【創造を歓迎する教育】


自分の考えを持つ時間を過ごさないまま生きて、モンテッソーリ教育を知識として学ぶと、モンテッソーリに自分を合わせようとするから、子どもにも同じようにする。


モンテッソーリ教育についてのあなたの考えや重要性に、子どもを合わせようとする。


自分という人間を確立させるためにモンテッソーリが助けになる、というより、どんどん自分らしさは抑えられ、あらゆる自分らしさが表面化することを怪訝し、自分が思い込んでいるモンテッソーリの枠組みの中に押し込めようとする。


子どものそばにいる大人が、自分という人間を知らないまま、なぜこれをするのか、なぜなのかを知らないまま、モンテッソーリをするのは、サッカーで足を使っていないのと同じ。


教育とは、子どもがどのようなカタチで自己表現をしようと完全に自由であり、周りの大人はそれをすべて歓迎し、限られた自分の人生のリソースを何に使うか、自分に寄り添うを選択し続け、自分の人生の目的はなんなのかを知り、なんのために生きているのか、自分を探究するもの。


そうして、自分が持っている特性を理解すると人間としての底がグッて上げることができる。

自分自身を心から知らずに知識とか情報とかを取り入れても、自分自身を愛せない。


例えば、まずサッカーする自分の足の仕組みを根本から理解した方が、培ったサッカーの知識を「自分がどう活かすと良いか」が「自分の中」でバチッと分かる。


ここは人からは教えてもらえない、本にも書いていないことで、これさえ明らかにすると人生が全く変わる。


学校は、創造することができて、自分を探究するための時間を過ごす場所であり、そばにいる大人は自分自身を知り、自分の人生を決めて創り出していくことを純粋に喜んでいる存在であること。自分が自由な人生を生きていると、子どもにも自由を与えられる。






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〜モンテッソーリの環境構成〜

https://aki-nakasone.amebaownd.com/pages/6370671/static


『子どもの真の理解者』になる。

モンテッソーリは大人(オトナ)のものです。

子どもはすでにパーフェクトです。

それを取り囲む大人が子どもの真の理解者であること。

そのためにモンテッソーリがあると思っております。

大人こそモンテッソーリなのです。

私たち大人が「正常化した姿」で子どもの前に存在すること。

(モンテッソーリ用語:「本来の姿」という意味です。)


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【意図的に生きるAvatar®Course 

ふつうの私が「本当」な気がする方へ進んだ先に出会った意識を意図的に使う方法を学ぶアバターコース。自分の意識の始まりから、自分自身のことをしっかり深く学んでいける。もちろん色んな技術も身につく。自分自身が子どもを見る目、人間を見る目を変えてくれるような、変革につながるトレーニング。とにかくいろんな方に知ってほしいトレーニングです。


https://ameblo.jp/akinakasone0310/entry-12697716171.html


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