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お茶の子 あーりん推し ももクロ雑記帳

茶畑に育てられたお茶の子あーりん推しです。
(通称、お茶の子)
こんな単なるモノノフのブログに
来て下さりありがとうございます。
ももクロについての思いつきを
ブログ更新しています
稚拙な文章ではありますが
見て行って下さい

この数週間、感情が目まぐるしく動かされ、思考も頭が痛くなるほど回していた。

もちろん、発端は杏果の突然のももクロ卒業である。




何が起きたのかわからず、唖然とする人。

悲しみと寂しさに押し殺されそうな人。

裏切られたと、怒りを言葉にぶつける人。

引き止めたい気持ちを堪え、杏果の気持ちを理解しようと、もがく人。

「それは、お前のワガママだろ」と、他者を批判する人。

やめる理由は、こういうことだと持論を展開する人。





本当に多くの人が、自分や人の感情・考えと向き合い、戦っていた気がする。

そんな人たちの言葉が、波のようにTwitterのタイムラインに押し寄せていた。

幕張メッセでの、杏果のラストステージが終わった後でも、ここ数日でも、そんな場面はあった。

思い返せば、今回のことだけではない。

Twitterでは色んな議題が度々巻き起こり、その度に色んな人の考えと感情が流れていった。


そんな中で、思ったことがある。

僕らは、なんで気持ちや考えを共有するんだろう。

Twitterやブログなんかの使い方は人それぞれだから、きっとたくさん答えはある。

そんな中で一つの答えとして、
「共感が楽しい」がある。

今回のような、悲しみや寂しさ、怒りの共感は「楽しい」とは、遠いものだと思う。だけど、それを仲間と分かち合うことで、少しだけ安心感を得ることができる。



もう一つは、
Twitterに愚痴をこぼすのは、海に向かって
「バカヤロー!!」
と叫ぶことに近いらしい。

共感も、返事も求めていないけれど、心の叫びを吐き出さずにはいられないということなのだろう。



ただそういった色んな理由によって、不特定多数の人に投げられた心の叫び声は、時に人を傷つけたり、何かを奪ったりする可能性がついて回る。

批判する人というのは、そこで
「それはお前のワガママだろ。」とか
「そういう意味で、杏果はその言葉を使ったんじゃないだろ」とか
言葉を返す。



じゃあ、そういった感情はどこに吐き出せばいいのだろう?


別に、批判する人を止めるつもりはない。

むしろ、正しいことを正しく言う人は、必要だ。
そういう人がいないと、何が正しいのかわからない時が僕にはある。

若くて、人生経験も浅い僕には、正しく判断ができて、尊敬できる方とつながりを持っていたいと思う。


でも、単純に疑問に思った。

じゃあ、このモヤモヤは、どうしたらいいのだろう?


誰か仲のいい人に会って、話し合うのも良いのかもしれない。
対話を通して、自分の考えを整理することができる。
それが反対意見をもつ相手でも、対話を通して、その人の考えを受け入れやすくできる。

しかし、それができない人はどうするんだろう。



ツイートを非公開設定にして、対話ができると信頼する人だけにしか見えないところで、吐き出すというのも手かもしれない。



じゃあ、そういう人がいない場合は?
それにそうした限られた人の中で、正解は見つけられるのだろうか?


結局、最後は気持ちを飲み込むしかない・・・


今は、インターネットによって、全国・全世界の人が交信できる時代だ。

近くに友達がいなくて孤立してしまった人でも、ネットを通じて仲間を作れるという、そんな人と人とのつながりを強くできる可能性がネットにはあるはずだ。

140字という感情や思考の切れ端でだけで、共有されてしまうTwitterには、人の複雑な気持ちを伝えることはできないのかもしれない。

一部の負の感情は、不特定多数に公開する形では吐き出してはいけないものなのかもしれない。

ただ、話し合いにもなっていない言葉の掛け合いじゃなくて、もっとお互いの価値観や感情をわかりあうための対話ができると思う。
というか思いたい。



それなのに現状は、人を攻撃してばかりだ。
僕だって、人を攻撃しているときはあった。

その時の言ってる内容は正しかったかもしれない。
それでも、正論という凶器で、相手の心臓をグサッと一刺し していたかもしれない。

そうやって人を追い詰めていたかもしれない。
こうやって今書いていることも、正論で誰かを突き刺しているのかもしれない。

もっと相手の気持ちを思いやりつつ、
「でも、それってこういうことじゃない?」
と話せないだろうか。

もし、そんな思いやりをもって、言葉をかけたつもりでも、言葉の捉え方は人それぞれで、結局ジワジワと追い詰めてしまう。

それにイチイチ、誰かの気持ちを思いやりながら発信するのは、すごく面倒だし、疲れる。

そして、僕は、また誰かを攻撃してしまい、自分が嫌になる。
自分の無力さを感じ。
変わってほしいことなのに変わらないだろう世の中が寂しくなる。


もう考えすぎて、なんだか疲れてしまった。

だから、僕はTwitterから離れることにした。
いつ戻るのかは決めてない。
戻りたさもある。
でも、また戻ったら、誰かの意見にモヤモヤしてしまうのが嫌だし。それでまた人を攻撃している自分に戻ってしまうのも嫌だ。



それでも、できれば信じたい。


理由は、
「モノノフなのだから」
というと、
「モノノフにも色んな人がいて、派閥もあるだろ」
と言われるかもしれない。


でも、少なくとも、
「人を幸せにする」
ということを夢に掲げたアイドルを
みんな好きになったはずだ。

それなら、自分も
「人を幸せにする」
ということを心のどこかで望んでいるんじゃないかと思う。

というか、ももクロが好きじゃなくても、
人ってそう望んでいるものだとも思ってる。


前に夏菜子が言っていた

周りの人で、私達に興味が無い人には、手が届きません。皆さんが代わりに沢山の人を笑顔にしてください。そしたら笑顔の輪が広げることができます。みんなと一緒に世界中を笑顔にできたらいいなと思います!


その言葉は、ここにつながってはいないのだろうか?

それとも全部、現実には不可能なのだろうか?