詩人 黒田誉喜  Blog from globe
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道しるべ

「 道しるべ 」



絶望から希望への曲がり道

最後の曲がり角がどこにあるかなんて

わからないけど


一番星と共に吹いた風が

「 もうすこしだよ 」って

教えてくれた気がした。


地平線よりもとおくに


太陽と月と星の道しるべ


あとひとつ曲がり角をまがったら

あとひとつ

あとひとつ

そう信じながら

くいしばる。


でも

曲がっても

曲がっても

ためいきを吐きたくなる風景の

連続だったりもする。



だけど

もう駄目だと

あきらめかけたとき


そっと誰かが必ず

道しるべを置いてくれる。


それは

見上げた南十字星だったり

今まさに沈む瞬間の夕陽だったり

水を懸命に飲もうとするカタツムリの姿だったりする。


絶望から希望までの曲がりくねった道を

僕は颯爽と OUT IN OUT で 駆け抜ける。


そして

駆け抜けるたび

風がひとつ吹く。


木々の向こうに揺らめく銀河の星々と共に。























.













星と僕




「 星と僕  」   

この星には風が吹く。
その風はあなたに
清々しさを与えてくれるだろう。

この星には雨が降る。
その雨はあなたに
恵みを与えてくれるだろう。

この星には森がある。
その森はあなたに
生きる意味を与えてくれるだろう。

この星には虹が架かる。
その虹はあなたに
希望を与えてくれるだろう。

この星には命がある。
その命ははあなたに
命を与えてくれるだろう。

この星の夜には
宇宙が見える。
その宇宙はあなたに
今、そこに生きている実感を与えてくれるだろう。

だけど、
この星には支配者がいる。
その支配者はあなたから
すべてを奪うだろう。

だけど、
この星には君がいる。
君は僕に
生きる歓びを与えてくれるだろう。

だから僕は
生きてゆけるのだ。














.

さよなら

    「 さ よ な ら 」



    永遠は一瞬のきらめき。


       それは

   その一瞬の間に起きた奇跡


    夢のように広い宇宙で

    君とこの星で出逢えたこと。


       だけど

   いつか必ず別れの時がやって来る。


      だからこそ今

       胸の想いを

    目の前の君に伝えたい。


    この一瞬が永遠に輝くように。

















.

電力会社と契約しない独立電源の家

「電力会社と契約しない独立電源の家 」

このコンセプトで家づくりは始まりました。

2013年4月7日に建前を行い、
2013年6月に小さな発電所が稼働し始めました。
2014年4月15日に引越ししました。

一峯建築設計の池山琢馬氏に
請負っていただき、

丹羽棟梁に建てて頂きました。

木と土壁の家です。

電力の自給システムは
エコライフラボの
オスカーバルテンシュタイン氏に
オーダーしました。

できるのか、
できないのか、

わからないままスタートした
独立電源プロジェクト。

いよいよ実際に生活が始まりました。

わりとバッテリーは余裕があります。

ただ冷蔵庫がまだ設置されていないので、
通常使用とは言えません。

家の電気使用器具の中で、
24時間、電気を使い続ける器具は、
合併浄化槽のブロアモーターと
冷蔵庫ですので、その二つが
完全稼働したら、今よりは電力使用は増えますが、
今のところ印象としては 全然大丈夫そうです。

先日 エアコンが設置されました。

夏の熱帯夜に、
エアコンを使用した時
どのくらい使えるものなのか
不安はまだまだ少し残ります。

それについては、
またご報告致します。

ここで、現在の我が家の使用電気器具を
ご紹介したいと思います。

iPhoneの充電
PCの充電
12VのLED照明
ドライヤー
洗濯機
掃除機
DVD試聴用のTV。
合併浄化槽用のブロアモーター
ガス給湯器
ガスファンヒーター
エアコン

今のところ以上です。

電子レンジは食べ物の栄養を
破壊すると聞いたので
もう前から使っていません。

雨や曇りの日でも
発電しています。

夜間に電力を使用し
減った分は
翌朝、太陽が照り始めると
すぐに補充され、満充電になっています。

バッテリーは消耗品なので、
平均的に8年間くらいで
交換が必要らしいです。

ただ、バッテリーを長持ちさせる方法を
最近、知り合いの社長さんにオススメされたので、
バッテリーが新しいうちに、試してみようと思っています。

有償ではありますが、 初期投資と考え、
結果的にバッテリーの寿命が伸びたとしたら、
バッテリー代の減費と天秤にかけた時、
僕はゴーサインだと思っています。

コストパフォーマンスとしては
今のところのザックリとした計算ですが、
バッテリーの交換も考慮しても
一生払う電気代と、トントンという予想です。

今後、考えられる電力会社の電気代を値上げや 、
バッテリーの進化を考えると トータル的に、きっと、
一生払う電気代よりも安くなると思います。

独立型太陽光発電のメリットとして大きいのは
地震などの災害で電気供給が停止しても
建物さえ倒壊しなければ、我が家は電気に困ることはない。ということです。
我が家は木組みの伝統構法で建てられているので、
大工さんに聞くところによると、 壊れるけど、倒壊はしないということでした。

補足ですが、
我が家のお風呂は
ガス給湯と薪でも炊ける五右衛門風呂の ハイブリッドです。

つまり災害時、プロパンガスの供給が停止したとしても、
水さえ用意できれば、我が家は熱い風呂に入ることが出来る設計です。

今後の課題は
水の自給と緊急時の食物の自給です。

残ったこの二つをクリアできれば
災害でライフラインが停止したとしても
我が家の生活はブレることがなくなります。

お風呂は雨水のろ過などで
なんとかなるとしても、
飲み水となると、なかなか難しそうです。

ただ先日、どんな水でも飲み水に変えるストローをネットで見つけたので、
それを購入すれば、最低限の飲み水は確保できそうです。

食料にしても、
すべて自給する必要はなく
支援物資が配給されるまでの間
しのげれば良いと考えています。

もし災害で物資の輸送がストップしたとしたら
僕がまず最初にすることは
人が殺到する中、スーパーに並ぶことだと考えました。
それでも、食べ物が手に入れば運が良いと思います。

救援物資が届くまでの間
家族が飢え死にしない程度の規模で
畑をしたいとも思っています。

ただ、今後起こるかもしれない
東南海地震の問題点としてよく聞くのが、
被害範囲が広すぎて、過去の地震と比べ、
救援までの期間が長くなるということです。

ですので、自分と家族の身は
家長である僕が守らなければならない、
という想いが、そもそものコンセプトのひとつでした。

先述しましたが、
水と食糧の確保が今後の課題です。

それも楽しみながらやっていこうと思っています。

最後に、もうひとつのコンセプトについて ご説明させて下さい。

それは、脱原発を進めることです。

多くの人は
原発は嫌だけど、
無ければ電気に困る
と思っていると聞きます。

僕は現時点でもそんなことはないと確信しているのですが、

原発事故直後、
原発を容認、または推進したいと考える人たちとたくさん話をする中、
ちっともお互いが歩み寄ることはありませんでした。

言葉で伝えてもダメ。

想いを、詩に託しても変わらない。

だったら生活で示そう!

僕はそう思いました。

電気の自給を実現し、
かつ、コストパフォーマンス的にも
得をして、さらに、
災害にも強い家を作り、
僕たちの生活が素敵だったとしとら、

きっと徐々に、市民の

電気は買うもの。
という常識は覆され、

電気は作るもの。
という新しい常識が根づき、

みんなが
原発は嫌だけど
電気が足りなくなるのならしょうがない。
と容認することを止めて、

市民レベルでの原発の必要性は
意味を失うと考えました。

僕たちの電気の自給が成功すれば

一軒だった独立電源の家は

きっと二軒、三軒と増えて行くと思います。

電力会社と契約しない独立電源の家は

脱原発活動でもあります。

僕が世界へ放つ
生活というメッセージです。

ようやく
スタートラインに立てました。

ここから先は
のんびり楽しみながら歩いていきます。

反対!反対!というスタンスから

生活を楽しみ、ものづくりを楽しみ、

良いと思うものを、選んでいく。
というスタイル。

そして、それを見た人が、
共感してくれて、
その人の意志で、選んでいく。

そして

その輪が広がっていけば、

きっと世界は変わるはず。

僕はそう信じています。

かなり長くなってしまいましたが、

最後まで読んで頂き
感謝します。

ありがとうございます。

またご報告させて頂きますので

お付き合いのほど
よろしくたのんます♪

ぜんぶタダだったら人はFreeになる。

「ぜんぶタダだったら、
       人はFreeになる。」

みんな全部タダだったら
どんな世界になる?

お金というシステムが
完全に消失したら
どんな世界になる?

想像してみよう。

まず僕は車屋だから、
車を直すことが好きな人が
タダで車を直す。

部品仕入れもタダ
だからお客さんから何も貰わない。

貰うのは、

「 ありがとう 」の想い。

部品は部品を作るのが好きな人からもらい、

部品を作る人は、
材料を作る人からタダでもらい、

材料を作る人は
材料を採掘するのが好きな人からタダでもらう。

でも困らない。

食べ物は食べ物を作りたい人から
タダで貰えるし、
服も服を作りたい人から
タダでもらえる。

家もタダで建ててもらえるから。

ただ、多くの職業は自然淘汰されていくと思う。

人々は本当にしたいことをする
世の中になる。

好きなことを
ただ人の為に
行う世界。

give and give.


まずなくなるのが、
風俗業。

銀行業。

保険業。

武器製造業は無くなると信じたいな。

その他にもいっぱい職業はなくなると思う。

不動産屋さんも形を変える。

大抵のことは、
きっと自分でやるようになる。

手作り感、満載の世界になるね。

戦争もやってる暇もないほど、
自由に生きるために忙しくなるよ。

ね?

お金というシステムが
如何に僕たちを縛っているか
わかるよね?

でも、今の世界は、
あまりにも、自分さえ良かったらいいって人が多いから、

今すぐお金システムが消失したら、
スーパーマーケットで、
貰いに行くのが面倒だからと言って、必要以上に独り占めする人が多いだろうなぁ。

宝石店などにも
人が殺到しそう。

高級車ディーラーにも人が押し寄せるだろうなぁ。

だから、
きっと
お金のない世界は、
まだまだ先の話。

でも、人の心が変われば、
今すぐにでも叶う世界。

もし、今すぐそんな世界になったら
僕は何をするのかっだって?


僕は車屋の傍ら
詩を書くよ。


今の仕事は本当にしたい仕事ですか?













.

ながれ

   「 ながれ 」

ぼくらが はじめて 
火をつかいはじめたころ
   
   
ぼくらは しぜんを くちにした。

   
おとうさんは 
石のやりを もってでかけた。
   
   
おとうさんは 
石のやりで さされてしんだ。

     
ぼくは とても かなしかった。

   
   
ぼくらが はじめて 
鉄をつかいはじめたころ
      
      
ぼくらは しぜんを くちにした。

    
おとうさんは 
鉄のやりを もってでかけた。
    
   
おとうさんは 
鉄のやりで さされてしんだ。

      
ぼくは とても かなしかった。


     
ぼくらが はじめて 
油をつかいはじめたころ
     
    
ぼくらは まだ 
しぜんを くちにできた。

    
おとうさんは 
ライフルを もってでかけた。
    
    
おとうさんは 
ライフルで うたれてしんだ。

       
ぼくは とても かなしかった。


   
ぼくらが はじめて 
ウランをつかいはじめたころ。
      
       
ぼくらは しぜんを 加工した。

     
おとうさんは 
もうでかけなかった。
   
    
でも おとうさんは 
ミサイルにあたってしんだ。

     
とおくのまちでは 
敵という名の
         
        
たくさんのトモダチがやけしんだ。


     
ぼくらは 
この青くかがやくほしのうえで 

              
まだ

           
ころしあっている。

  

     
ぼくは もう 
かなしさすら わすれた。












.

とおいひかり




 「 とおいひかり 」

とおいひかりが
このむねにとどくとき

ゆめのおとが
まっしろなせいじゃくに
ひびきだす。

つきのいろにもにた
かぜのにおい

みずのいろにもにた
きみのひとみ

とおいひかりのむこうがわ

ぼくのまんなかとつながっている

いちばんぼしにむかうたび

にじのしゅくふくにはげまされ

ぼくはちからづよく
いっぽをふみだすのだ。

とおいひかりがうまれるところ

ぼくのおもいがうまれるところ

きみとぼくがであったところ

         くろだたかき

宇宙の話


「 宇宙の話 」

さて、僕がインドで見た宇宙について、少し話をしよう。

正確に言えば、
見た。というより、
感じた。と言った方が、
より近い表現かもしれない。

僕は、ガンジスの畔のゲストハウスのベッドの上で、

手の平を眺めていたんだ。

とにかく、思考に耽る時間は飽和するほどあった。


手の平を見つめながら、
僕は考えたんだ。

僕の肉体は何で出来てるのかな?って。

水、
タンパク質、
アミノ酸、
原子、
分子、

思いつくものは少なかったけど、少なくともすべて地球上にある物質で出来ている。ということはわかった。


そっか。僕は地球上にある物質で出来てるんだ。と思った。

地球上にある物質で出来ているということは、
言い換えれば、

僕も地球だ。

地球ってどこにあるんだろう?

地球は太陽系第三惑星だから、

太陽系の一部。

言い換えれば、
僕は太陽系だ。

太陽系は銀河系の属している。

その瞬間、
自分が宇宙の一部であり、
宇宙そのものなんだと、
気づいた。


つまり、
どういうことかというと、

僕と君との間には、
隔たりがないってことなんだ。

僕の皮膚と君の皮膚の間には、
空気がある。

でも、僕の皮膚も、
君の皮膚も、空気も、
分解できるだけ分解していくと、

分子になり、
原子になり、
素粒子になるんだ。

すべての物質は、
その繋がり方や、
繋がる為の個数の違いで、
個性を構成しているにすぎないんだ。

だから、つまり、
最小レベルまで紐解けば、

僕と君の間に、隔たりはなく、

すべては、宇宙において、

繋がっている。
ということなんだ。

そう、

すべてはひとつなんだ。


黒田誉喜













.















ヨイトマケ

photo:01



伝統建築体験会「ヨイトマケ」のお知らせ。

きたる7月28日、
日曜日、朝8:00から、
四日市市山城町にて、
黒田邸ハナレのヨイトマケを行います。
ヨイトマケとは、
三本の木で櫓を組み、
滑車で木製の重りを、
数え唄を歌いながら、
人力で吊り上げ、
手を離して、地面を搗き、
地固めをする基礎作りの作業のことです。

数十年前までは、当たり前だった工法です。
現在の日本において、ヨイトマケで家屋を建てることのできる大工さんは、極めて貴重な存在ですし、実際にヨイトマケを体験できる機会も皆無に近いほど激減しています。

「石場建て」の素敵な「ハナレ」作りに是非ご協力お願い致します。ご興味のある方は是非体感しに来て下さい。途中からの参加も、途中退場も、自由ですので、来れるタイミングで気軽に遊びに来て下さい。

あと、汚れても大丈夫な服装でお願いします。細やかながら、食事も御用意させて頂きます。

あと、来て頂ける方は、
帽子などの暑さ対策をなさって下さい。

建築現場ということもあり、
少なからず危険な場所ですので、
小さなお子さんをお連れの方は、
充分ご注意下さい。

詳細ご希望の方はお気軽にご連絡下さいませ。

施主 黒田誉喜

想い出の中のバラナシ


ムスリムとヒンドゥーが聖地をシェアする街、バラナシに到着したのは、新しい朝が始まる数時間前だったと記憶している。

薄暗く蒸し暑いバス停にポカラから辿り着き、黄色と黒のオートリクシャーに乗り込んで、
埃と排ガスが入り混じるゴードリヤーの交差点付近で降りた。

夜明け前にもかかわらず、屋台や路地の店などは、煌々と裸電球の光を灯していて、

チャイが沸き立つ湯気や、
チャパティを焼く芳ばしい匂いの他に、
何か熱気のようなものが路地全体、いや、
街全体に立ち込めているように感じた。

宿探しが、新天地到着後の恒例だった。
昂揚感が冷静さをいささか失わせて、
悪戯に迷路のような路地を歩き回る。

大体いつも、宿を決める際、綺麗さとか、
利便性とかではなく、肩に食い込むバックパックの重さに耐えられず、僕の肩が音を上げるかどうかが決め手だった。

カルカッタのサルベーションアーミーも、
ダージリンのタワービューホテルも、
御多分に洩れず、「もうここでいいや。」という退廃的な決め方だったが、
結果、その投槍加減がその後の出会いを大きく左右することになった。

ジョンさんとの出会い、きんちゃんとの再会。
諦めが時に幸運を齎すこともあるのだ。

ヒマラヤの街ポカラからバラナシに到着したこの時も自分の肩にお伺いを立て、もう耐えきれないという予定調和な返事だったので、適当に目の前のホテルを選んだ。

取り敢えず荷物の置き賃の30ルピーを支払い、再び路地に出た。どこかのアシュラムから安っぽいテープレコーダーの祈りが聞こえてくる。

人がすれ違えるほどの路地は、
まるで混沌の洞窟みたいだった。

すれ違うインド人独特の褐色肌と皺が裸電球に照らされ、より一層陰翳を強めていた。

もしメキシカンクベンシスを摂取した20分くらい後だったら、さぞかしスペクタクルな光景だったに違いない。

無機質に折れた路地を進み、
幾何学な交差点を曲がる。

どこまでも続く迷路のような路地のゴールはガンジスだった。

僕はこの時の光景を一生忘れない。

薄い靄の向こうに骨白な対岸が辛うじて見える。深い黒色だった空が地平から徐々にグラデーションを浮かべ始める。
僕はその光の中心から目が離せなかった。

太陽が昇ってくる。

いや、太陽が湧いてくるといった方が、
あの時の光景に近い表現かもしれない。

僕はガンジスの向こう側にクツクツと湧き上がるバイブレィションに動きを失った。

これは僕の人生において、
とても特別な瞬間なんだと自覚していた。

この日を選んでバラナシに到着したのも、
自分の肩の都合でホテルに入ったのも、
好奇心に任せて路地を歩き回ったのも、

すべては、この瞬間に立ち会うために必要なタイムロスだったのだと今でも思っている。

バラナシ。

生と死のすれ違う、現実と幻影が行き交う街。

飽和した自由の果てに、

この後、僕はさらにインドの深みへと沈んでいくことになる。
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