いつもアナタの側に
from NEVERLAND🌈🌈🌈

皆さんこんにちは、
NEVERLAND ARANです🎨

今回はメソポタミア文明(美術)
についてお話ししていこうと思います!!

メソポタミア文明とは、
現在のイラクにあたる地域で栄えた文明で、
ティグリス川ユーフラテス川
2つの川に挟まれており、
そこでは頻繁に洪水が起こっていました。
その洪水のお陰で土の栄養分が運ばれて肥沃な土地となり人が定住できたことにより
文明も発達しました!!

当時メソポタミアで暮らしていた人々を
シュメール人と呼んびました。
シュメール文明の代表的な美術品として
"礼拝者の像"(紀元前約3000年)
目が大きく、
お腹のあたりで手を組んでいるのが特徴で、
この目は"魂の窓"と呼ばれ、
像には神が宿ると信じられていました!!

このシュメール人は世界最古の文字である
"楔形文字"を生んだ種族でもあります!!

そんなシュメール人は後に、
壁画や像などを作る際、
大理石の他に金やラピスラズリや貝殻など多様なもの

を使用しました。

代表的なもので
"ウルのスタンダード"があげられます。
メソポタミアでは、
シュメール人が栄えた後、
外敵に侵入されやすい地形により権力を奪われ支配者は目まぐるしく変わっていきました。
その後、
侵入してきたアッカド人アッカド王国を作り、
宗教的な儀式を行なったり、
支配者の権力誇示のための
巨大建造物"ジッグラト"を建設し、
権力者を称える美術品を作りました。
様々な民族がメソポタミアの地を支配し、
その後、バビロニアと言う国が作られます。
バビロニアにおいても権力を誇示するための作品が作られました。
"ナラム・シンの戦勝記念碑"
ナラム・シンが他民族への勝利を記念して作られました。
"目には目を歯には歯を"で有名な
"ハンムラビ法典"の石碑も
この頃作られました。
ハンムラビ王朝のハンムラビ
偉大な王
人類最初の法律をまとめた人物です。
法律の完成を神に報告する姿を"浮き彫"で表現しています。
金属工芸の作品の技術は中国や日本のビザンティン文化に影響を与えています。
この時期の美術を
"バビロニア美術"と言います。
メソポタミアを統一支配していたバビロニアだったがアッシリア人に一時支配権を奪われ、その時にアッシリア人が作ったものとして
"有翼人面牡牛像"があげられます。
その後、バビロニアは支配権を奪還!!
その際に作られたのが"イシュタル門"です。
青の上薬を塗ってガラスのような透明感を持つレンガを用いたメソポタミア文明における
最高傑作といわれている門です!!
バビロニアの後にはアケメネスという人物から始まった王朝によって、
各地が支配されるようになります。
そして、"アケメネス朝美術"が発展します!
代表的なものとしては
"ペルセポリスの遺跡"があげられます。
紀元前500年前後に作られたものでありながら、
とてもよい状態で残っているために
世界遺産に登録されました!!
ここまでのメソポタミア地方で発展した美術のことを総称して"メソポタミア美術"と呼びます!!

メソポタミア美術いかがでしたか??

美術作品を見るだけで人としての技術の発展や文明の進歩分かるというのは、
とても面白い事だと思いませんか?

少しずつ皆さんも美術史の世界に足を踏み入れつつあるのではないでしょうか?

では、
次回はエジプトの美術の世界を旅してみましょう!!

それでは!!