放置してどれくらいたったかも考えることがめんどくさいくらい放置してました(笑)

ほとんどFacebookで済ましていましたからね

久しぶりに今年を振り返って気持ちの整理もの兼ねて書きたいと思います。

2014年のはじめ、「与える」という思いが与えられ、

自分の持てるものを与えていくという決心をしました。

しかし、経済的に誰かを支えるなどということは我が家のお財布事情を見ても

家庭を支えるのが精いっぱいだったので、自分が持てもの「経験」「賜物」「技術」などなど

を「与える」ことを心がけていました。

そう決意したところに、ブライダル業者の方から司式の仕事が入ってきました。

ホテルでの司式は宮城にいた時代にやらせてもらっていたので、

やることはできたのですが、その時はあまり好きではありませんでした。

なぜ、クリスチャンでないのに自分の信じている神様の前で誓わせなければならんのじゃ!!!的な考えで心の中に拒否感がありました。

しかし、今回は「与える」という決意をしたので、自分の経験を生かしていくという意味で、

ブライダルのお仕事をお受けしました。しかし、牧師という肩書はありませんでした。

その時、教会の牧師から、副牧師として働くことを勧められ、前の教会では同じような働きをしていたのでそれも「与える」という決心の中でお受けしました。神様のみこころならばと。

ブライダルの仕事は、始めの気持がぬぐえませんでしたが、ある牧師と出会い、その牧師が自分と同じ考えで司式をしている姿を見て、正直「かっこ悪い」と思わされました....

かっこいい、かっこ悪いの問題ではないのですが、その中でブライダルを通して、自分は何を与えることができるのか?ということを考えるようになったのです。

自分ができることは、5分間という短いメッセージの中で、どれだけストレートに十字架のイエスキリストの愛を伝えることができるかでした。そして、そのことを心がけて司式をさせていただくうちに、私の中にブライダル=クリスチャンでない方、聖書の言葉に触れることのない方に、聖書の話を堂々とさせていただける場所と変わっていきました。

結婚生活の中においても聖書の教えは素晴らしい羅針盤となりますので、新郎新婦に対しても、結婚への助けとなれるように語ることができるようなりました。

それと同時に副牧師として働くこともできるようになりました。

その後、ラブソナタや、ライフラインの十勝合同礼拝での賛美奉仕などなど、
色々な働きへと導かれていくことになりました。

北海道へ来た目的の一つである、妻の祖母との同居も、今年の7月に、かたくなにクリスチャンならないと言っていた祖母が受洗!!!!クリスチャンとなり、その4ヵ月後に天へと凱旋していきました!

そのことを通しても、神様への信仰を深くしました。

そして、先日宮崎に帰郷したとき、いろいろな牧師先生やクリスチャンの方の証を聞き、
「神様ってどんな場所、時、状況でも働かれるんだ」と感じることができました。

今まで、そのような証を聞いては来ましたが、嫉妬や「自分にはできない」という思いがその気持ちを阻んでいたのが嘘のようになくなっていました。北海道での3年間で私自身も変えられたんだなあとその時感じました。

その後の父との対話の時も、今までと違う思いで父と対峙でき、心の中のモヤがすっきり

今まで、やろうと思ってもできなかったこと、やらなきゃいけないと思っても続かなかったことが、「なんでこんな簡単なことができなかったんだろう?」と不思議に思うほどに、心の便秘がすっきりし、入らなかったギアに入った感じです!

来年も主に期待して歩んでいきたいと思います