今人気の佐野千遥博士のヒカルランド5月10日講演内容:「正統派」現代法学・政治学批判 | フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

資本主義主力の株式会社制をも覆す、貴方を悩みと賃金奴隷状態から解放するフリ-エージェント世界革命を、誤った現行全自然社会人文科学を根底的体系的に批判し、一枚岩無矛盾の全新厳密科学体系を創り出した(世界史上これに挑んだ他者無し)FA大学佐野千遥教授が領導する

ロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ドクター佐野千遙

私のYouTube動画は
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=RPT0HHN_8D0
に有ります。

5月10日(金)ヒカルランドに於ける佐野千遥の講演内容

「正統派」現代法学・政治学批判

第1章:「正統派」近代・現代法学批判

原生林の樹木一本一本は人が決して真似できない個性を持った素晴らしい芸術作品である。
原生林の梢越しに空を眺める時、人は必ずある種の感慨に駆られる。

野花の咲き乱れる野山に人はこの世の楽園を見る。

抒情詩を書いてみました。

大自然の新緑の野山の草木たちよ!君達は何故如此も美しいのか?

来年はもうこの世に居ない事を予知しているかのように、君達の生涯においてもう二度とこの眼に眩いほどの新緑を母なる地球に燃え立たせる事がないであろうことを知っているかのように、晩春の今、君達原生林の草木は今を限りの愛らしい崇高なる姿を私の眼に焼き付けている。

遣られても遣られても、人間達が呼吸できるための酸素を創り出して徹頭徹尾人間達に心底の愛情をもって尽くしてきた君達草木を、第二東名建設のため人間どもはこれから邪険に扱い、切り倒し殺そうとしている。

君達草木の崇高なる心が私の心を打つのだろう。君達の清い心の世界には物質的打算に基づく言論・思想統制、言論・思想弾圧も存在しない。

<抒情詩は以上>

法律とは、その条文を読めばそこに書かれている正義と愛の内容の美しさに感動し、本来的に民が自発的に守ろうとし、守る事に社会正義の美学を見出し、守る事に誇りを持てるような法律でなければならない。

しかるに「正統派」現代法哲学に支えられた現代の法体系は、美学無しの掟・規則の集合体でしかなく、その無味乾燥な「法体系を私は全て守って生活しております!」と豪語する事は、見え見えの偽善にしかならない。何故美学無しになってしまうか、を以下に論じて行く。

「正統派」現代法哲学は、法律とは対立し得る利害の間に入って中立的に社会的調整を行うために存在する、と豪語しているのだが、これが実は全くの嘘偽りであることを以下に論証する。

「正統派」現代法哲学は、利害対立が生じる根拠を、「需要供給の法則」=「神の見えざる手」の自由な市場に於ける等価交換が何らかの原因により阻害されるからと信じ、利害対立を調整するには「需要供給の法則」の等価交換に立ち返り、自由なる市場を回復すれば良いと妄信する誤謬に迷い込み、それが誤謬である事を認識する事を自分達の論自体が無意識の中に阻んでいる事に気が付かない。

「需要供給の法則」、最も自由なる市場自体が等価交換の原則を意図的に踏み外し、等価交換が絶対に成り立たないような仕組みである事を論証しよう。

物理学に於けるニュートンの動的作用反作用の法則
F1 ・ v1 = – F2 ・v2
は、同時に哲学的な因果律である。

vを需要供給市場に於ける或る商品の個数、Fを値段とする。
v1とは供給側が売りたい個数、v2は需要側が買いたい個数であるとする。
F1とは供給側が売りたい値段、F2とは需要側が買いたい値段とする。

供給側がその商品をv1個、値段F1で売ろうと考えてマーケットに出したが、予期に反して良く売れず
|v1|>|v2|
需要側は結局v2個しか買おうとしなかった場合、自由なるマーケットが自由であればあるほど、値段まで値崩れして
|F1|>|F2|
となり
|F1 ・ v1| >> |F2 ・v2|
実際の売り上げ総額は、期待していた総額より遙かに少なく成ってしまう。つまり自由なるマーケットが自由であればあるほど等号は成り立たない。

供給側がその商品をv1個、値段F1で売ろうと考えてマーケットに出したが、逆に予期に反してバカ売れして
|v1|<|v2|
需要側はv2個も買ってくれようとしたので、自由なるマーケットが自由であればあるほど、値段まで大きく跳ね上がり
|F1|<|F2|
となり
|F1 ・ v1| << |F2 ・v2|
実際の売り上げ総額は、期待していた総額より遙かに大きく成ってしまう。つまり自由なるマーケットが自由であれば等号は成り立たなし、自由なるマーケットが自由であればあるほど等号から益々大きく隔たる。

つまり自由なるマーケットであれば何時如何なる場合も等号は成り立たない、つまり等価交換は絶対に成り立たず、自由なるマーケットが自由であればあるほど等価交換からの逸脱が甚だしい物となる。自由なるマーケットとは本来的に等価交換を意図的に破壊する仕組みである。この事に今日の如何なる経済学派も気付いておらず、いかなる法哲学者も気付いていない。

その結果、今日の経済学、法学全「体系」は根本的体系的誤謬に陥り、大混乱に陥っており、法学は全く「社会正義」を論じる事が出来ない惨状にある。

「需要供給の法則」を正義の「神の見えざる手」と妄信した法哲学者達は、彼等にとってのこの「大原則」「需要供給の法則」「自由なるマーケット」に対する妄信が原因で、法学の分野で「物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする」誤謬の法哲学を形作ってしまっている事に気付かない。

近代法であろうが現代法であろうが「物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする法哲学」を持った法律体系は、資本主義が必然的に生み出す支配/被支配関係の中で、物質的に優位に立つ支配階級の利害を代弁し、支配階級を擁護する為の法体系へと成り下がる事は至極理の当然である。

ここに「正統派」現代法哲学の主張する、法律とは対立し得る利害の間に入って中立的に社会的調整を行うために存在するとの豪語は、実は全くの嘘偽りである事が満天下に論証された。

現行法体系は物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする根本的に誤れる法哲学を有しているために、我々が創るべき新世界においては廃絶すべきである。社会正義、社会的愛を打ち立てる事こそが社会の目標であるのだから、法律とは条文を読めば、そこに表現されている「社会正義」、「社会的愛」の美しさに感動し、民衆が自発的に守らんとする物に改変されねばならないのである。

美学は科学の中に位置付けられるべきである。そして倫理・法学は美学の中に、特に美学の中枢である道義的美学の中に位置付けられるべきである。

道義的美学に於いては、男性美の極致は、命を賭して正義の為に断固として闘わんとする闘魂、負ける事が分かっていてもなおも闘わんとする闘魂=武士道であり、女性美の極致は女性としての美人さではなく、母の子に対する母性愛である。

この社会正義の美学と社会的愛の美学の息吹を倫理学・法学の中に吹き込むべきなのである。

人間は社会正義の美学と社会的愛の美学に先験的に共鳴する心の仕組みを持っているのだから、その人間が織り成す社会的人間関係を社会正義の美学と社会的愛の美学に動機付けられて形成するべきなのであって、物質的打算に基づく「権利」「義務」で取り仕切らせる事自体が社会的人間関係を残虐なる社会的人間関係に変質させているのである。

宇宙史の中の、地球史の中で奇遇にもこの同時代を生きた草木、動物達、人類と人類同士は本来的に皆友達で有る筈である。


では現在日本の大学の法学部で教えられている無味乾燥且つ残虐なる法哲学理論の内容を、彼等の教科書から引用するので、皆さんにも彼等の理念と「理論」が如何に誤りに迷い込んでいるかを各人発見し確認して行って欲しいと考えます。


<以下は大学で法学の教科書として使われている「現代理論法学入門」田中成明編、現代法双書、法律文化社 からの引用>

「法実証主義

法実証主義という言葉の意味は
(1) 実定法規だけが法であるとする実定法一元論
(2) 法と道徳の峻別
(3) 法の効力の根拠や法とそうでないものの判別基準を何らかの超経験的な理念のうちに求めず実定法体系の内部に求める事。
である。[P.26]」

法実証主義は「法律は法律」とする立場から、非人道的で民衆に対し明らかに犯罪的な法律も含めて法と考える。これは法と道徳を峻別してしまった為に必然的に結果する事である。

「近代法とは、政治的には近代市民社会の成立を背景としつつ、その経済的基盤である近代的資本主義体制を維持するため、資本主義体制のいわば中核に位置する市場機構について、その基本的枠組みを整備・保障するという機能を担う法システムである。」[P.27]

「人びとの社会関係(について)は、自由かつ独立の市民間の商品交換を通じ、等価交換という客観的な経済法則にのっとって、(これが)維持・展開される。」[p.27]

「市場とは、市民間のこうした商品交換の行われる場である。自由な経済主体としての個人、とりわけ企業は価格と(外面的:筆者追記)品質とを武器にして市場に於ける競争に参加する。そうした自由な主体間の競争を成り立たせ、これを外的に保障するルールの体系が、近代法である。近代法は、いかなる外的介入・権力的支配からも自由な状況で、ただ当事者間の競争のみに拠って商品の価格が決定され商品交換が行われるよう、取引に関する公正なルールを整備するものなのである。」[P.28]

「「身分から契約」への流れや、「義務および共同体に結び付けられた人間」から「利益によって導かれた個人」への変遷が、ここに見て取れるのである。」[P.28]

「近代法は、商品の等価交換に関する公正なルールを用意するという機能を果たす為、商品交換の主体については「人格の対等性」、その客体に関しては「所有権の絶対性」、その媒介手段としては「契約の自由」、の以上三つをその基本原則とする。」[P.28]

<佐野千遙によるコメント>
資本主義社会の本質とは、その「自由」「平等」「博愛」の美辞麗句とは裏腹に、資本主義が発展すればする程益々激烈になる現代の奴隷制度=「賃金奴隷制度」、つまり支配被支配関係の決定的強化に有った。分配の不公平・不平等(搾取)を幾ら是正しようとしても生きて活動する資本主義の前には、焼け石に水であり、その結果、「搾取に対する闘争」=「賃上げ経済闘争」は傍系の改良闘争でしかなく、階級支配被支配関係=「賃金奴隷制度」そのものを覆す国際的社会的闘争が必要なのである。

「近代法の中枢を占めたのは、自由平等な取引主体たる市民間の水平的関係を規律する司法体系であった。では市民と国家との間の垂直的関係はどうか。...市場機構が順調に機能するには、一切の権力的介入の排除が必要であった。...いわゆる夜警国家である。」[P.29]

「ところが、市場機構に於いいて競争が有効に作動する枠組みを用意する事をめざしたこの近代法システムは、特に今世紀初頭以降、市場機構が期待通りに作動しない、あるいはその作動の仕方ないし結果が著しく正義に反するという事態に直面し(た)。」[P.29]

「現代法の登場」

「市場機構は本来、顧客獲得をめぐる企業間の自由競争を通じて商品の適正な価格・需給量が決定・維持されることにより、円滑に作動するものであった。」[P.29]

「第一の問題(である)独占企業の出現は、こうした自由競争を妨げ、市場機構の正常な作動を阻害する。」[P.30]

<佐野千遙によるコメント>
独占資本の出現の弊害は19世紀末~20世紀前半にかけて、自由競争を妨げ、市場機構の正常な作動を阻害する事よりも、独占資本の意を受けた強大なる国家権力が後進諸国を植民地化し、民衆の大半の意に反して植民地と市場の争奪のため強国間の世界戦争に全国民を駆り立てた所に有った。又、独占を独占禁止法により解体して、自由市場に戻せば資本主義の本質的弊害が無くなるという訳では全くない事は、先に述べた「賃金奴隷制度」批判により明らかである為にここでは詳述しない。

「近代法が想定していた(「建前としていた」と書き換えるべし。佐野註)「人格の対等性」が、現実には存在しなくなった...。」[P.30]

<佐野千遙によるコメント>
近代に於いて既に元々「人格の対等性」とは存在していなかったのだが、この時期に及んで労働組合運動、消費者運動により、それまで隠れていた不平等性が暴露された。

「...国家が、社会経済秩序の形成・維持に積極的に参与することが求められるようになる。」[P.30]

<佐野千遙によるコメント>
そう言い換えてしまえば本質は見えなくなるが、これは支配階級が押し付ける社会秩序に抵抗する被支配階級に対し、支配階級は赤裸々な国家権力の弾圧を開始した事を意味する。

「消極国家、自由放任国家から積極国家、社会国家への移行である。」[P.30]

「(次に)市場に於ける経済的自由競争から帰結するさまざまな不正義を正すという、その意味で近代法システムそのものの欠陥を是正する機能である。近代法が標榜した自由且つ平等な諸個人という理念は、諸々の社会経済的格差に苦悩する弱者層の存在を看過ないし無視するものであった。」[P.31]

<佐野千遙によるコメント>
現代法は実際には市場に於ける経済的自由競争から帰結するさまざまな問題の存在を認識したという事であって、不正義を正したと言う事ではない。物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする現代法は、遣っても儲けにならない弱者の為に不正義を正す為の資力を本気で投入する筈は無い。逆に社会的弱者による反抗の危険を察知し、支配階級の為の治安維持目的の法整備に余念が無い。

<佐野千遙によるコメント>
「紛争の事後的個別的解決という伝統的な機能」を脱し、支配階級にとって危険と看做されるなら、罪刑法定主義をかなぐり捨ててでも、予防拘束・保安処分(ナチス刑法)を適用できるための法律が米国において終戦直後以来施行されている。

「正統派」現代政治学批判

ところで西洋のモンテスキューの三権分立論の立法・司法・行政の三機関は全て上述したこの誤れる法律をめぐる立法であり、司法であり、行政でしかない。つまり、誤れる法律をめぐる三機関なのだから、立法・司法・行政の三機関は誤れる社会的機能を遂行している。特に国会の使命をその誤れる法哲学に基づく立法をする事として疑わない国家構想哲学自体が誤りなのである。国会とは政治的議論をする場である。政治とは社会正義を論じる学問であり社会正義、社会的愛を実現する事をその使命とする。しからば国会に於ける政治論議が如何なる法律を立法すべきかに集約されている事自体が根本的誤りであり、国会とは直接社会正義を実現するにはどうするべきかを議論し実施する手段を準備する場で有らなければならない。

資本主義が経済的取引市場であるのに対し、民主主義とは政治的取引市場である。

もっと詳細を述べると資本主義が諸悪の根源である「需要供給の法則」に基づく経済的取引市場であるのに対し、民主主義とは現在、諸悪の根源である「需要供給の物質的打算法則」に基づく政治的取引市場であるに過ぎない。

民主主義とは理想的には、真理を探究する討論の中で討論参加者達一人一人が自分の見解を発展・進化できなければならない。そうでなければ民主主義と言えない。

しかるに、日本の代議制民主主義である国会は政党で埋め尽くされ、或る議員が或る政党に属しているなら、国会討論で議員個人が自分の見解を進化・発展させる事は先ず起こりえない。これは憂うべき事であり、民主主義とは言えない。

国会には若し多数決民主主義を採用し続けるのなら、政党参加は禁止すべきなのである。ギリシャの哲学者プラトンは民主主義には各人真理を探究する強い個人による「哲人政治」を主張した。

<以上が佐野千遙博士の5月10日ヒカルランドでの講演内容でした。>

佐野千遥博士とは

過去250年~340年間、世界の大数学者達が解こうとして解けなかった世界史的数学難問4問を解き、

2011年11月7日にアメーバブログで「間もなく太陽表面から新しい惑星が誕生する」事を科学的に論証した予言を2012年3月10日のNASAの発表で実現させ

数学における誤謬の数学分野の存在証明をし、

現行「正統派」現代物理学が「トンデモ」物理である事を体系的に論証し尽くし、

アインシュタインに代わってマクロ/ミクロ物理世界を貫き恐るべき整合性を持ったニュートン・スミルノフ・佐野宇宙方程式を提唱し

超電動に対する超磁動の存在を世界史上初めて理論構築して論証し、

さらにその超磁動を使っての原子爆弾、原発の核燃料のウラン、プルトニウム自体の低温解体・消滅装置の開発プロジェクト(=世界平和の真のシンボル)を創出し

更にその同じ仕組みを使った原子力を遙かに超える大電力発電装置の開発プロジェクトを創出し

光速電子放射線治療AWGを支える物理学理論を創出し

「病は原子核内から磁気で治す」事を知らない不能の現代医学を体系的に批判し、

ソマチット=物理的生命体=「負の質量を持った単極磁石」である事を世界史上初めて発見しその理論を構築し

人間機械論の現行人文科学を批判し、

現行経済学の「需要供給の法則」=「神の見えざる手」が因果律を意図的に踏み外す諸悪の根源である事を批判し、

近代経済学に見えていない3種の価値「有用価値」「コスト価値」「流通価値」の区別付けを持った未来経済学を創出し、マルクスすら扱えなかった「有用価値」も含む価値交換方程式を世界に先駆けて提唱し、何故現代世界は経済活動の縮小過程に入っているのかの根本原因を世界に先駆けて提唱し、どうすれば活性化できるかについての経済プログラムをも世界に先駆けて提唱している

物質的打算に基づく「権利」「義務」を最高の規範とする現行法体系を批判し、

その誤れる法律をめぐっての立法・司法・行政を主張し、社会正義と社会的愛の実現が国政の目標である事を忘れ去った西洋の三権分立論を批判し、

美学は科学の中に位置づけるべきであり、倫理学・法学は美学の中(就中、その中枢である道義的美学の中)に位置付けるべきである、と主張し

福島原発の惨状に成す術を知らず右往左往する「正統派」現代量子核物理学と「トンデモ」素粒子論を権威付けるXXXX賞委員会解体を提起し、

反エントロピー数理物理学から出発し、現行の「科学」とは別体系の反エントロピー物理学・自然科学、医学・精神医学・人文科学・社会科学:総じて社会正義の美学・社会的愛の美学に結晶する全新厳密科学体系を提唱し、

超フリーエネルギー装置=永久磁石永久機関モーターの発明を基に日本発世界産業革命を準備し、

宇宙の始原からプログラムされていた社会正義の美学・社会的愛の美学に打たれて日本発世界の社会変革に邁進する崇高なる自己犠牲の精神を日本人の心に蘇らせんとするロシア科学アカデミー・スミルノフ学派論文審査員:ドクター佐野千遥

ヒカルランドに於ける佐野千遥講演スケジュール

◉初回12月14日の第二金曜日18時より90分間:既に開催済み。
◉2013年1月より5月の第二、第四金曜日18時より各90分間。既に開催済み。

平成25年1月25日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->板垣英憲

平成25年2月8日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->坂井康起

平成25年2月22日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->

平成25年3月8日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->三木敬三郎

平成25年3月22日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->増川いずみ

平成25年4月12日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->

平成25年4月26日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->

平成25年5月10日金曜日 18:00より1時間半 既に開催済み。
佐野千遥、 高山長房 ->

平成25年5月25日土曜日 18:00より1時間半
佐野千遥、 高山長房 ->

坂井康起氏とは健康科学博士、タヒボ茶、社会文化功労賞・菊花勲章受賞で有名な方です。

三木敬三郎氏は理学博士です。

計11回のシリーズです。
各回8000円。
シリーズチケット8万円。
10回分チケット7万5000円。

むすび愛、めぐり愛、ひびき愛の出版社
ヒカルランド
電話: 03-6265-0852  FAX:03-6265-0853
〒162-0821 東京都新宿区津久戸町3-11飯田橋TH1ビル6F


ロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派論文審査員:ドクター佐野千遥

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