こんにちは!

「男のストレスをアロマで癒す専門家」
アンスリールの星野知子です。

今日は
「アロマテラピー」という言葉が
生まれる以前の

香りの歴史について
ご紹介しますね。

5万年前の
イラク北部の
シャニダール遺跡から発掘された
ネアンデルタール人のお墓の土から


コーンフラワー(矢車菊)
ノコギリソウ
タチアオイなど
数種類の花の花粉が
発見されたそうです。

この頃から人は
死を悼み、死者への弔いに
花を手向ける風習が
あったようです。

そして人類は
火を手に入れることによって
香りと出逢ったと
考えられています。


香(香料、香水、芳香)
を示す英語
「Perfume」は

ラテン語の
「Per(through)+fume(煙)」

すなわち
「煙を通して」
「煙によって立ち昇る」
が語源だといわれています。

火によって生じる煙は
香りとともに天に昇っていく。

それがどこか
“神と通じる”と
思われていたようです。


古代エジプトでは

香料は
神への捧げ物(薫香)として
宗教的な目的に
多く利用されていました。

また
香りは「甦り=再生」
に繋がると考えられており

香料は
古代エジプト人にとって
欠くことの出来ない
アイテムだったと思われます。

まずは
私の大好きな
古代エジプト(紀元前)の
香りの歴史について
ご説明しますね。



香料が
初めて歴史に登場するのは
紀元前3000年頃の
メソポタミアです。

シュメール人が
レバノンシダーで
神への薫香を捧げていたことが
記録されています。

古代
香料類を消費した最初の人々は
聖職者(神官)たちでした。

聖職者(神官)は
最初の調香師であり
最初の芳香療法家
といえるかもしれません。

ギザにある
スフィンクスの基部には
 
「トゥトモス王
(紀元前1425~1408年)が
この獅子身の神に
薫香と神酒を奉献した旨」
を記した
花崗岩の板があります。

香りの持つ神秘的な力は
宗教的な目的だけでなく

王や特権階級の人々たちにとって
「権威」を表す
小道具のひとつとして
使用されていました。

香料の使用が
一般的になっていくにつれ
医師も使うようになりました。

当時
「薬」と「香料」は
はっきり
区別されていませんでした。

紀元前1580年頃にはじまった
第十八王朝期

エジプトの貿易量が増大し
国力が著しく伸張した時代でした。

文学・芸術・絵画や彫刻が栄え
香料についての知識も
非常に深まったと
考えられています。

この第十八王朝時代に続く
1500年の間に
 
エジプト人は
香料や芳香物質の
薬理作用の知識と

軟膏や油の製造についての知識を
完璧なものにしていったようです。

調合した薬や軟膏、香水は
雪花石膏(アラバスター)や
メノウ、オニキス、ガラス
その他の硬質の物質で作った

瓶や壺または
木や象牙を刻んで作った箱に
収めて保存されていました。

香料として使われたものは
没薬(ミルラ)
乳香(フランキンセンス)
シダーウッド・オレガノ
ビターアーモンド・カンショウ
ヘンナ・ジェニパー
コリアンダー・ショウブ
ユリ・ハス
その他
エジプトの植物たちから
抽出されたものです。

中東からヨーロッパへ運ばれる
香料やスパイス等は
黄金以上の貴重品扱いでした。

当時
太陽神ラーの都である
ヘリオポリスでは
1日に3回
香りが焚かれていました。

日の出の時には
「乳香(フランキンセンス)」
正午には「没薬(ミルラ)」
また日没時には
「キフィ」と呼ばれる
調合香料です。

「キフィ」とは
「聖なる煙」という意味で

Ebers Papyrus
(エーベルス・パピルス
=最古の医学書)に
約16種類の
植物性香料からつくられた
調合香料と記されています。

1日に
3つの香りが使われていたのには
理由があります。

日の出に焚かれていた
「フランキンセンス」は
太陽神ラーの汗が固まったもの
と信じられていました。

「フランキンセンス」を燃やして
立ち昇る薫香は
魂をラーのいる天へと
連れて行ってくれる。
そう信じられていたそうです。

正午に焚かれていた「ミルラ」は
太陽神ラーの涙から生まれると
信じられていました。

エジプトの不死鳥「ベヌウ」は
500年に1度生まれ変わる際に
「ミルラ」で卵型の容器をつくり

そこに
死んだばかりの
親鳥の亡骸を収めて

ヘリオポリスまで運び
ラーの神殿で
火葬にしたと言われており

「ミルラ」と「ラー」は
深く関わるものとして
信じられていました。

日没に焚かれていた
「キフィ」には
心を落ちつかせる働きがある
と言われていました。

ファラオと呼ばれる王様や高僧が
瞑想などの際に
使用していたそうです。

また
寝つきを良くするためと
悪魔が
寝室に入らないようにするため

歴代のファラオ達は
寝室でも
「キフィ」を
芳香していたそうです。

※キフィという名前は「聖なる煙」
すなわち
悪魔が寝室に入らないように
という意味で付けられたそうです。

古代エジプト人は
ファラオ(王様)が亡くなると

その亡き骸に
「キフィ」や「シダーウッド」
をたっぷりと塗り
ミイラにして手厚く葬りました。

「ミルラ」や「シダーウッド」に
防腐作用があることが
わかっていたと思われます。

ミイラの語源は
「ミルラ」ともいわれています。

当時、香料は
木材を圧搾して抽出した
純粋なエッセンスだった
可能性が高いのですが

エジプト人が
原始的な形の蒸留を行っていた。

という説もあり
エジプトの墓から発見された壺が
この説を立証しているようです。

もしこれが本当だとすると
“アラビア人が蒸留法を発明した”
とされる時代より

少なくとも2000年も前に
すでに蒸留法が
発明されていたことになります。

その他のエジプト
ギリシャ・ローマ時代の香料は

すべて
芳香のある薬草を
不揮発性油(ヒマシ油)に浸した
「浸剤=香油」でした。

この時代に香料を用いていたのは
エジプト人だけではありません。

紀元前約1800年にさかのぼると
バビロンの粘土板に

輸入物の「シダーウッド」
「没薬(ミルラ)」
および「イトスギ(サイプレス)」の
注文書が記録されています。

このような記録から
精油の抽出の知識や
香料類の国際貿易は

4000年以上も前から
始まっていたようです!

「シダーウッド」は
バビロンでもエジプトでも人気で
かなり高価なものでした。

値段の高い化粧品類には
必ず「シダーウッド」が
配合されていました。

また
「シダーウッド」を
パピルスに塗って
防虫もしていました。

エジプトでは
宗教の儀式と葬儀のために
大量の香料が
消費されていましたが

化粧品に使用される香料の量も
相当量でした。

古代エジプト人は
部屋で芳香するだけでなく
いろんな形で
香りを楽しんだようです。



上の壁画の
古代エジプトの女性たちが
頭の上に乗せている

円錐形(えんすいけい)の
帽子のような物は
「エジプト式の香水」
なんだそうです。

社交場に
身に着けて出掛けた
軟膏でした。

この軟膏は
動物性油脂に
各種植物性香料を
ブレンドしており

体温によって少しずつ溶け
頭をつたい
体にも香りが染み込んで

まわりに
いい香りを漂わせていたんだとか。

香りを楽しむだけでなく
照りつける太陽から
皮膚の乾燥を守るためにも
香油が使われていました。

入浴後にも
香油をつけていたそうです。

エジプト産のユリ油が入っている
「サクディ」とよばれる香油は
特に人気があったそう。

また
「メンデシウム」
と呼ばれる香油には

バラノス油
(ホースラディツリーの実の油)と
ミルラやフランキンセンスが
ブレンドされていたそうです。

食品やお菓子の風味付けに
香料が利用されだしたのも
この時代です。

古代エジプトって
本当にすごく文明が発達してて
びっくりします!

ナイル川の氾濫を
正確に予測するために
天文観測が行われ
太陽暦ができたのですが

4000年前に
うるう年のことまで
すでに知っていたことには
感動しました!

美容方面も
今と変わらないくらい
発達してて
すごいですよね!

今日はこのへんで。

また
クレオパトラの
香りにまつわる
エピソードについて
ご紹介しますね。

参照

★セミナーのご案内♪
9月28日(水)
19時~20時半
不安とストレスに悩まない7つの習慣
@淀屋橋セレンディーラボさん

ご参加お待ちしております♪


★不安とストレスに悩まない7つの習慣
★アロマで女子力アップ
★男性向けアロマでストレスマネジメント
★女人禁制デキる男のアロマ活用講座

などセミナーのご依頼は

E-mail:mail@un-sourire.info(コピペしてくださいね)

 サロンホームページ:
http://www.un-sourire.info/

 セミナー講師ホームページ:
http://www.aromadedekiruotoko.com/

MR AROMAホームページ :
http://www.mr-aroma.jp

 フェイスブックページ:
https://www.facebook.com/tomoko.hoshino.332