これは
の時の記事
尾張高野山宗総本山岩屋寺
岩山観音とも言われている。
愛知県知多郡南知多町山海字間草に鎮座している
岩屋寺 創建は715年
卍知多四国43番札所
知多四国八十八箇所霊場第四十三番札所 番外(奥之院)
知多西国三十三所霊場第一番札所
南知多三十三観音霊場第二十五番札所 番外(奥之院)
東海圏西国三十三箇所霊場第十番札所
手水舎
西国三十三観音霊場第一番札所
鐘楼
阿弥陀堂
経堂
大師ヶ獄参道
参道へ入る
八十八箇所の羅漢像巡りながら大師ヶ岳を登る
弘法大師像
弘法大師像の所から知多半島の山々を望む
羅漢像の表情を見ながら参道を降る
奥の院へ向かう途中で発見した旧日本軍の石像。
中之院 軍人像
ここの軍人像のほとんどは昭和12年上海上陸作戦における呉淞の敵前上陸で戦死された名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士達です。
緊急の出動で名古屋城内の兵営より名古屋港まで夜間13キロの徒歩行軍の後、艀で野間沖に待機していた巡洋艦・駆逐艦に乗り込み、わずか廿六時間で揚子江河口付近に到着後の昭和12年8月廿三日の敵前上陸でした。
が、上陸後半月足らずでほとんど全滅してしまいました。
軍人像そのものはめいめいのご遺族が戦没者の一時金をもって写真を基に造らせ
建立したものです。
昭和12年から18年のことと言います。
また戦後進駐軍が取り壊しを命じた際、僧侶が国のために死ぬということはアメリカも日本も変わりはない、あれを日本人の手で壊すことはできない、どうしても壊すというなら、我々をこの場で銃殺した上であなた方が行って壊せばいいだろうと頑張った。
おかげで像は壊されずに済んだということです。
建立当時より名古屋市千種区月ヶ丘にあったもので、当山には御縁により平成7年11月にお移しし、この地で安住いただいております。
現在もよくご遺族ご縁者の方が御参りにいらっしゃっています。
天台宗 大慈山 中之院
と記してあります。
名古屋第三師団歩兵第六連隊の方々へお祈りしました。
保存に対しても立派な方が居られたんですね。
亡くなった兵士の皆様に、今の堕落した日本見せたくない…
ここは凄く神秘的で、由緒ある寺院でした
五百羅漢像もさながら、大師ヶ岳に聳える弘法大師像は必見です
そして兵士像…奥の院…
いろいろ考えました。
良いお参りでした