昨日書いた「自己啓発やセミナーが胡散臭い」と思われてしまう原因とは
「価値以上の対価を支払っているように見えるから」
ではないか、ということの続きです。(昨日の記事はこちら)
では、どうしたら「胡散臭い」と思われなくなるのか?
例えば、昨日のツボの話で言えば、
どう見ても1万円の価値しかなさそうなツボに100万円出す、と聞くと
「騙されてる!」「胡散臭い!」ってことになるわけですが、
これが例えば「ある高名な方の作品で、なんでも鑑定団で110万の値がついたもの」という別情報があったとしたら、
友人は「騙されてる」とはもはや言わないでしょう。購入に賛成してもらえるどころか、むしろ友人も買っちゃうレベルかもしれない。
つまりどんなに金額が高くても、その価格以上の価値があるものだ、ということが明確に分かれば、「騙されてる」「胡散臭い」とは誰も言わないばかりか、その素晴らしさをみんなが理解するようになります。
「別に友人が何を思おうが勝手よ、人の目なんて気にしてないわ!」
っていう意見はこの際置いときますw
どうせ伝わらないから言わない、という気持ちもまぁわかるのですが、
せっかくなら。
自分と自分の周りと、みんなで良くなっていけるのであれば、そっちのほうが良くないですか?
押し付けるのではなくて、相手が知りたくなってしまい、聞かれて、教えて、感謝されて、一緒に良くなっていける、という感じで。
話を戻しますね。
価格以上の価値を示せば良いというのがわかったところで、
では一体その価値をどうやって明確に示すのか?ですが
これはやはり「自分がどう変化したのか?」でしかないと思います。
また先日の影響力の話と一緒ですけども・・・
もしも色々なセミナーに参加して、でも自分では何も変わらなければ、残念ながらそのセミナーおよびその講師は
「行っても何も変わらないセミナー=価値以上の対価=胡散臭い」
と認識されても否定はできません。
これだったら、確かに「セミナー参加したよ!」と言わない方がマシです。
そう、私が昔、自分が何かのセミナーに参加することをなかなか人には言えなかったのは、こういうことだったんじゃないか?と気づいたのです。
自信がなかった。自分ではものすごく良いセミナーだったと思っているだけに、
人に「意味ないセミナー」認定されることが、ものすごく嫌だった。
かといって「じゃあ行ってどう変わったの?」と聞かれても、
「やる気が出た」「やろうと思えた」「元気が出た」くらいしか答えられない
そういう類のものではない、誰の目にも明らかな成果は、自分が発揮できていなかった。
それが多分、自分でもわかっていたので、人に言えなかったのです。
でもある時、
「セミナーなんて、行くだけじゃ本当に意味ないどころか、それもはや時間とお金の無駄だから。やる気になって終わるなよ。まずやれよ。」
という、まぁ言葉にしてみれば当たり前で簡単なんだけど、実行するのはものすごく難しいことを、とある尊敬する方のセミナーのあとでガツンと言って頂き、悔しさのあまりもう本当に自分は始めなければいけない。と決意し、一歩を踏み出すことにしました。
(今思えばこれってどんな講師も言ってることだし、そんな「見返してやる」的な発想ってどうよ?と思いますが。でも物事のスタートは強烈な負の感情であったほうが成果が出やすいことは間違いないです。)
そして自分が明らかに変わったと実感できるにつれ、今まで自分がしてきたことや影響を与えてくれた方々について、自信をもって人にオススメできるようになりました。
今は色々な人に聞かれることも増えたし、教えてあげて感謝されることがとても多いです。
当然ですが、やっぱりこっちの方が幸せ
私は自分の友人とは壁を作ったり、自分だけが先へ進むのではなく、やっぱり一緒に登って行ったほうが楽しいと思うので。
というわけで、
私は今後もセミナーに参加する時には、
時間とお金を使うだけではなく
「誰の目から見ても成果が明らかなレベルで、確実に自分のものにする!」
ということをモットーに、必ず受け取り実行していこう!と改めて決意しました。
自分のためというのは当然ですが、それ以上に講師や、自分の周りの友人にまでも、良い影響があると実感し。
と同時に、やはり講師側としての自分も、参加者だけでなく、その周りの方々にまでも影響を与えられるくらい、強烈な成果を残せるものでなければ、と強く思っています。
新しい学びを始めたタイミングでの、自戒をこめた日記でした