々な側面があることから大切な視点をボクらに与えてくれているし、日本経済の歴史としても意義のあることだと思う。
本の題名となっている「陰徳を積む」。
「陰徳」だけに、本来は事実として残されるべきではないものかもしれない。
この本にも、様々な陰徳と思われる逸話があるが、ボクはそういう事実よりも、やはり安田善次郎のその精神こそが「陰徳」ではなかったかと思う。
それが端的に示されているのが、この本の帯。
金を無造作にばらまくのではなく、生かして使う。企業を支える黒子に徹するのが、銀行の役目である。
“金貸し”という蔑称があるように、金融マンはとかく世の尊敬を得にくい。彼らにすれば不満もあろうが、最近のように、事業会社よりも金融が主役のような顔をする風潮は決して好ましくない。縁の下の力持ちであることにむしろ誇りを持つことが、金融マンの志であるはずだ。(本文「空前絶後の成功者」より)
当然と言えば、当然。
しかしながら、現在の金融、銀行はどうなんだろうか。
不況をとにかく政治のせいにする風潮もあるが、もちろんそんなに単純な話ではなく、様々な要素が重なり合っているわけであるが、金融・銀行にもその大きな責任の一部があると考える。
「リスク」から逃げるだけではなく、今こそ、それを引き受ける勇気と責任が必要ではないか。
それを、自然に、しかも敢然とできること。こうした目に見えない判断と実現力こそが「陰徳」だろうと考える。
こういう時代だからこそ、生き方自体が派手な(派手に演出されている?)坂本龍馬だけではなく、安田善次郎や岩崎弥太郎、渋沢栄一などの多くの明治を生きた経済人の精神を学ぶべきではないか。
そういう意味で、多くの銀行に勤める社
員をはじめとする“金融マン”と安田の流れを引き継いでいる多くの会社の社員に読んでほしい。
もちろん、今は安田から離れた人たちにも、是非。