霧隠れ ~見事な5200名の大救出! | 日本と中国の真実に迫る!

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おはようございます。
長谷川です。


昨日は、「不屈の武士道精神で戦う池田連隊長」を
ご紹介いたしました。

今日は、まるで忍者のように
霧隠れし、大軍に囲まれた島から
5200名上の日本人を救い出した作戦
をご紹介します。


○作戦の概要

1943年(昭和18年)7月29日に行われた
日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことです。



キスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず
日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功しました。

これは、後に「奇跡の作戦」と呼ばれます。


○キスカ島の孤立


日本軍は1942年6月、ミッドウェー作戦に伴い
アメリカの領土であったアッツ島、キスカ島を占領します。

しかし、1943年5月、アッツ島はアメリカ軍の猛反撃により再度、アメリカに占領されます。
周辺にはアメリカの艦艇が包囲をし

さらに東のアトムチカ島にも米軍基地を建設します。

すなわち…
キスカ島にいる守備隊(陸海軍あわせて6,000名余)は完全に孤立しまったのです。


アッツ島にアメリカ軍が上陸した時点で増援を送ることは
地理的にも兵力的にもほぼ不可能に近く、
まだ守備隊が戦っていた5月20日にはアリューシャン方面の放棄が決定。
まだ敵軍が上陸していなかったキスカ島は守備隊を撤退させることになったのです。


○水上艦での救出計画


当初、潜水艦隊にて救出を行うも…失敗してしまい、
水雷戦隊での作戦行動が計画されます。

ただし、正面から堂々と行えば戦闘となることは目に見えていたので、
2つの条件が提案されます。


1,この地域特有の濃霧が発生・視界ゼロに近い状況で突入すること

2,電探及び逆探を装備した艦艇がいること

の2つです。


濃霧の発生は、空襲を受けずに済むことが理由であり、
キスカのすぐ東側には米軍の航空基地(アムチトカ島)があったため、
上空援護のない当作戦中に空襲を受ければ全滅の危険があったためです。


また、この当時に濃霧の中、空襲が可能な航空機は存在しませんでした…。

第2の条件は、濃霧の発生は自軍の視界も当然奪ってしまうため、
それを補うために必要とされた。当時の巡洋艦・駆逐艦クラスでこれを装備していた艦はほとんどいず、
木村昌福少将の要望により、就役したばかりの新鋭高速駆逐艦「島風」を配備しました。



・島風は就役当時から二二号電探と三式超短波受信機(逆探)を搭載していました。



○第一次救出作戦


1943年7月15日に一度はキスカ島への突入を試みるも、
霧が晴れてしまったため断念、帰投し好機を待ちました。

木村少将は、「帰れば、また来られるからな」という名言を残して去ったのです。



手ぶらで帰ってきた木村への批判は凄まじかったが、
木村はそれらの非難を意に介しませんでした。
(この慎重な行動は木村自身がこの年の2月に参加したビスマルク海海戦の敵空襲を受けた経験から来ていると言われます。
上空援護のない状態での空襲は水雷戦隊にとって致命傷だということを、木村は嫌というほど知っていました。)


○第二次救出作戦


そして7月29日に絶好の濃霧が発生。米艦隊が包囲を解きました。
一瞬の隙を突く形でキスカ島に突入、わずか55分で守備隊員5200名を収容、キスカ島を撤収したのです。



艦隊は7月31日から8月1日にかけて幌筵に全艦無事帰投。
気象通報に出した潜水艦もその後全艦無事帰投し、
ここに戦史史上極めて珍しい無傷での撤退作戦は完了します。


戦闘詳報によれば、各艦の収容人数は以下のとおり。
阿武隈 1,202名
木曾 1,189名
夕雲 479名
風雲 478名
秋雲 463名
朝雲 476名
薄雲 478名
響 418名、合計5,183名


○アメリカ北太平艦隊の不可解な動き


日本の救出作戦が実行される直前の7月26日
アメリカ北太平洋艦隊は、キスカ島の遥か西に
レーダーで幻の日本艦隊を捉え、無数の砲弾を海に放ちます。


その結果、補給のため、7月28日にアトムチカ基地に帰島したのです。

翌日、アメリカの包囲が解かれたキスカに日本艦隊は近づくことができたのです。


さらに救出後、既に日本軍がいないことを知らないアメリカ軍はキスカ島攻略のために、
艦艇100隻余りを動員、兵力約34,000名をもってキスカ島に上陸。

艦隊による十分な艦砲射撃を行った上で上陸、
極度の緊張により各所で同士討ちが多発、死者約100名、負傷者数十名を出してキスカ島攻略を完了した。

アメリカの戦史家サミュエル・エリオット・モリソンは
『アメリカ海軍作戦史』で

「史上最大の最も実戦的な上陸演習であった」と皮肉っています。

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このとき、救出作戦を行った
木村少将は、冷静な判断にて作戦を指揮しました。


第一回目は霧が途中で晴れたため
途中で帰島しましたが、二回目は総合的に判断して
キスカへ…
この決断は有名な戦史として語られることとなります。

アメリカ北太平洋艦隊が幻の艦隊を捉えたのは
「アッツ島の英霊だった」というように語っている方もいます。

見えない力が日本軍に加勢した可能性は否定できません。


大東亜戦争は様々な名場面がありました。

これを現代的価値観に置き換えても
通ずる部分は多々あるでしょう。


十数年ほど前、日本企業へ中国大陸への進出を促したマスメディア…

しかし、今となると政治的・経済的な相違から
現地での経営が難しいと判断した企業も多く存在します。

煽られて大陸に進出し…
やがて失敗が芽生え始めたとき、冷静な判断力にて
撤退をすることもひとつの英断だと思います。


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