先日、今年も無事に誕生日を迎えることができた。

年を重ねるごとに誕生日のありがたみが薄れていくと思っていた。

 

何か周りから祝ってもらえたりプレゼントをいただけるわけでもないから。

 

今年の誕生日は今までと違った感情になったのでこれが近頃のネガティブ思考

が故の一時的な気持ちの揺らぎかどうかは現時点では断言できないため

ここに文字で書き残しておこうと思う。

 

他人にそこまで興味がなく他社のことをある種排他的に捉え、避けたぶ分

今年も今年とて誰かに祝われるわけでもなくただ1/365の1日が淡々と過ぎていったことに違いはない

ことは最初に記しておこう。

 

今年の誕生日の話の途中ではあるが、近頃の自分の精神状態をいうのだろうか

気の持ちようをまとめてみる。

 

ネガティヴで無気力

 

とある、友人に言われてその感情がさらに肥大して生まれて初めて自傷行為が現実的に

目の前まで現れたのだ。

 

その言われた言葉とは、

 

・死んでほしいと思う

・あなたは人間として終わっている

・あなたの意見や考えはどうでもいい

 

この3つである。

 

元よりネガティヴだった私にはひどくきつい言葉であり

そう言われる原因が私のミスや不注意だったとしても

その事実に正直言って向き合えるような心を持ち合わせていなかったのである。

 

それからというものの今に至るまで

自分から何か提案や誘いをしようと思ってもその提案や誘いは

その相手にとっては不要なものである。ありがた迷惑だ。

と、考えてしまい何も言い出せず今までよりもさらに受け身な言動となっている

提案などのプラス的なものだけでなく、提案を拒否するようなことにいたっても

自分の意見など間違っているとしか思えないため与えられたり提案されるものに対してそこには

拒否権など存在しないのだ。

 

何をどこまでどのように書いたらいいのかわからなくなってきたので

今日のところは誕生日について書いて終わりとする。

 

また、日々のネガティヴな自問自答については気が向いたときに整理がてら文字として

書き記しておくことにしよう。

 

本題だけれど、

 

近頃の私は原因が自分にあろうがなかろうが

周りの環境(人)から否定的な意見や罵りを受けることが大半の生活を過ごしているため

誕生日を迎え歳をまた1つ重ねて人からは「おめでとう」と言ってもらえる日

(もちろんそんな相手ほぼいないのだけれども)
なのだが、こんな私がまた1つ歳を重ねるということはそういった否定的なことを言われ続け1年を過ごした(1つ歳を重ねた)

わけなので何1つとしてめでたいとこはない

むしろ上に書いた友人に言われたような人間が重ねる歳とは

子供が日々成長をしできること、話せる言葉が増えまたつ大人の階段を上るとでもいうようなめでたさもなければ

自分が満足できたり笑顔で日々安心することのできるコミュニティの一員として祝福されるわけでもないのだから

 

何もめでたくないのだ。

 

あえて文字にするのだとしたら

 

「また1つ死に近づいた」

 

 

この言い方が正しいのかもしれない。