生きる」 齋藤貫太

生きているということ
いま生きているということ
それは朝早起きをするということ
それは朝ごはんを食べるということ
それはくしゃみをするということ

生きているということ
いま生きているということ
それは太陽

それは富士山
それは自然
それは海
すべての美しいものに出会うということ

生きているということ
いま生きているということ

それは嬉しい
それは明るい
それは起こる
それは笑顔

生きているということ

いま生きているということ
いまどこかで大声で叫ぶということ
いまどこかで好きな事をみつけるということ
いまどこかで産声をあげるということ
いまどこかで鳥肌が立っているということ
いまどこかで感動して涙がでているということ














この詩は、障害者に少しでも元気になるようにと、この詩を書きました

僕は、家族、アキラさんいろんな人に支えられてここまできた、本当に感謝する「ありがとうございます」


====


沖縄のAKIRAライブで出会った貫太くん
この詩はいまから2年前に書いたものでしょうか

だから中学一年生の時になるのかしら
(もしかしたらもっと前のものかもしれないけど)


この日彼の口から生で聴いたこの詩


生きているということ
いま生きているということ

早起きをしたり
朝ごはんを食べたり
くしゃみをしたり
美しいものを見たり
大声をあげたり
感動したり

この当たり前のことなのだ
ということ

私が中学一年生の時

どうしたら人間関係がよくなるんだろう、とか

期末試験の範囲が広すぎるとか

部活がうまくいかない、とか

今日の夕ご飯は何だろう、とか

そんなことばかり考えていた


目の前の問題に悩み、くよくよし
死んじゃいたくなったり
早く生まれ変わりたいって思ったり
もっと違う両親や違う家庭を に生まれていたらもっと違う人生だったのに、

そんなふうに考えていた


当たり前の毎日の中に
『生きる』という素晴らしいことがあったと気がついたのはつい最近のことだ(笑)


貫太くんは
明るくてクラスの人気者

この日もニコニコと私に可愛い笑いかけてくれて
あまりに彼がジャニーズ系のイケメンなので照れてちゃうよー

貫太くん、いま中学三年生

高校は普通高校を考えているって

ブログも始めて障害者の人たちの応援ができるようになりたいといっていた

私が
「私ねヨガのインストラクターもやってるよ」

って言ったら

僕もヨガやりたーい!と言ってくれた!

「うん、できるよ!
私もね、ポーズをとったりあまりしなくなったの
ただ身体を緩めていけばいい
硬くなった細胞が流れていく
そんなヨガをやってるの
貫太くんもできるよ!

君が先頭に立っていけばいいんだよ」

そう彼に語りかけていた

イケメン中学生貫太くん

生まれつき脳性麻痺で身体が動かない

パパ健治さんにずっと抱かれていた彼


抱かれる、なんて生易しいものではなく
貫太くんの麻痺の身体を健治パパも渾身の力で支えているのだ


身体は動かないが
彼のエネルギーはものすごく大きい




貫太はね
たまには人との違いに悩んだり、
なんで?と思うこともあったりするようなんだけど基本的には
『僕は障害者などとは思っていない』と言ったりしてますよ
これからどんな道を歩くかと思うと
きっと桁違いにドラマチックな人生を歩むんでしょうね

AKIRAさんのライブは2008年に初めて主催してから、毎年家族で行っているのですが、その間に何度も貫太の体調にも変化がありました。

筋緊張といって、全身に力が入ってしまうのです
最初のうちはまだ良いのですが、昼も夜もなく力を入れ続けるため、無意識に鍛えている様なものです

初めての時は半年間続きました
回復して一年後、今度は一年緊張感が続きました

その最中は、何かを意識する度に力が入ってしまうため食事もまともに採れず、夜も断続的にしか眠れず、想像つかないと思いますが貫太の身体はボディービルダーのようにムキムキでした

体力には多少なりとも自信があった僕でさえ、力負けして腱鞘炎になり、注射を打ちながらの介護でしたね

おしゃべりの大好きな貫太でしたが、声を出せば力が入るので、しゃべる気力もなく
なり表情も無くなりました

貫太自身死にたいと思ったことも何度もあるそうです
打ち明けてくれました

でもあるとき思ったそうです!

自分の身体だから自分で治さないとだめだって!

自分が治らないと思っているから治らないんだ

それから『僕は治るんだ‼︎』って信じることにしたそうです

それからどんどん良くなっていき、貫太は自分の痛みを通して気がついたそうです

大切なのは自分を信じることにだって!

親の僕が教わることが多いですよ(笑)

・・と健治パパは言う


すてきだなぁ

彼は桁違いにドラマチックな人生を歩む

彼は無限大
たくさんの可能性が溢れている

私たちが送る人生の何倍もの
人生の宝物が降ってくるに違いない

彼らと共に生活をすればするほど
今まで私が抱いていた障害者という言葉が違ってくる


今までの言葉の意味で使うなら
彼らは障害者ではない


なぜなら
障害ではないから


一般的な
多くの人とは違う、というだけだ


可哀想な人などいないし

障害者という言葉も
この言葉のもつニュアンスがどうも私には違和感があってしかたがない



そしてやはり彼らは勇者なのだ

私は小指をドアに挟んでしまっただけで数日間本当に不自由になるが

それと彼らを比べてはいけないのだった

今目を閉じれば何もみえなくなるが
それと彼らを比べてはいけないのだった

私が不自由だから
彼らはもっと不自由なのだ
だから大変なのだ、と思うのとは
別次元のものなのだった

私が時折感じる身体の不自由さと
彼らの不自由さは
きっとわからない

あなたがみる赤色と
私がみる赤色とでは
絶対に同じではないはずだから

あなたは私ではない
私はあなたではない

だが

この命は同じ

命が私

あなたは私ではない
私はあなたではない

だからこそ
わかりあいたい、と思う

だからこそ
わかって欲しい、と思う

わかって欲しくて
分かり合えなくて苦しくなるのだ

苦しくなるのは根っこがひとつだから

だからこそ

私は私を生きるしかないのだ

他の誰にもなれやしない

愛する子供を思う時
あなたはあなたを愛するのだ

憎い親を思う時
あなたはあなたを愛するのだ

私が大事

だから私の命

ありがとう私の命

この身体が動いてくれる今この時に感謝でいっぱいになるのだ

この世に生まれてきた奇跡にありがとう

目覚めとはまさにこのことだったのだ

だから
あなたは大丈夫

だから
あなたは金ぴかなのだ