人類史に於ける日本人,ユダヤ人の位置を言語科学から解明する!!!!!!スミルノフ学派DR佐野千遥 | フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

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資本主義主力の株式会社制をも覆す、貴方を悩みと賃金奴隷状態から解放するフリ-エージェント世界革命を、誤った現行全自然社会人文科学を根底的体系的に批判し、一枚岩無矛盾の全新厳密科学体系を創り出した(世界史上これに挑んだ他者無し)FA大学佐野千遥教授が領導する

人類史に於ける日本人、ユダヤ人の位置を言語科学から解明する!スミルノフ学派Dr佐野千遥

ロシア科学アカデミー・スミルノフ物理学派論文審査員:ドクター佐野千遥


先ず世界の言語の属性一覧を述べる。本論を早く読みたい方は、言語の属性一覧表を読み飛ばして、その先にお進みください。

ハム語(古代エジプト語、その末裔のエチオピア語、ソマリア語)
1.人称による動詞活用有り
2.格活用有り
3.定冠詞無し、不定冠詞は有り
4.関係代名詞無し、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

セム語(ヘブライ語、アラビヤ語、イエス・キリストの母語アラム語)
1.人称による動詞活用有り。しかも、男性/女性によって動詞活用は異なる
2.格活用有り
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はVSO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)が母音の前に必ず先立ち、母音発声を直接始め事は無い

サンスクリット語
1.人称による動詞活用有り。
2.格活用有り
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

ドラビダ語(現代のタミル語)
1.人称による動詞活用有り
2.格活用有り
3.冠詞は無し
4.関係代名詞無し、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

ケルト語(アイルランドのケルトのゲール語、英国のウェルシ語)
1.人称による動詞活用有り。
2.格活用有り
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はVSO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)が母音の前に必ず先立ち、母音発声を直接始め事は無い

古代ギリシャ語(ギリシャ語、アルメニア語、アルバニア語)
1.人称による動詞活用有り。
2.格活用有り
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

北方ムー大陸語=ウラル語(アイヌ語、バスク語、フィンランド語、ハンガリー語、チェチェン語、グルジア語、エストニア語、モルダヴィア語、リトアニア語)
1.人称による動詞活用有り
2.格活用有り
3.冠詞は無し
4.関係代名詞無し、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

アフリカの現生人類のハウサ語、バンツー語
1.動詞の格活用有り。
2.名詞、形容詞の格活用無し
3.冠詞無し
4.関係代名詞有り、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

アルタイ語(トルコ語、モンゴル語、満州語、韓国朝鮮語、日本語[=百済語]、シュメール語)
1.動詞の格活用有り。
2.名詞、形容詞の格活用有り
3.冠詞無し
4.関係代名詞無し、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

スラヴ語(ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、ポーランド語、スロベニヤ語、マケドニヤ語、クロアチア語、セルビア語)
1.人称に基づく動詞の活用有り。
2.格活用有り
3.冠詞無し
4.関係代名詞有り、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

古典ラテン語(古代ローマ語、ルーマニア語)
1.人称に基づく動詞の活用有り。
2.格活用有り
3.冠詞無し
4.関係代名詞有り、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

原型ゲルマン語(ドイツ語)
1.人称に基づく動詞の活用有り。
2.格活用有り
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)が母音の前に必ず先立ち、母音発声を直接始め事は無い

第1次退化ゲルマン語(デンマーク語、ノルウェー語、オランダ語、フラマン語)
1.人称に基づく動詞の活用は単数/複数の区別のみ有り。
2.格活用殆ど無し
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)が母音の前に必ず先立ち、母音発声を直接始め事は無い

第2次退化ゲルマン語(英国の英語)
1.人称に基づく動詞の活用無し。
2.格活用無し
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)が母音の前に必ず先立ち、母音発声を直接始め事は無い

第3次退化ゲルマン語(米語)
1.人称に基づく動詞の活用無し。
2.格活用無し
3.冠詞有り
4.関係代名詞有り、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める

中国語(北京語、広東語、上海語)
1.動詞の活用無し。
2.格活用無し
3.冠詞無し
4.関係代名詞無し、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める。四声有り。

アフリカのコイサン語族(ブッシュマン語、ホッテントット語)
1.動詞の活用無し。
2.格活用無し
3.冠詞無し
4.関係代名詞無し、
5.構文はSVO
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める。四声有り。

アフリカのバンツー語族(スワヒリ語)
1.動詞の活用無し。
2.格活用無し
3.冠詞有り
4.関係代名詞無し、
5.構文はSOV
6.「声門閉鎖音」(アラビヤ語の「ハムザ」)は母音の前に先立たず、母音発声から直接始める。


では、世界の諸言語の起源を樹形図として以下に纏めよう。

7万5千年前に太平洋プレートとインド・プレートとの境目に有るインドネシアの「トバの超巨大噴火」が起こり、大地震と共に太平洋プレートの上に有ったムー大陸は海面下へ沈んだ。

ムー大陸が沈んだ時、南西方向に逃げたのが、御釈迦さんも血を受けているムー大陸黒人系ドラビダ語族(今日のタミル語、シンハラ語)・スーダンギニア語族(ハウサ語)・バンツー語族(スワヒリ語)、西に逃げたのが黄色人種系のアルタイ語族(今日のトルコ語、モンゴル語、満州語、韓国朝鮮語[=新羅語]、日本語[=百済語]、シュメール語)、北へ逃げたのがアイヌ人、バスク人、フィンランド人、ハンガリー人、エストニア人、チェチェン人等のウラル語族である。

南西方面に逃げたのがドラビダ語族(今日のタミール語、シンハラ語。釈迦にはこのドラビダ語族のインド原住民の血が混ざっている)のその後の発展進化に付いては更に先の段落で展開する。

オーストラリア大陸の原住民アボリジニーが進化してムー大陸に移り住んだのがメラネシア語族であり、元のムー大陸の南方に一部或る大きさで残っていたムー大陸の部分も沈んだ時にムー大陸からこのメラネシア語族が西に逃げて、後に漢民族となった元アフリカからのコイサン語族が進化した人種が西から遣って来て混血してできたのがマレー・ポリネシア語族である。マレー・ポリネシアのタイ語やカンボジア語が中国語系と見誤れる理由は、マレー・ポリネシア系がメラネシア系だけでなく、漢民族と同じコイサン語族系の血も受けているからである。

アイヌ人、バスク人、フィンランド人、ハンガリー人、エストニア人、チェチェン人、アイヌ人等のウラル語族は今日の北極が北極でなかった時期に沈没したムー大陸から、アイヌのみアジアに残し今の北極を突っ切ってヨーロッパ入りしたムー大陸白人系クロマニヨン諸民族である。更に詳細を語ると、ウラル語族中ハンガリー人の祖先の匈奴=フン族だけは現ヨーロッパの真北まで行ってから南下する事をせず、同じく現北極経由ではあったがヴォルガ河水源地の北東地域へ南下してここを根拠地とし、北アジア地域、東欧地域に広がり、アッティラ王の時代にヨーロッパ諸国を攻めて現ハンガリーの地域に民族国家を樹立した。



今日、ユダヤ人と言われるハザール=アシュケナジーとは人種的に、このムー大陸出身の白人・ハンガリア人[註]である。ウラル語族:アイヌ人、バスク人、フィンランド人、ハンガリア人、エストニア人、チェチェン人、グルジア人はムー大陸系の白人である。

[註]:ハザール=ハンガリア人はヨーロッパ出身の白人とは異なるが、長頭で鼻が根元から高い頭がい骨の形から白人に分類される。匈奴のアッティラ王の肖像を見ていただきたい。

人間の頭蓋骨は、太陽光線の入射方向に垂直な平面の方向に発達する特性を有しており、高緯度の北国では、ヨーロッパ大陸、ムー大陸を問わず、水平方向から照り付ける太陽が眩しいので横を向いた結果、長頭で鼻が根元から高い頭がい骨の形の肌の色の白い白人が進化し、真上から太陽光が照り付ける赤道直下では頭のてっぺんが平らで頭に物を載せて歩く事が出来る肌の色が黒い黒人が進化し、斜め上から太陽が照り付ける温帯では頭のてっぺんが尖った肌の色が黄色の黄色人種が進化した。

ここで注意すべきは「匈奴」=フン族とは中国字で書かれている為に、黄色人種の原型である中国人の一種とか、ムー大陸系黄色人種アルタイ語族系と考えられ易いが、実はムー大陸系の白色人種である。フン族のアッティラ王の肖像を
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3%E6%97%8F#.E3.82.A2.E3.83.83.E3.83.86.E3.82.A3.E3.83.A9.E7.B5.B1.E6.B2.BB.E4.B8.8B.E3.81.AE.E7.B5.B1.E4.B8.80.E5.B8.9D.E5.9B.BD  
と添付したファイル

匈奴アッティラ王の肖像

で見て頂きたい。鼻が根元から極端に高く、長頭(才槌頭)であり、頬が横から見て相当平坦である事から面長であり、眼が大きい白人の頭蓋骨の典型的特長を有している。進化した場所がヨーロッパであろうが、ムー大陸であろうが、アトランティスであろうが、高緯度の地域で生活した白人の頭蓋骨が皆このようになるのは、人間の頭蓋骨とは太陽の入射光に垂直な平面の方向に発達する生化学的性質を持っているからである。北国では日中の太陽も水平線方向から横殴りに遣って来るので眩しくて横を向いた為に白人の頭蓋骨は上記のような形態を持つに至る。

因みに述べると、人間の頭蓋骨が太陽の入射光に垂直な平面の方向に発達する生化学的進化論的性質を持っているから、熱帯の直射日光を頭上真上から受けるアフリカの黒人や東南アジアの黄色人種は頭の天辺が平らで物を載せて運ぶ事ができ、温帯の黄色人種は斜め上から太陽に照らされて頭の天辺が尖っていて物を載せて運ぶ事ができず、また鼻の根元が低い。

ついでまでに述べると、ユダヤ教に改宗したフン族=ハンガリア人は、今日、ヨーロッパ系の白人と間違えられて、ユダヤ王国がローマ帝国により攻め滅ぼされた時に現スペイン地方へと逃げた“セファルディー系の“黄色人種”=本来のユダヤ人“(実はセファルディーはハム=黒人系ユダヤ人であって黄色人種系セムではない)に対する白人の“似非ユダヤ人”=ハザール・アシュケナジーとの批判をよく口にする人が多いのだが、この視点は不正確なので、ここに正確にハザール・アシュケナジーを説明する。民族的には圧倒的多数の現ハンガリア人=当時のフン族を母体として、そこにローマ帝国により攻め滅ぼされた時にユダヤ王国から逃げたユダヤ人=ヤテベ族(=白人ゲルマン民族へとセムが進化。)多数派とセム族(黄色人種ユダヤ人)少数派が相当数混血した結果、出来上がった民族がハザール・アシュケナジーであり、そのハザール・アシュケナジーは宗教的にはフン族系も含めてユダヤ教に改宗し、言語としてはユダヤ人ヤテベの言葉・イディッシュ語=疑似ドイツ語をその後、今日まで使ってきている。

ユダヤ教から離れたセム族はケルト族としてヨーロッパの各地に散った。ヨーロッパに居る為に自分達は実はセムであることを口外し難いが、ケルト人とは実はそのケルト語の文法構造を見ると明らかにセムである。

このようにドイツ語とほぼ同じイディッシュ語を話すハザールは、純粋なヨーロッパ系白人ドイツ人ではない事を良く認識すべきである。そして“人種的にはセファルディのようには正統派ユダヤ人ではないハザールは悪い似非ユダヤ人であり、ハザール=アシュケナジーはユダヤ人ではない!”という論も展開されるので、その粗雑な論に注意を促したい。

勿論ユダヤ教の最有力な一派(ラビ派)によって聖典の一つのモーゼの口頭伝承を書に表したと主張されるタルムード自体がその後のイルミナティ創始者バイスハウプトの“25箇条”、社会悪体系社会の実現戦略を述べたシオンの議定書、シオニストの基礎に有る事から、タルムード批判、ユダヤ教批判は正しいのではあるが、ハザールはその信仰するユダヤ教が原因で18世紀、19世紀、20世紀初頭、スターリンによる大量粛清時にかけて東欧で幾度となくポグロム(ユダヤ人集団虐殺)[註]の目に会っている事も忘れてはならない。つまりハザールはポグロムに於いては、歴としたユダヤ人として殺されているのである。だから“ハザールはユダヤ人ではない。”とは言えないのである。つまり“ユダヤ人”とは基本的にユダヤ教を実践する民族と定義される。ジンギスカンの末裔でユダヤ教に改宗された民族も人種的にはユダヤ人ではないがユダヤ人の中に数えられるのである。

[註]:反ユダヤ主義を理論化したのは、歴代のカトリック・ローマ教皇である。ユダヤ人選民思想とゴイム=非ユダヤ教徒なら殺そうが強姦しようが奴隷に仕様が悪い事では無いと主張するタルムードを信奉するラビ派が主流のユダヤ教を批判したのは正に正当であった。
“1543年にプロテスタント運動の創始者の一人であるマルチン・ルターが著書『ユダヤ人と彼らの嘘について』においてユダヤ人への激しい迫害及び暴力を理論化し熱心に提唱した。”(wiki)ルッターの主張は選民思想を基にユダヤ教徒個人の悪を推奨するタルムードを聖典とするラビ派が主流派のユダヤ教に対し、或る意味で正当ではあったのだが、歴史の皮肉はこれが実際、東欧に於けるユダヤ人(ハザール)集団殺害=ポグロムを引き起こす事と成った。

他方、マルチン・ルッターとは彼のプロテスタンティズムの“教え”に感銘を受け、命を賭けてドイツ農民戦争を指導し、敗れ、捕えられて火刑に処せられたトマス・ミュンツァーに対し、“自分とは関係ない!”と言い放った男である。

今日のゲルマン諸語やゲルマンの混ざったラテン語族と比較して、アルタイ語系のトルコ語、モンゴル語、満州語、韓国朝鮮語[=新羅語]、日本語[=百済語]の間には語彙・語根の共通性が殆ど無い事を理由に現代の言語学会では、アルタイ語族の存在を危ういと見る傾向が有るが、この傾向は誤りである。トルコ語、モンゴル語、満州語、韓国朝鮮語[=新羅語]、日本語[=百済語]の文法が85%共通である事自体が語族を形成する重大な事実であって、これ等の民族がクロマニヨンである結果、7万5千年の歴史を持っているのに対し、現生人類のゲルマン民族の使うゲルマン諸語やゲルマンの混ざった今日のラテン系諸語はノアの大洪水以来4千年程度の歴史しか持たない事がその違いが生じる原因である。つまりアルタイ語族に属する民族間で本ブログの最初に述べた地域間の利害対立が生じて自分達の言葉にパスワード的役割を負わせて利害対立地域の人達には通じなくさせる目的で、7万5千年に渡って文法はその侭にして語彙を業と変更した結果、アルタイ語族には語彙・語根の共通性が殆ど無くなったのである。これに対し現生人類のゲルマン民族の使うゲルマン諸語やゲルマンの混ざった今日のラテン系諸語は4000年程度の間、語彙を互いに有る程度変更しても語根は酷似したまま残っているのである。

古代に日本列島に住んでいて今日消滅してしまっているギリヤーク族、コルボックリ族、土蜘蛛族はムー大陸からの黄色人種系のアルタイ語族と考えられ、「海のつわもの」と呼ばれ日本に稲作を伝えた隼人族は台湾の高砂族と同じで又フィリピン原住民とも近い民族でマレー・ポリネシア語族に属する。

人称による動詞活用と名詞・形容詞の格活用を持つインドの原住民ドラヴィダ語族が更に西へ進んで、古代エジプトのハム語族を生んだ。古代エジプト民族の今日に於ける末裔はエチオピア人、ソマリア人である。

冠詞を持たないハム語族は、冠詞を持たないが関係代名詞を持つ古典ラテン語族(SOV)の古代ラテン人とスラブ語族(SVO)を生んだ。

ハム語族(SOV)から人称による動詞活用と名詞・形容詞の格活用と至る所に冠詞を持つセム語族(VSO)[ユダヤ語、アラビヤ語]とギリシャ語族(SOV)[ギリシャ語、アルバニア語、アルメニア語]が発生した。

古代ラテン人とギリシャ人はヨーロッパで発生したのだが、古代ラテン人の中、ルーマニア人だけをヨーロッパに残して、古代ラテン人とギリシャ人は紀元前4万年頃に大西洋に有るアトランティス大陸へと移住した。

紀元前2000年頃に水彗星が地球に衝突してノアの大洪水が起こり、ユーラシア大陸ではセム語族(VSO)から、言語進化が性能を上げる方向に転じ、文法の複雑度において退化して発生したのが聖書で言う“ヤテベ”=白人(地球上現在唯一の現生人類のホモサピエンス・サピエンス)のゲルマン語族(SVO)[ドイツ人、オーストリア人、アングロ・サクソン人、オランダ人、デンマーク人、スウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人]である。

ノアの大洪水が起こって海の水が急に増えてアトランティス大陸の平野部を海が蔽い、その海水の重さでアトランティス大陸全体が沈み、その地に移住して居住していたギリシャ人と古代ラテン人は海に放り出され、以降長きに渡ってギリシャ人と古代ラテン人は海の民となった。

古代ローマ人にゲルマンが混血して出来た現代ラテン語族(イタリア、スペイン、ポルトガル、フランス)(SVO)である。

ついでまでに述べると現在地球上に住む全人類の中、蒙古班を持たない人種は現生人類白人のゲルマン民族のみである。白人でもクロマニヨン系白人であればギリシャ人も蒙古班を有する。“ギリシャ人 蒙古班”と入力してGoogle検索をして見て下さい。白人でもクロマニヨン系白人であればギリシャ人も蒙古班を有する事がお分かりになると思います。

フランス語の場合の、他動詞を否定すると不定冠詞がdeを伴う部分冠詞となる現象は、deとは元々所有格を表す前置詞でも有るのだから、ロシア語に於いて他動詞の目的語の位置に置かれる目的語は、その他動詞が否定されると、その目的語が物であった場合にも生格(所有格)にしなければならない文法規則と相通ずる所が有ると見る事ができる。

このラテン語とスラブ語(ロシア語はその一つ)に共通な否定生格の言語現象は、ハム語(古代エジプト語、その末裔の今日のエチオピア語、ソマリア語)の末裔のセム語(ヘブライ語、アラビヤ語、アラム語)と、その又末裔のゲルマン語(ドイツ語、デンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語、オランダ語、英語)には無いが、ハム語とその祖先のドラビダ語(御釈迦さんが混血していたインド原住民のタミール語、シンハラ語)にまで遡って共通に存在する言語現象である。

此処から、ドラビダ語族からハム族が発生し、ハム族から直接スラブ族とラテン族が発生し、同じくハム族からセム族が発生し、セム族からゲルマン族が発生した、人類の系統図を垣間見る事ができるのである。

もっと遡るなら、ムー大陸が沈んだ時、南西へ逃げた当初黒人系のドラビダ語族と、北極を通って北へ逃げた白人系ウラル語族と、西へ逃げた黄色人種系アルタイ語族の全てに共通に名詞の格変化・動詞の活用が有り、ドラビダ語族とウラル語族には共通に人称に基づく動詞活用が存在する。ムー大陸の白人のウラル語族には、北極を超えず唯一アジアに留まったアイヌ人、バスク人、フィンランド人、エストニア人、グルジア人、チェチェン人、ハンガリア人(=匈奴のアッティラ王は長頭で鼻が根元から非常に高い白人の頭がい骨を有し、ムー大陸系白人である)、そしてハンガリア人が宗教的にユダヤ教に改宗したハザール=アシュケナジー(つまりハザールとはハンガリア人であり、ムー大陸系白人であって、ヨーロッパ系白人ではない。但しハザール=アシュケナジーが使ったイディッシュ語は土着した地のドイツ語にほぼ同じ。ここで確認すべきはハザールとは人種的にヨーロッパ系白人・ゲルマンではなく、ムー大陸系白人のハンガリア人である。)が属し、ムー大陸系黄色人種アルタイ語族にはトルコ系(カザフスタン人、アゼルバイジャン人、キルギスタン人、ウズベキスタン人、新疆ウイグル人)、モンゴル人、ブリヤート人、満州人、新羅人(今日の朝鮮韓国人)、百済人(今日の弥生系日本人)、太古のシュメール人 [註 ]が属し、ムー大陸系黒人ドラビダ語族から派生した古代エジプトのハム族からは、先の段落で解説した諸々の語族・民族が系統的に派生した。

今日のイスラエルの国歌は“東へ東へ東へ東へ行くとエデンの園が有る。”との歌詞を持っているが、これを聴いて日本人は、それは極東の日本の事だろうと考える人が少なからず居るが、実はこれは日本より更に東のムー大陸を意味する。何故なら、セム語は古代エジプトのハム語から派生し、ハム語はインドのドラビダ語から派生し、ドラビだ語族はムー大陸が7万5千年前に火山爆発で沈んだ時にムー大陸から南西に逃げ出した語族だからであり、セム族は元を正せば東の東の東のムー大陸から遣って来たからである。

黄色人種の原型の漢民族中国人は、ムー大陸系ではなく、アフリカの赤道直下の四声を音声学に持つコイサン語族(ホッテントット人、ブッシュマン人)がアジアに来て色素を失い黄色人種となって発生した民族である。

[註];元々日本列島でアイヌと共に平和に集住していたシュメール人は、アイヌのヤップ遺伝子を持って中東へ海路民族大移動をし、メソポタミアの地に人類初のメソポタミヤ文明を開闢したが、セム族に囲まれて支配し支配されてセムと混血し8000年の後にそのアッカド王国が攻め滅ぼされ、現トルコ領のアナトリア地方に逃げてヒッタイト王国を成した一団と、日本に戻って来た一団に分かれた。日本に戻って来た時、既にセムと混血していたシュメールはアイヌと戦争し、シュメールの最後の王子が日本武尊であり、弥生人=百済人上陸以前の当時の日本列島原住民の支配民族となり、日本全国に神社を創りその総本山はシュメール物部氏[註]が司った出雲大社であり、日本に戻って来て九州に陣取ったシュメールの当時の本州に於ける拠点はタケイナダネ王の名古屋[ナゴヤ]の名越[ナゴヤ]一族、海のつわもの三浦一族、ヒッタイトの流れを汲む古代製鉄所の有った石巻であった。日本にはこのヒッタイトと同じ石巻の製鉄所が古代から有った為に、青銅器時代が無く、鉄器時代が始まっている。

[註]:出雲大社を司ったシュメール系物部氏は後に、高句麗系曽我氏に敗れ滅亡する。高句麗系曽我氏は百済系中大兄の御王子(後の天智天皇)が百済系中臣鎌足(後の藤原氏)と謀って蘇我入鹿を宮中で暗殺した時に滅亡する。奥州平泉の藤原氏は蝦夷地に有るにも拘らず、アイヌでもシュメールでもなく、相当純粋な百済系である事が、今日残っているミイラから推察できる。

8000年間セム族に囲まれて生活した中東から戻って来た殆どセム化したシュメールが取り仕切っていた列島原住民の出雲大社を中心とした旧神道は、百済族の天皇一族が伊勢神宮を中心とした新しい神道へと衣替えした時、神社の裏手にアラハバキ神として祭られて今日に至っているが、この“アラハバキ”とはセム語のアラビヤ語で解釈すると“アラハ”=“アラッハ”=allah=اللهはアラーの神の意味であり、“アバキ”は“アバック”が「奴隷」の意味で、abakを所有格とする為に語尾に[i]を付けてabaki=of slaveの格活用をして「奴隷の」の意味になっている、と解釈できるのである。つまり“アラハバキ”とは「奴隷の神」の意味で有る。

聖徳太子は10人位の人を前にして同時にその10人と会話したとの逸話が有るが、これは実は百済語、高句麗語、シュメールの持って帰ったセム語、新羅語、中国語をマスターしていた聖徳太子が、集まった各国の客人との会話で同時通訳を遣ったと解釈するのが順当であろう。聖徳太子は天皇家(百済人)と高句麗人の曽我氏との混血で、新羅語を使って新羅と和を結び、中国語を使って遣隋使、遣唐使を送り、当時セム化して日本に戻ってきていたシュメール人達から学んだシュメール語=セム語を使って、当時滅亡した後秦から新羅経由で失われたユダヤの十士族の一つが日本に遣って来ていたそのユダヤ人“秦野”=相談役と意志の疎通が自由にできた、と見る事ができる。

太古の昔日本を発った頃のアイヌとの平和共存とは違って、8000年後中東から日本に戻ったシュメール族は、今度はアイヌと戦争してしまうのだが、石片にシュメール文字を刻み込んで、司令官の間で回し読みをさせれば、戦闘中にも戦術の変更が可能であったシュメール人に対して、文字を持たないアイヌ人は、戦術を変更するには司令官たちが一堂に会して合議せねばならない結果、戦闘において個人プレーしか出来ず、戦力に於いて圧倒的に劣っていた。“海の兵(つわもの)”シュメール人の日本武尊は東国を討ちに行くには至る所、敵と出くわす陸路を避け、必ず海路で移動した。三浦半島の突端の走水(はしりみず)の地に、日本武尊の妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)が海に入水して嵐が収まったという神話が残っているのは海の兵(つわもの)三浦一族[註]もシュメールであった事を意味する。つまり日本武尊は東国を征伐しに行くのに東国のシュメールの拠点まで海路行き、そこから上陸して、陸路進軍しアイヌと陸上の合戦を行ったと考えられる。

シュメールが九州を拠点としていた事は、日本武尊が東国の征伐に向かう為、そこから船出をしたと記録が有る宮崎県美々津川の河口の岩場にシュメール文字が刻まれており、また日本武尊が東国征伐に出陣する時に饗宴を開いたとの記録で示される今日の大分県宇佐に有る神社の御物にシュメール文字が刻まれた石板が残っている事からも、推察できる。

[註]:三浦一族の本拠は、今日その城跡が残る衣笠城(横須賀市の衣笠に有る)である。

中東から日本に戻ったシュメール族は九州に陣取っていたが、そこに朝鮮半島から百済族の天皇一族が来襲した。しかし文字を持ったシュメールは文字を当時未だ持っていなかった百済族よりも戦争をする上で優っていた。シュメール側は石片にシュメール文字を刻み込んで、司令官の間で回し読みをさせれば、戦闘中にも戦術の変更が可能であったが、万葉仮名を発明する以前の文字を持たない状態に有った百済族の天皇一族は初戦に敗れ、アイヌが治めている手薄な中国地方の瀬戸内海側を伝って近畿まで逃れ、其処に陣取った。

日本武尊は九州に陣取ったシュメール王国の最後の王子で、最後にシュメール人タケイナダネ王の尾張名古屋[ナゴヤ]から上陸して伊吹山に上り、百済族に挟み撃ちを受けて討ち死にしたが、その先何をしようとしていたかというと、琵琶湖の南岸をかすめて、奈良・京都の百済人の天皇一族を討とうとしていたと考えられる。

日本武尊が討ち死にして、九州のシュメール王朝も近畿の百済族の天皇一族に攻め滅ぼされ、家系として百済族の天皇一族に呑み込まれる事と成る。ここに天皇一族にシュメールを通してユダヤの血が混じった経緯が有る。あるいはその後、聖徳太子の時代に新羅経由で日本に遣って来たユダヤの失われた10氏族の一つの“秦氏”が、日本全国の神社を伊勢神宮系として再編成した際に、日本各地に伊勢神宮系神社擁立の為派遣された分けであるが、そのユダヤ人秦氏がその時期に直接天皇家に血族的に関係したかもしれない。

三浦一族は、日本武尊が伊吹山で戦死した時に同時に百済族に攻め滅ぼされたシュメールのタケイナダネ王の名古屋[ナゴヤ]から、名越[ナゴヤ]一族が海路逃げて、三浦半島の海のつわもの三浦一族の所に助けを求めて来たので、三浦は名越一族に鎌倉と逗子の境目に領地を与え、名越[ナゴヤ]一族はそこに“名越[ナゴエ]の館”を構えた。 

この名越一族は、後に三浦一族が源頼朝を、ぶっちがいになった岩の間を人一人だけ通れる名越切通し、稲村ケ崎切通し、朝比奈切通しによって守られた “陸の要塞”鎌倉に招致して以来、それまで逗子・鎌倉の境目の名越の地に陣取っていた名越一族は、頼朝とその後の執権北条氏に仕えることに成り、特に元々平家方であったにも拘らず石橋山の合戦以来頼朝に支えたが故に頼朝に重用されたが弱小軍勢しか持っていなかった北条氏により重宝がられた。少し時代を遡るが、源平の合戦時に、平家方より源氏方の方が海戦に於いて遥かに勝(まさ)っていたのは、源氏方には“海の兵(つわもの)”シュメールの名越一族、三浦一族が付いていたからである。

元寇を迎え撃ったのは北条時宗と言われるが、実は北条氏は弱小軍勢しか持っていなかったために、元寇の際の日本軍の主力はシュメール・名越[ナゴヤ]一族であった。

そのように元寇に於ける日本軍の主力ともなった程強い軍勢であった名越一族は、しかし、鎌倉幕府末代の北条氏に“後醍醐天皇を討て!”との命を受け、名越高家は足利尊氏を副官として京都に攻め上ったが、楠正成、赤松氏の曲者に敗れ討ち死にし、名越の大軍は雪崩を打って崩壊した。それを見ていて足利尊氏は寝返り、後醍醐天皇と結んで、室町幕府を開いた。

鎌倉では主力軍の名越一族が出払った後、弱小な手勢しか持たなかった執権北条氏の鎌倉幕府は、新田義貞程度の軍勢に稲村ケ崎切通しを超えて襲われただけで、あっけなく滅亡した。

鎌倉時代に養子一人を北条氏から送り込まれて北条氏に取り込まれた名越一族であったが、北条氏の鎌倉時代には日本各地に名越一族から名越越前の守、名越越中の守、名越越後の守、会津の守が送り出され、江戸末期に名越家は会津藩の中枢に有った。

会津藩は幕末に官軍に会津戦争で敗れ、名越一族は北海道に屯田兵として落ち延びたが、その際に未だ乳飲み子であった末子・名越俊六は、屯田兵として北海道の厳しい気候に耐えるには余りに幼過ぎた為に、会津に残った高い位の畑家(日本人の名前で発音が[ハタ][ハタノ]であれば文字に無関係に全てユダヤ)に養子として預けられ成人し、太平洋戦争末期には本土決戦の総責任者・畑俊六元帥となった。

本土決戦総司令官・畑俊六元帥は広島原爆炸裂の際に至近距離の国鉄広島駅構内に居たにも拘らず、殆ど無傷で、直ちに広島現地で救援活動を開始し、約一週間後に昭和天皇に東京に召喚され、玉音放送の直前の御前会議の直前に、3人の元帥のみを集めて昭和天皇は一つの質問をした。“本土決戦をしたなら、勝てるか?”というのが昭和天皇が3人の陸軍元帥に尋ねた質問であった。他の2人の元帥は、“良く戦って見せましょう!”と答えたが、広島原爆まで見て来た畑俊六元帥は“勝てる自信は御座いません。”と答えた。この畑俊六の返答が昭和天皇にとっていよいよ敗戦を認める決断をさせた、と言われる。この畑俊六元帥はシュメールの末裔である。