私のiPad育児について、未だによく
iPad育児をして罪悪感ないんですか?とか
リスクに関してはどう考えているんですか?
とか聞かれるので書いておきます。
まずね、私が大前提として言っておきたいのは、
この世にはノーリスクなものなんて一つもない。
ということです。
この世の中の出来事は、全てがトレードオフ。
ノーリスクに見えるもの(行動しないこと)ほど、実は大きなリスクを背負っている。
ホント、あらゆることに関して
「何もしなければリスク0」「現状維持がリスク0」
だと思っている人が世の中には大半ですけど、
将来の多大なる可能性を潰しているという時点で、
何もしないというのは最も避けるべきリスクですからね?
だから結局何をしてもリスクはあるのに、
どのリスクなら許容できるか?ということと
そのリスクにはどの程度の可能性があるのか?
ということを考えるのが苦手な人が多そうですよね。
そんなわけで、私は前回↓の記事でiPad育児のメリットについて書いたわけですが、
そもそもiPadに対する理解の大前提が抜けている・・・!と思ったので、
今日はそれを追記します。
私は育児に対して、
新技術には全て触れさせたほうがいいと考えているし
子ども自身が興味を持つことをさせるのが一番だと思っているし
そこを制限することが一番リスキーだと思ってます。
だから例えばiPadよりも絵本の読み聞かせのほうが優れていると考えている人って、
私からしたら「電卓なんて使うとバカになるからそろばんを使え、暗算をしろ」
とか言っているオッサンと一緒にしか思えません。
子ども自身がそっちのほうが好きだったら別ですけど、
iPadを見たい子どもに絵本の楽しさを一生懸命伝えてもねぇ・・・・・。
これからの世の中、計算だって、漢字の読み書きだって、歴史の暗記だって
今まで必要だと考えられていたストック知識のほとんどが必要なくなりますよ。
その代わりに必要な能力は、
・楽しいことを生み出すチカラ
・新しい発想を生み出すチカラ
・とりあえず何でも試してみるチカラ
楽しいことをどんどん試していかないと培えない、これらの能力。
まだまだ大きな可能性を秘めているスマホを使いこなし新しい活用の仕方を生み出す能力というのは
生まれたときからスマホがある世代だからこそ持ち得るものです。
だからこちらを取りに行ったほうが、リスクは確実に低いと私は思っているので、
iPadを子どもに好きなだけ使わせるのは、彼女の将来への投資だとすら思ってます。
思うに、↑の記事の中で私が「いけないことなんじゃないか・・・」って悩んでいたのって、
単なる思考停止だったんですよね。
なんとなくのイメージだったり、NGとする記事なんかを鵜呑みにしていただけで、
自分自身で考えて判断するということをしていなかった。
改めて自分の頭でリスク分析をしたら、制限する理由が何もないことに気づきました。
だから今はむしろ良いことしてると思ってるので、罪悪感も一切ないです。
ついでに、このiPadに関連して頂くいくつかの質問にも答えておきます。
「視力低下が心配です」
→確かに、明治時代の人より今の人は目は悪いでしょうし、これからの人はさらに視力は下がるでしょうね。でも今はコンタクトやレーシックがありますからねー。視力は技術でいくらでも取り戻せますが、子供時代の熱狂は取り戻せません。
「youtubeは危険なコンテンツも多いです」
→禁止させるでなく付き合い方を子どもが自分自身で学ぶべきじゃないですかねー。そこに存在しているものを、ないように隠すのは不自然だと思っています。私たちだって、子供時代にエロ本を見つけて、見ちゃいけない気がしたり、それでも見ちゃったり、そういうことありましたよね?一緒かなと。あとそもそも、このコンテンツは良い・このコンテンツは悪いの判断が多くの場合に思考停止しすぎと思います。仲良し→OK 暴力→NG とか、名作→OK マンガ→NG とかね。洗脳されすぎです。
あとね、もう一つ超〜大前提として、
子どものためを思って云々という発想自体が違うと私は思っています。
例え母親であっても、最もフォーカスすべきなのは自分の人生です。
自分の人生を自分で幸せにすることに全力を注ぐべきであって、
自分の人生を自分以外の誰かに使うべきではない。
子どもの人生を良くするのは子ども自身です。
親が色々としてあげないと良い人生にできないような無力な人間を育てて
どんな良いことがあるのでしょうか。
私は、親も子どもも、自分の人生を自力で幸せにすることに全力を注ぐべきだと思っているし、
娘は、自力で幸せになれる子に育てたいと常々考えています。
**
ブログ3倍濃度のメルマガ・6,000人購読中!
ご登録は↓こちら↓から
↓ほぼ毎日更新!Facebookフォローはこちら↓
↓Twitter始めたよ!フォローはこちら↓