明るく元気な霊媒師ASACOドキュメンタリー(3)  | LIVE TRAVELER 豊かな旅をする人生の方程式

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明るく元気な霊媒師
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>>二つ前の連載、ドキュメンタリー(1)からご覧ください。


それから、2年、
母の死後出会った、
魂の巡り合わせで私の「過去生で母親だった」男性と結婚をしました。

今思えば、
そのときのベストで2人の人生のカルマを互いに解消するための旅でした。


彼の無言のサポートにはこころから感謝しています。
この無言のサポートがなければ私は、
間違いなく今の立場ではいられなかったことでしょう。


本当に本当にありがとう。


今、素直にそれを伝えたいです。

天使のセラピー、
ドリーン博士のエンジェルセラピー(R)にであったのはこの頃でした。

結婚生活に大して、本当に不安をかかえ、
「良き妻」「良き嫁」「よき女性」を演じようとしてしまったのです。

また大義名分を背負ってしまいました。
自分の感性、心の声、本心を押し隠して。

30代の女性として、こうあるべき。
このようなことは年の割には恥ずかしい事、みっともないこと。
年相応の相応しい行動をしなければ。


そんな事ばかりを考えていました。

四角四面で融通が利かない。
自分の気持ちが行き場がなくなる事が起こると辛くなり、
人の事ばかりでも辛い事ばかりなのだと
ぐるぐるしてはっきりしない
なにもかもがうまく行かない・・・そんなふうに痛感する日々でした。

本当に本当に苦しかった。

おもいだせばじわっと涙がこぼれるものの、
しっかりと泣けない。(大声をあげて泣き叫べたらどれだけ楽だっことでしょう)

まだまだ乗り越えられない母の死について思い悩み、
父と2人の生活に戸惑い、
そして自分自身の人生が全く見えない暗礁に乗り上げていて、
どの一に居るのか海図や羅針盤があっても全く見えない
見えていても、見たくなかった
そんな時間がずっと流れていました。



誰かの役にたちたいけれど、
私は本当はどうしたいんだろう・・・
私なんかに人をいやすなんて事ができるんだろうか?
私なんかがそのようなことに携わる資格があるのだろうか??・・・




この頃からとても深く考え思い悩むようになりました。



そんなわたしの想いを軽くしてくれたのが
ドリーンさんの書籍たち、ドリーンさんのエンジェルオラクルカード達でした。

エンジェルのことを私に伝えてくれた素晴らしい女性とは
今残念な事にお互いの道が分かれてしまいましたが、本当に素晴らしい出会いでした。

この方との出会いも、
実はmixiがもたらしてくれたものでした。

毛嫌いしてきたネットの世界が私にはっきりと広がりをもたらしはじめた
そんなタイミングを逃さずにやって来れた事は、
本当に天使やマスター、守護霊さんのお導きだと深く感謝するように変わって
いったのです。

「感謝がたりない」

そうやっていつも亡き母にしかられてきたわたしに、
ものすごく深い感謝の気持ちがどんどん湧き出てくるようになったのです。

初めて買ったのは大天使オラクルカードでした。

今でも購入したときの事を良く覚えています。


1枚ごと本当に綺麗で、見ているだけで、もっているだけでいやされる感覚


がじわーっと手から胸に
そして涙にかわっていくのが分かったくらいです。

毎日毎日、大天使のカードを引きました。

先輩でありご活躍されていたATP(R)の講座を受講し、
そしてこの年の秋にはドリーンさん本人に師事する講座を受け、
エンジェルセラピープラクティショナー(R)(ATP(R)) として活動をするようになりました。


今の私を築いてくれた大きな要素は沢山ありますが、
忘れてはいけないのが「実践」という大事なバイブル。

1年でレポートを出すために必要だったモニターセッションの人数は
先輩とドリーンさんの講座両方をあわせてトータル50名分


でも・・自分の技術に納得したかった私は、


トータル400名近い方のセッションを初年度にして実践する・・・・


楽しくて夢中になって、ただただ、何かを伝えるために必死で、
気がついたらとんでもない数のセッションをこなしていました。

これは記録が残っている物だけをカウントしたもので、
少し見てほしいという同僚や偶然居合わせた場所で突如行った物はカウントに
含んでいません。

でも改めて数えてみてとても不思議なくらい、
どうやって生活していたのだろうか?
とおもう程の集中力でこの年を乗り越えたようです。

もちろん専業主婦ではありませんでしたので
通常のお仕事がフルタイムでありました。
本当にもうもう、すごいエネルギーが突き動かされていた・・としか言いようの
ない状態です。

その甲斐あって、
セッションの組み立てや方法、オリジナルの開発の仕方については
わりと速い段階から自信をもって提供を開始する事ができたように思います。

翌年の秋には会社を退職し、
自分で自分の人生を切り開くためこの道に専念する事を決意しました。

あっという間でした。
本当に本当にこの道に進もうという決意をするという行為も
あまりにも自然でした。

そこから全ての人生が切り替わって行きました。

一見辛く見える事も、
どんどん、どんどん、幸福の鍵であった事が見えるようになって行ったのです。


気がついたら・・
あれほど辛くても泣けなかった母の事を乗り越え始めていました。

魂の世界を正しく認識し始めている。
人の役に立つ事でお互いをいやし合う事ができるんだ・・・

と実感する毎日が始まって行きました。

⇒続く