うちの娘がiPadにハマりだしたのは、たしか彼女が1歳半になる頃だ。
最初の頃、私は赤ちゃんや幼児にiPadを長時間見せるのはあまり良くないことだと思っていた。
理由は主に下記の通り。
1.タッチやスワイプだけで受動的に遊べてしまうiPadでは、能動的に遊ぶ・学ぶ姿勢が身に付かず自分の頭で考えることができなくなる
2.UCLA大学の研究者たちの研究曰く、コミュニケーションスキルが身に付かない
3.電磁的な刺激(?)が目とか脳に良くない気がする
私は娘が興味をもちそうなもの(絵本やLEGOやおままごとセットなど)はほとんど与えているし、平日は保育園でめいっぱい遊んでいる上、休日も週1くらいで公園や色々な施設に行き一緒に遊んでいるので、娘は他の遊びの楽しさもよく知っていると思う。
しかし、その上で彼女が今一番興味があって面白いと思うのは、やっぱりiPadなのだ。
そんなわけで始めの頃、私はこれはもう仕方のないことなのかな〜などと思いつつ、でもやっぱり良くないんじゃないか・・・などと結構悩んでいたのだが、
数ヶ月前に、もう制限するのは辞めることにした。
それにはいくつか理由があるのだけど、まず最初に考えたのは、
「きっと媒体が違うだけで、こんなことは昔からずっと親子の間での攻防戦が繰り広げられてきたことなんだろう」
ということである。
私達が子供の頃だったら、それはネットやテレビゲームだっただろうし、
親が子供の頃は、それはテレビや漫画だっただろうし。
その昔、日本の一般家庭の職業が農家だった時代は、もしかしたら本が制限されていたかもしれない。
ただ一つ言えることは、親が生きてきた時代を子どもが生きることは、絶対にないということだ。
昨日の記事にも少し繋がるかもしれないけれど、今ある仕事なんて大半がほんの20年前は単なる遊びだった。
インターネット然り、テレビやゲーム然り。それが今の巨大産業なのである。
あと「子どもにはまだ判断能力がないのだから、そこは親が責任を持って管理すべき」みたいな意見もよく耳にする。
「そうしないと私の知り合いの子のように、子供の頃からゲームばかりした挙句、ひきこもりニートになっちゃいますよ!」とかね。
親切心から言ってくれてるのだとは思うのだけど、そんなあなたの狭い世界に1人だけ存在する特殊な人のサンプルを出されても、
知らんわ
ですよね。
もしゲームがなかったらその人はひきこもりニートにならなかったことなんて誰も証明できないし、ワタシ的にはその人はゲームなくてもネットとかアニメという媒体に流れるだけで、どうせ一緒だった気がするのだ。
引きこもりじゃなくても、電車の中でひたすらゲームしてる大人なんていくらでもいる。
私も夫も子供の頃からゲームばかりしてたけど、私は今では全くゲームには興味がなくなったし、夫に至ってはゲーム好きが講じてCGデザインの仕事しているし。
だから、親の制限なんてものは関係ないのだと思う。
とかとか、色々と考えて結果的に今は野放しにすることを決めたわけだが、この決断をするまでに私は相〜当〜!悩んだ。
ネットでも、特に反対派の人の意見を中心にかなり色々と調べた。
しかし結果的に、あからさまに害と思われることは見つからなかったのだ。
多くの「害と言われていること」は、今の時代だから問題なのであって、娘が大きくなるころには大した問題じゃないんじゃないか?と思われることが多かった。
例えば、鉛筆が使えない、とかコミュ能力が・・・とかね。
ただ一つ気づいたのは、その代わりにiPadならではの大きなメリットもないかもしれない、ということ。
うちの娘は2時間もiPadで何をしているのかというと、ほぼYoutubeを見ている。
んで、私と夫はチャンネルというか見る動画を一切操作していないので、全て娘が選んだものを自分で見ているわけなのだけど
制限なく見せてるうちに、最初はアンパンマンのおもちゃの動画か歌の動画だったのが、今ではアルファベットや色を英語で学ぶ動画を見ながら発音練習をするようになったりとか、勝手に変化している。
でも変化してはいるけれど、「だからiPadは良いのよ!」などとはあまり思わない。
どんな遊びをしようが何かしら得るものはあるだろうし、何は有用で何は必要ないかなんて誰にも分からないからだ。
それでも私がiPadを欲しがるがままに与えている理由はただ一つ、彼女が興味をもっているものを与えられる、という部分と大人しくしていてくれるのでイライラしなくて済む、という部分。
私はこれらをもっとも重要視することに決めたのである。
かねてより、私が育児で一番重要視していることは「母である私がご機嫌でいる」ことなので、例えば外食時なんかでも娘の食事が終わったら即iPadを与えて、私と夫はゆっくり食事を楽しんでいる。
そんな私の決意を後押ししてくれたのが(またまたしつこくて申し訳ないのだけどw)堀江さんの最新刊の中の一節。
「子どもがサッカーに夢中で、サッカーの強い高校に行きたいと言うんです。でもJリーガーになれる人はごく一部だし、できれば普通の進学校に進んで勉強してほしくて……」
この手の意見は耳にタコができるほど聞いてきたが、率直に言うと、僕には意味がわからないのだ。
「サッカー選手になれる確率は低いのだから、サッカーにハマるのは無駄だ」
これは裏を返せば、「サッカーをやるからには、サッカー選手にならなければならない」という謎の強迫観念にとらわれているということだ。
サッカーという入り口は、サッカー選手という出口にしかつながっていない……とても窮屈な考え方だ。まさに、「用意されたレール」式の発想である。いちいち解説するのもおかしな話だが、「サッカーに没頭する」という体験がもたらす可能性は、「プロのサッカー選手になる」ことだけじゃない。
もしかしたら彼は、途中でサッカーグッズの開発に興味を持つかもしれない。サッカー漫画にハマって漫画家を目指し始めるかもしれない。サッカー部でできた友達と、何か関係ない仕事を始めるかもしれない。10年後にはサッカーにまつわるまったく新しいビッグビジネスが生まれており、彼のスキルがたまたまそれに生きるかもしれない。こんな想像は、いくらしてもきりがない。まさに無限大だ。こうした可能性を、すべて「ゼロだ」と却下できる人はいないはずだ。
堀江 貴文. すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書) (Kindle の位置No.1274-1280). 光文社. Kindle 版.
そんなわけで、私はこれからも娘がほしいままにiPadを見せていこうと思う。
うちの娘が今後どのように変化していくのかが私はとっても楽しみだし、皆さんも生暖かく見守って頂ければと思うw
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