監督のブログ

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現代美術アーティストのポップな世界

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僕は元々は映像作家なので、作品をここでアップさせて頂きます。
モデルは鹿児島のちぃろろちゃんというモデルちゃん。
介護士をしつつモデルもしている子で、Simplogにいますよ。
元気で真面目で面白い子。
九州の女の子はなんかパワーあって、芸能人も多数排出。
飛行機で鹿児島まで初めて行きましたが、思ったより都会なんで
ビックリ。観光にはとてもいいとこだと感じましたね。
みなさんも機会あればぜひ鹿児島に。
ホテルが格安で沢山いいとこがありますよ。


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食欲の秋!ですが、これが危ない。笑 
が、これなら夜の炭水化物もOK!というのがこれ。
僕のオリジナル自信作ですが、まずトムヤムクンスープの素を買う。
それに生にんにくを入れ煮立てて真ん中に豆腐1/2丁、周りにタコとあさりのむき身となめこやきのこ類と小トマトと特大の海老を入れて煮込み、上にパクチーか三ッ葉を乗せる。
ここでは割愛しましたがむろん生玉子も温めて乗せる。
どこが炭水化物か?というとスープの底にクスクスという小粒のパスタが入ってるわけです。
スープを煮立ててる間に2分間蒸すだけで、そのクスクス皿にまず豆腐を入れて、スープを流し込めば完成。
トムヤムクンてあの強烈に<酸っぱいやつ?>と思うでしょうが、酸味も身体にいいですが具材の甘みと調和して、全然酸っぱくないですよ。酸っぱい方がお好みなら具材を海老とキノコ一種にして、クスクスの量を減らして下さい。あ、さらに唐辛子を加え、熱々の温度で脂肪を燃焼させましょう。
海老のサイズは予算に合わせてどうぞ。笑


<未来からは逃げようがないんです>

 

今後わけの分からなくなる世界と世の中を、どう分かりやすく説明出来るか?なんですよ。

部分的な話しだけしても未来は見えて来ないんですね。

オタク諸子が延々専門的でコアな話しをしても。足下の経済が吹っ飛べば一網打尽だったりしますから。専門家は必要だけど、これからは知的感性的な総合力がないと不安からは解放されませんね。

 

例えば。小池ちゃん蓮舫ちゃんの登場で、政界にも新風が吹きつつあるかのように見えるけれど、あの二人は共に保守政治家で、思想的には危ない。

蓮舫ちゃんの方がまだマシという程度で、女性だと言う点を除けばオッサン政治家と大差ないんです。

蓮舫は配偶者控除の廃止に賛成していますけど、あの案は単なる実質増税のためだけの自民党の老かいな策謀に過ぎないわけでね。その増税分で現在の財政赤字の<穴埋め>をしたいだけ。税制のシンプルな公平などというのは詭弁で、蓮舫ちゃんはそれを見抜けない人ですね。

自民も民進も共に保守本流の双子の兄弟で、大企業がスポンサーの企業エゴの召使い以上にはなれないですね。庶民生活を経済的に悪化させるだけ。

日本人はもう民族的にマゾ民族化しつつありますよ。

 

<学生運動を繰り広げる若者達がいる。経験が浅くて視野が狭いが、真面目に祖国の先行きを考え心配している。若者はあれでいい。>田中角栄

<戦争を知っている世代が社会の中核にいる間はいいが、戦争を知らない世代ばかりになると、日本は恐ろしい事になる>田中角栄

 

経済成長期の保守金権政治家でも、これくらいの見識はあったんですよ。笑

 

今後のしかかる親の介護問題やら、子供の給食費すら払えない貧困家庭やら、一生働いても家も持てない派遣労働者の未来を改善する気は、基本保守系政党にはないですね。いち議員としては善意の人がいてもね。

 

で、政界の<プリンス>が自民党イケメン二世議員?

増え続ける貧困家庭内悲劇や原発問題は隠蔽されて、日本は昔の南米諸国並みのレベルに落ちますよ。もう先進国すら脱落でね。

と、総合的に分析するとこうなるわけですよ。

そこから、各人自分のすべき事したい事を考える。選択の自由がまだあるんです。

 

日本全体は救えないかもしれないけれど、個人はまだ救える。

庶民生活に<溺れちゃいけない>というのはそこ。

でないと、あなたの親がアルツハイマーになった途端に、あなたの人生は八方塞がりになり、誰も助けてくれない現実がやって来るよと言いたいわけです。

ではどうするのか?

僕は答えれますけど、みんな現実逃避で、問題は先送り、そして今は趣味に逃げるとなる。ならその趣味でお金稼がないとドツボだよということですよ。そんなの電卓一つで計算出来る未来ですよ。

 

普通が安全の時代が終わり<普通こそ悲劇>の時代がやって来たんだと考えています。しかし、希望を持って進みたいと想います。共に、

 

 

 

 

 

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あるモデルちゃんのコンポジットのラフを作らせてもらってます。これはハガキサイズで、データとかはまだダミーです。コンポジットというのは日本語にすれば<宣伝資料写真>で、モデルエージェンシーはこういうものを出版社や広告代理店やカメラマンに送って、PRするわけですね。顔やデータ以外にもこの裏面とかに全身写真とかが入ってスタイルが分かるのが普通です。
若い子は笑顔の写真が普通で、この仏頂面はないですが、本人の自撮りなんで今はこうです。笑
笑顔が普通なのは、広告やファッション雑誌ではそのほうが好感度が高く楽しそうだからですね。
最近のモデルは変わった名前の子も多いですね。
<うんちむ>とかいう名前の子もいてビックリですが、一発で覚える。笑
この子の<ちぃろろ>というのも覚えちゃう名前でしょ。斉藤千秋とかいうよりも。
Chiiloloと英文表記しても字面がカワイイのでいいなと。
もう少しデザインロゴ化してマークみたいにも出来るスペルですね。
ちょっと考えてみます。
もう少し個性的な演出をすればアピール力あるモデルになるなと感じています。
写真によってかなり広いイメージを出せる子なんで。
19歳。いいですね、これからです。


<いま世界はどこを彷徨っているか?>

 

僕は1956年生まれですから、20世紀の中盤にこの世にやって来て、20世紀の後半50年と共に生きて来たわけです。

ちょうど青少年期に70-80年代のロックムーブメントがあり、その影響をモロに被った世代で、バブル経済期には東京で広告業界にいて、絵に描いたようなバブル経済経験をしたわけです。

まあ、時代の子だったわけですね。

 

バブル経済崩壊後、僕は業界の経済下降に巻き込まれたくなくて、足掛け4年半くらい海外を旅しました。

訪れた国は約30ヶ国近くで、カナダ、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ、中近東、インド・ネパール、東南アジア、インドネシア、中国、韓国などですから、まあ、アフリカと南米やオーストラリア以外の様々な文化圏です。

人間、2年以上海外にいると、ちと感覚が変わります。

日本だけが生きる場所ではない、というような感覚でしょうか?

閉鎖的な考え方が無くなるわけです。

また日本を相対化して観れるわけです。

 

これは同じような経験のあるバックパッカー達に共通しているようで、海外に移住したり、国際結婚したり、ごく普通に海外生活をしている人たちも沢山いるわけです。

国により状況はかなり異なりますが、それぞれ自分のマインドに合う国を選ぶのでしょう。

女性に特にそういう人が多いですね。

日本女性はまあ評判のいいブランドなので、相手側も受け入れやすい事もあるかもですが。

何を自分の幸福とするかは、人それぞれですね。

 

現在先進国の人々の抱えている精神的問題は、<近代功利主義の限界>にあります。

功利主義と自由主義は双子の思想で、今の先進国の基本的な哲学であり社会思想なんです。

それが当然普通であるというようなものの考え方ですが、それが近年危機に瀕しているわけです。

功利主義とは基本人間にとって、自分が不快なことは悪で、快感であることが善だという思想です。他人に大きな迷惑をかけない限りは、人は自由に自分の幸福追求のためには何をしてもいいという思想です。

これは基本が自分という個人が中心で、その幸福の追求なんです。あくまで自分が中心。

自分にとっての快不快やメリットデメリットが、すべての判断の基本であり、最優先課題なわけです。

それが競争社会と貧富の差を生み出す原因になり、現在このあまりの富の不均衡と、強者の弱者搾取が問題になってるわけですね。

 

つまり功利主義には、公平主義が含まれているわけではないので、そうなるわけです。

少ない勝者と多数の敗者をどこでも生み出さざるを得ない結果になる思想であるということですね。

この是正が求められざるを得ないのが、21世紀前半の人類の課題だと想うわけです。

ではどうするか?は政治の問題である前に、個々人の思想哲学価値観の問題なんです。

つまり価値観は同一なのに、損得のどちらの立場にあるかの違いだけで政治的にモメているだけなら、立場が逆転してもこのモメ事はずっと続くわけです。

そこが功利主義の限界なわけですね。みんな自己中なだけで立場の違いというだけの事ですからね。

 

それを是正するために社会主義思想やらなんやらも出ては来ましたが、人間の自己利益主義は変わらず、北朝鮮みたいな<公平な>国も出現するハメになったわけですよ。笑

ならどうすればいいということを、今後ここで展開してゆきたいんですが、これは基本政治の話しと言うより思想文化の話しなんです。

一度ちゃんと真面目に考えてみる、というスタンスがないとそれは出来ませんね。

これは個々人の人格の問題なんです。

しかし、精神医学的にも経済学的にも科学的にも、そういう方向性に進むしか人類に未来はないんです。

現実はゲームでもアニメ世界でもないですからね。

僕はアート表現を基本にして、そういう現代の問題を人々と共に考えて生きたいと想っています。いや、出来るだけ分かりやすい例をあげながらです。

考える事を歓びにしないと、これは継続出来ませんからね。

コラム風に進めたいなと。よろしくです。

 

 

 

 

<日本青年の大量殺人の心理>

酷い事件が起こりましたね。テレビでも大騒ぎですが、日本だけでなく、国際的にもこういう事件が多発傾向です。

刺青を入れ整形する心理と、大量殺人をする心理には根底に共通性がありますね。また、多くの大量殺人者が男なのにも心理的必然性があります。

実はこれは文化の問題なんです。彼は異常者というより、<心の闇にハマってしまった普通の青年>だと思います。


警察の護送車の中で、大量殺人者は楽しそうに笑っていますね。今日からはそれまでと違い、ヒーローであり有名人だからですよ。やったぜー!という心理。<理由はなんであれ>注目を受けれる存在になったですから。こういう水準の男はいくらでもいますよ。街にいくらでも歩いている。 


起こるべき事件が起こるべき時にちゃんと起こる。法則の正確で怖いところです。むしろこういう事件はこれからが本番。

近代功利主義自由主義思想の行き着く果ての必然なんです。それを乗り越える思想哲学こそが現代の潜在需要で、僕はそれを提示したいと思いますね。分かりやすい形でね。女の子の共鳴が大事です。人類の半分は女なんですから。 


刺青を入れ整形する心理と、カワイイ服を着て化粧をし、それでも不足なら美容整形する心理は全く同じ心理ですね。人目を気にしてるという事ですよ。注目と異性の好意を得たい、自分を人並み以上の存在に思わせたいという心理。どうすれば特別な存在になれるか?要はそういう心的欲望でしょう。 

自分の顔をネットやテレビにハッキリ出して、自分を見てくれと主張している。世の中のために、存在不要と考える身障者をポケモンGOとさほど変わらない感覚で殺害して<高得点>を狙うわけです。そこではアキバの加藤君同様<数>が問題なんです。ショボくては<スゲー!>とは世間に言ってもらえない。オリンピック選手のようにガッツポーズもとれない。


こうして
(戦後70年最大の個人による大量殺人が起きます。護送車の中の彼は、ノリですよノリ、という笑い。ビックリしたでしょ、エヘヘ。というノリ。同時に犠牲者の遺族には大変申し訳ない、とすぐ発言している。段取り芝居なのです。自分のドラマを作演出主演しているわけで。ウケたよね、という満足感。程度の差こそあれ、若い男たちの多くが、そういうノリを持っている。どうでもいいや、と思えば何でも出来る。ただひっそりと消えて行きたくないだけ。せめてひと花咲かせようという感情にハマっただけのこと。 


根底にあるのは人間哲学の問題であって、彼個人の特殊性ではありません。むしろ特殊性がないから怖いわけですよ。あなたの彼氏であれ友人であれ、同じ事をしかねない。ちょっとズッコケれば誰でもなりうる。彼も学生時代は親切でマジメな男子だったんですから。 


オリンピックで日本人は大健闘ですね。同じ情念でも、いい方向と悪い方向があり、それがどちらに向くか?それはみんなで考えて行かないといけない問題だと思います。

人任せではなくね。このコラムにある根底のテーマはそれです。

<あなたも人類の歴史に参加しょう>

20世紀までの人類の歴史を振り返ってみると、それはひとことで言えば<男の歴史と文明>だなと感じるわけです。 
戦争、闘争、発明、技術革新、企業文化、拡張拡大主義、政治文化。まあ、男の発想からきてる文明文化だなとね。 
特に20世紀などは技術革新と戦争が爆発的に連続して、この地球にものすごい<富の不均衡>を産み出した世紀だと思います。 
で、現在連発しているテロ事件なども、結局はその歪みから産まれて来たもので、もう大きな戦争は経済的にも国際感覚からもやりにくいですが、この極端な富と権力の不均衡や不平等をなんとかしないと、テログループというのは世界のあらゆる地域で産まれて来る可能性があるわけです。 
政治経済的に抑圧する側とされる側。そりゃ抑圧されるほうも黙ってはいませんよ。泣き寝入りばかりしてられないわけですからね。 

第二次世界大戦後、旧西洋植民地各国の独立運動が盛んになり<植民地>などというものが、もう<あってはならないもの><民族独立自決権><人類の基本的人権の確立>は、当然のものとなりましたが、そこまで来るのに人類はどれだけの世紀を必要としてきたかを考えれば、もう富の不均衡も<あってはならないもの>と人類が理解して、それが是正されてゆくのにもかなりの時間はかかるだろうとは誰もが思うことだと思います。 

しかし、幸いにして<インターネット>の発明拡大で、僕らは自宅にいても<今、世界では何が起こっているか>を、小学生でも瞬時にして知る事が出来る時代なんですから、今でも人類の1/3は<飢えている>という事実を知れば、誰だって<なんとかしたい>とは思うわけですよ。 

要は<テロはあってはならないもの>ですが<テロを産み出す富の非均衡もあってはならないもの>というのが僕の考えです。 
原因がある限り、それを変えない限り、抑圧の結果としての<テロ>はなくならないだろうと考えるわけです。 

21世紀というのは、それを考えて人類が<戦争とテロの原因を解消してゆく努力をする世紀>だと考えています。でもそれは、僕的に言わせてもらえれば、政治や権力闘争だけでは実現しないだろうと思います。 
インターネットをとおして<世界の人々が声を上げること>。 
真実を伝え考えた上で、国際的な文化的なパワー<非暴力>で世界を変革してゆく世紀になるだろうと考えています。 
情報操作や隠蔽や攻撃的なスタンスではなく、個々人が率直な人間の心の声を上げること。 
歌や音楽や映像や言葉をとおして、政治家ではなく文化に関わる人間こそがリーダーシップをとりつつ、権力を求めず、子供達の未来のために<大人としての義務>を果たすという心構えがいま求められているのだと感じています。 

明治の哲学者三木清という人は、こんなことを言っています。 
『わたしたちがこの世界から去ってゆく時には、来た時よりも、もっとより良い世界を残して去っていこうではありませんか』と。 

人類の大人達がみなそう思うようになれば、21世紀は人類史の中でも最も<素晴らしい世紀>として、未来の人々から記憶される世紀になると思います。 

人類の歴史に参加するという<ライフスタイル>の確立。 
インターネットはそのために人類に与えられた<素晴らしい発明>だと僕は考えています。 

写真はちょっとしたユーモアですが、みんながこういう感じになって欲しいですね。笑