ベビーが今2ヶ月と一週間。
よく飲み、よく寝る我が子は
最近ではメリーという
一人遊びの技まで覚えたため
本当に手がかからなくて驚く。

こーゆーのって、子供の性格に
かなり依存するので、
まぁ私の子は楽な子だった
ということなんだろう。

でも私は言いたい。
私の影響だって少しはあるはず!

というわけで、私が普段
考えていることを書きたい。

まず、妊娠・出産前の私は
子育てとは究極の自己犠牲行為
だと思っていた。

母とは、自分のしたいことより
子供のことを第一に考えるもの。

子供のためなら自分のことは後回し。

我が子のためにどれだけ自分を
犠牲にしたかが、どれだけ良い
母親なのかの尺度になると。

そうでなければならないし、
また母親というのはそういうもの。
子供ができたら、誰だって
自然にそうなるんだよ~と・・・。


これが私にはものすごく脅威だった。

本当にこの私にも、自然にそんな
気持ちが生まれるのか。

本当に誰にでもそんなに
自己犠牲が払えるものなのか・・・・

結果的にできなくて、
母親失格の烙印を押されることに
なってしまわないか?


ものすごく不安だった。



でも子育てして2ヶ月経過した
自分を省みて、これは
大きな勘違いだったといえる。


自分を犠牲にしても
いいことなんて何もない。
自分にとってもベビーにとっても。



私には、自分を犠牲にしている
意識は全くない。
というか、少しでも自己犠牲感
が出そうなことはしないように
している。

食べたいものを食べるし、
行きたいところに行く。

子供を連れて行きたければ
連れて行くし、連れて行けない
ところなら置いてく。

2ヶ月過ぎて、外食にも
連れて行けるようになった。
まぁベビーカー可のところしか
行けないけど。

山田優が2ヶ月の子供を
居酒屋に連れて行ったらしい。
それを週刊誌にキャッチされ
大バッシングを受けたとも。
外食に眉をひそめる人は
多いんだろうな~と思う。

なんでだろうなー。
スーパーやお散歩や両親学級なら
良くて、居酒屋がダメな理由って
なんなんだろ。

まぁ、なんなんだろと書きつつ、
実は理由が知りたいわけではないw

というか知ったところで
何も気にしないので聞いても無駄。

なぜなら、
「良い母親を演じる」意味なんて
何もないと気づいたから。

演じるというか、周囲の人に
「良い母親」って思われる
ことに意味がない。

大切なのは、私と主人とベビーが
幸せにいられるかどうかで、
ベビーがもしその状況が辛いなら、
例えばお腹空いてるとか眠いとか
居心地悪いとかがあるのであれば、
当然だけど私が一番よく分かる。

だから他人が考える
「赤ちゃん可哀想」なことなんて、
あんたに何がわかる?という話だ。

私が「可哀想」と思うことだけは
しないようにしている。
例えば、泣いてるのを放置とか、
泣いてる子に怒ったりとか。

でもこれは自分がそうしたいから
してるだけなので、
全く自己犠牲感が生まれない。

少しでも自己犠牲感があったり
イライラ、ストレス感があると
これはやっぱりベビーにも
伝わるんじゃないかと思う。

私は常に最高に幸せな気分でいる。
その状態でベビーに接している。
だからベビーも常に機嫌が良い
ってのも、少しはあるんじゃないか
って思っている。

というかそう信じたい。

だからもし今現在子供がいなくて、
子育て=自己犠牲。
まだその覚悟がない。
と、昔の私のように考えてる人が
いるとしたら、
それは全然大丈夫だよ!と伝えたい。