あけましておめでとうございます。

久しぶりにブログです。

 

 

昨年秋から、アルバイトしてるのですが、

その仕事先は、若い子が中心です。主に20代。

私みたいな経験者と、数人の社員が、現場を回します。

 

若い子は、大学生もいます。

現役学生のバイトや、今の時期だと、就職が決まった後のバイトなど、

特にこの業界を目指しているわけではないアルバイトさん達。

 

彼らは、失敗しても辞めればいいや、って程度の気概なので、

大体、まともに仕事しません。

社員たちも、力仕事や人海戦術用の人員として扱います。

ちゃんと仕事してる人間にとっては、ストレスの塊なんですけども。

最初はね。

 

慣れてくると、そのうち、流れもわかってくるので、

小さい事でもやれば役に立つ→周りになじみ始める→人間関係上責任感が多少生まれる、

という感じになります。

誰にでもできる力仕事から、ホールに出て接客の手伝いもできるようになると、

仕事が面白くなっていくようで、

あんなにやれない子が、だんだん顔つきが変わってきます。

見てて面白いです。

 

 

ただ、どうやってもできない子もいる。

 

 

ある子の話。

コーラをサービスしてもらった時。

コーラは瓶で出します。氷が入ったグラスに、席で注いで出す。

その、瓶の口とグラスの縁をくっつけて注ぐんですよ。

絶対やっちゃいけません。グラスの縁が欠けるので危険です。

後に連れて行って注意すると、

「だって、コーラは注ぎにくいじゃないか」

 

 

「うん、注ぎにくいよ?」

「炭酸がぶわーってなるじゃないですか」

「なるよ、コーラだもん」

「瓶の口をつけずに注げないでしょ!?」

…………。

「みんなできるよ、できないのは君だけ」

「なんでダメなの?」

…………。

「瓶の口とグラスの口が触れるとグラスが割れるから。お客様がけがしたらどうするの」

「僕はそっとやるから、割ったりしない」

 

 

何をかいわんや。

 

 

同じ子が、

テーブルナプキンを、全部裏表逆に折ってしまった。

「裏表逆だよ!」

というと、

「どっちでも変わらないじゃん!」

 

生ビール2つを、違うグラスで出したこともある。

「なんで違うグラスなの!?」

 

「同じだよ!?」

(違うグラスが混ざってるのがそもそもミスなんだけど)

 

 

 

この子はなんで、ここで仕事したいと思ったのかな?

 

 

 

同じ頃に入って、やる気も出て、だんだんできる事が増えた子も多いのに、

この子はいつまでもできないまま。

見てると、仕事も、一人ではできない。

「誰かと一緒」にやる。

仕事の基本は、「同じことを二人でやらない」なんですが、

何度言っても、一人ぼっちで仕事をしたくないらしい。

「遊びの延長」「お友達と楽しく遊んでるだけ」と解釈するには、

この子だけ、極端にできない。

(ついてこられる子が少し迷惑がってるような時も見受けられる)

 

不思議なのは、こういう子に限って、「できていない」事に気づかない。

同じころに入った子と、自分も同じようにできている、と思っているらしい。

 

 

グラスが違うのを「同じだよ!」と主張した時も、

「いや、違うよww」って同期の子に笑われ。

そのことを恥じる事もなく。

 

 

この子の1か月後に、1個上の子が入ってきて、

その子も、最初は同じようにだらだらやってたけど、今ではすっかり裏の事がわかるようになって、ゴミ出しも掃除も片付けも、言われる前にやれる。私の作業のあとも「片付けておきますから」って手伝ってくれる。

この二人が話してる所で、おやつを食べてた事がある。

 

出来ない子「俺、単位落とした、授業出てない」

出来る子「学校行けよ」

出来ない子「卒業できないかも」

出来る子「いや、できないよ、こんなとこにいないで学校行けよ」

 

出来ない子は、そういう話をヘラヘラしながら話してる。

多分、周りの友達も、同じようにヘラヘラ話してるんだろう。

出来る子も、そんな風にヘラヘラしてたんだろう。

でも、そういいながらも、出来る子は、どこかでちゃんとやって、帳尻合わせる。

出来ない子は、周りの見えない努力が見えないまま、差が開いていくのに気づかない。

ずっと横並びと思ってる。

 

とっくに差がついてることに、いつ気づくんだろうなあ、この子。

 

と、思いながら、おやつもぐもぐしてた私。

 

 

まあ、仕事に限らす、こういう子は空気が読めてないので、

友達からも疎んじられていくのかな、と。

そして、若い子に限らず、仕事で空気が読めない人は、

大体、出来てる顔してできなくて、周りに迷惑をかけてることにも気づかない。

(若い子じゃないけど、仕事でトラブル起こして最近辞めた人もいます)

 

 

 

 

赤ちゃんみたいな若い子。

社会人として仕事をするには、まだ無理。

外でお金稼がないで、お母さんにお小遣いもらってね。

 

 

 

個人的意見として、
「表現の自由」というのは、「表現(や情報)を受け取る側の自由」つまり「様々な物の中から好きに選べる自由」であって、表現する側が何やってもいい自由、ではないと思っている。
戦時中に国家によって情報が統制検閲されたのが、そのきっかけなわけで、そのせいで、今回の中止決定は「国家による表現の自由の侵害」だと言われる。そこに脅迫だの暴力だの、それに対するアーティスト側の反撃だので、さらに問題がややこしくなってる気がする。

 

 

私は、商業作家としての経歴が少なからずあるんだけれど、
自分の作品が「好きなように描けた」ことは一度もない。
商売である以上、出版社に選んでもらわなければならず、出版社は読者に選んでもらえる作品を雑誌に載せなければならない。お金儲けをしなければならないからだ。
それは、資本主義社会では、当たり前のルールだ。
その中で、私は表現者として「読者が読みたい範囲」でしか自由に描けない。お金を払って表現を受け取る人に、満足を与えるためには、自分に制限をかけるのは当然だと思う。

「表現の不自由展」は税金で開催された展示会だ。税金で開催されるからといって国が口出しするのは規制云々、という議論に、ずっともにょっていた。

 

 

展覧会に使われている税金は、国の財産じゃない。
私が払ってる「入場料」じゃないの?
愛知まで見に行くつもりもない展示会に、私は強制的に入場料を払わされている、って事じゃないの?

国が費用を出しているから偏った作品を展示してはいけないとか、いやそれは表現の自由を保障した憲法違反だとか、そんな難しい話じゃなく、
お金払って見に行く展覧会なら払った人が満足するものにしなきゃならない、でも払いたくない人にも払わせているから難しい、って問題じゃないのか。

 

 

これが、アーティスト自身がお金で場所を借りて、入場料も取る展示会なら、何やってもいい。見に行く方も、見たことがない価値を、情報を、表現を、お金を払ってでも受け取りたいと思って見るから。
もしこれを国が規制するとしたら、それこそが「表現の自由の侵害」だ。

 

 

税金で開催する展示会が、表現者と客の金で開く展示会より規制が多いのは、当たり前じゃないのか。
出品するアーティストは謝礼を貰ってなくても、前売りで入場料を貰ってる展示会に出す以上、そこは見る方の満足を考慮しなきゃならないでしょ?
知らないうちに入場料を取られてるんだから、もったいないから見に行く、となって、こんなつまらないものにお金払うくらいなら他の展示会にお金払うわ、入場料返してよ、と言ったら、返してくれるのか?

 

 

そういう意味では、ここには「表現を受け取る側の自由」はない、と私は感じている。

 

 

 

 

心理検査と言うものをご存じだろうか。

 

いや、ご存知な人も多いでしょう。

→以下参照

http://cocorono.jp/test.html

 

 

それで、「自閉症スペクトラムの所見と一致」と出たんですね。

 

人生後半戦に差し掛かろうとしているのに、今さらコミュニケーション障害と言われてもなあ……。

 

こういう検査をすると、誰だって大なり小なり

発達障害のなんかしらが出るらしいし、

特に私は目が悪いので、

そのせいで答えられない検査の種目がいくつかあって、

それが極端にできない、という点数になり、

こういう事になったんでしょう、との先生のお話。

 

人と話をしていてかみ合わない、ということはよくあるし、

「変わってる人」とはよく言われる。

それと、人に言われた事を極端に気にして、そこから抜け出せなくなり、

もう仕事は次に進んでいるのに、気持ちが進まない、という所で、

すごく困ることがある。

落ち込んだまま浮上できない、ってやつ。

 

えっ、みんなそうじゃないの?

って思ってたんですけど。

ええ、私だけなの?

 

↑多分ココ。

 

占いじゃないので、信じる信じないじゃないのだ。


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私が嫌いなワードに、

「コミュ障」というのがある。

正確に言うと、「コミュ障だから愛想悪くてもいいでしょ」

ってやつ。

 

「アスペルガーだから対人関係がうまくいかないのは許される」

というのを自分の個性として発信する人。

 

許されねえよ、と思っている。

少なくても私は、許さねえよ?と思っている。

 

コミュニケーションが苦手だから対人関係が苦手、

というのは個性だけど、

だからって対人関係を雑にしても許されるかどうかは、目の前の人との関係次第なのだ。

その関係を作る努力までサボれるほど、世の中優しくない。

少なくとも、私は嫌いだ。

迷惑なものは迷惑だ。

 

苦手なら苦手なりに、うまくいく方法やパターンを考えるべきだし、

それがどんなに個性的なものでも、「あの人はああいう人だから」と受け入れてもらえる状況を積極的に自分の回りに作ることは、

他のコミュ障の人が生きやすくなるきっかけにもなる。

 

例えば、

何言っても返事をしない、挨拶もしないし笑いもしないし、

それを「自分はコミュ障だから」と仏頂面で言う

そんな奴と一緒に仕事をしたいか。

私は一緒に仕事したくないぞ。

 

アスペルガーだから、自閉症スペクトラム障害だから、

それを対人関係に努力しないいいわけにする人間が嫌いだ。

そんないいわけなんかなくても、

対人関係はみんな難しいと思ってるのだ。

 

対人関係に努力するのは、社会性を持つ人間のマナーじゃないの?

 

(↑こういう所だろうねえ)