また八アヤには三兄弟ハタレ「三つ狐」も登場します。この三兄弟のハタレは奈良県十津川村にある「玉置神社神社」の地の神である「三柱稲荷」として祀られています。

三つ狐たちの率いるハタレ魔たちの大好物は揚げ鼠(ねずみ)です。そして食べているところをショウガとミョウガのいぶした煙で捕らえたのです。

三兄弟は命乞いをして許され、荷田(かだ)の神=(ウケノミタマ神、保食(ウケモチ)神)の家来になりました。荷田の神は京都あたりの農地改革のトップの責任者です。

長男のハタレは伊勢の山田(現在の伊雑宮の近辺ではないかと思われる)に、次男は京都の伏見稲荷大社に、三男は奈良の明日香野当たりへ行き、それぞれの土地の田畑の害鳥を追う仕事をしました。

お陰で稲は豊作!

このように、ネジ曲がってしまったハタレたちに対して、武力で返さず好物を与え、神の息吹で妖術を封印しました。

そしてなんとこの八アヤには更に驚くべきことが書かれていました!

死刑執行長官ともいう役職の「クマノクスヒ」が、ハタレ魔たちに「真写(まふつ)の鏡」に映った自分たちの姿を確認させます。

つまり、ハタレの魂魄(たましい)を鏡に姿を映して、自分で自分のねじ曲がった姿を見させたのです。そこに映し出された姿は化け物の姿だったので、クマノクスヒがハタレたち皆を斬ろうとした時です!

クマノクスヒが熊野神に祈ると、八羽の烏(カラス)がやってきました。

熊野神とは「イサナミ」です!
八咫烏はイサナミの化身です!

ここには書かれていませんが、きっとイサナミならばこのようにおっしゃったでしょう。

「クスヒよ、その者たちは確かに人の心を忘れてしまった者たちだ。
しかし天照大御神も弟である素戔嗚尊の穢れた心を理解され、罪を言い渡すことはできなかったのです。

それがなぜか分かりますか?

天照大御神も人の子、我が身内の死罪を言い渡すことなど出来なくて、岩戸の中に籠って悩んでしまわれました。(これが本当の天の岩戸のお話しの真相です。)

もし天の罪(天津罪)を犯された素戔嗚尊を許したら、民たちの罪を裁けなくなります。身内を許した天皇(アマキミ)が民を罰せますか?

しかし天照大御神は天と地をつなぐ天皇(アマキミ)です。民たちを正しい道へ導かねばならない御身分です。
裁くことに必要なことは平等です。立場上、情で判断が迷うことはあってはなりません。しかし天照大御神は悩んでしまわれ、ついに心が病んでしまわれました。

その代行を天照大御神内宮の「ホノコ」(セオリツヒメ)が見事に成され、素戔嗚尊の罪を一つ減らして下さる「死人をよみがえらせる術」を行いました。これにより、素戔嗚尊は人殺しという罪は無くなりました。

ホノコはタカミムスビの一族。この天照大御神を想う妻としてのお心が天に通じたのです。

天から死人を生き返らせる術を許されて、一度だけお使いになられました。

あの時と同じように、今回のハタレ魔たちを殺してしまえば、ホノコが行った術の意味も無くなり、なぜ素戔嗚尊を死罪にしなかったのかと民たちに問われ、国はこの先も乱れるでしょう。

ですからこうしなさい。

この二見の海(二見が浦)は特別な浄化の力があります。以前ホノコが、万人がいつでも自らの姿を映し出せるようにと提案されて置かれた場所であります。

この二見の磁場は特別な浄化システムが行き渡っている場所なのです。」

まさにハタレを殺そうとする場面でイサナミの霊体がやってきて、クマノクスヒに教えてくださったのだと私は解釈します。

そしてクマノクスヒに良き案が浮かぶのです。

その案とは、二見が浦にハタレたちを連れて行き、その海の潮を浴びさせました。
潮を浴びた後の影を真写(まふつ)の鏡で写し、人の姿である者はみんな助けて役目を与えて働いてもらうようにしました。

命を助けられた者たちはクマノスクヒと天照大御神に非常に感謝し、国のために一生懸命働いたのです。

ただし、先ほど書いたように、三つ狐たちは、いくら潮を浴びても「キツネ」のしっぽ付き、全身の影は狐でしたので、これは仕方がないといい、クマノクスヒは改心不能として殺そうとしたのですが・・・

助けてあげてくれと七度誓ったのが荷田(かだ)の神です。こうして三つ狐たちは荷田の神に預けられました。三つ狐たちは荷田の神に一生の恩を感じ、命を捧げる覚悟でお仕えをしたのは言うまでもありませんよね。

こうして農業改革長官の荷田の神は、稲を守る稲荷神社の狐さんにされてしまったのです。ああ、情けない・・・

狐さんはハタレさんたちなのに、ここでも荷田の神が封印!

さらに言えば、熊野神である「イサナミ」さんも封印。
そして死刑執行長官のような大切なお役目である「クマノクスヒ」(熊野久須毘命)も、熊野三社の中でもお名前を隠されてしまいました。(「クマノフスミ」として出てきますが、二音違います)

ですから、日本国内の祓いのシステムが狂ってしまっているのです。

人の心がケモノになってしまったような残虐な事件を聞くたびに、日本の過去の時間を止めてしまったことと深い関わりがあると思います。

昨日、「アリスワンダーランド 時間の旅」という映画を観てきました。

(最高の映画です!絶対見るべし!もちどん3Dでね!)

この映画の中に古代からある「フトマニ」(宇宙の構図)である時間の中心が出てきました。

「過去は決して変えられないけど、そこから学び取ることは出来る」

「過去の時間を止めては行けない。そんなことをしたら今も未来も止まってしまう。」

このセリフは、まさに過去の高度な精神性を封印したら、現在も未来も止まる、つまり成長はない、という作者からの強いメッセージのような気がします。

縄文~弥生時代は、かなり高度な文明を持っていた時代でした。

この時代に暦が出来き、六十の種類の暦の数え方が出来たのです。もちろん陰陽五行思想は日本からです!

十二という区切り単位も、決して動物の「子・丑・寅・・・・・」ではなく、ちゃんとした「をして」で構成された古代文字と「音」で表していました。十二支という動物に充ててしまったのは昔の「支那国(今の中華人民共和国)です。

そのときに陰陽思想も支那から世界に広まったなどという特異な泥棒精神で嘘を本当のことのように塗り替えてしまったのです。(この件はまた説明すると長くなるのでやめます)

さて話を戻すと・・・

映画では、過去から学び取った高度な豊かな精神性、つまり「他者のためにすること」=大乗(だいじょう)の心で現在に戻ってきたアリスは、起こって欲しくなかった現在の結果を見事に変えたのです。

そして未来もある!

という内容でした。

今、まさに世界が問われています。
武力は武力で返すべきではないことを。

日本の過去の精神性を、祓ゑ祝詞を正しい配列で正しい音で祈りを届ければ、必ず過去の神々へと通じる道が出来る。

その道は必ず現在を変え、未来は開かれることでしょう。

誰か一人でもいいのだと思います。
音はこだまします。