年末番外編:ケニアで世界を考えた | 医薬翻訳のアスカコーポレーション 社長ブログ

医薬翻訳のアスカコーポレーション 社長ブログ

大阪北浜、東京田町にオフィスを持つ医薬・バイオ分野の語学サービス会社 アスカコーポレーション社長 石岡映子のブログ。

12月中旬、私の母親が米寿を迎えるタイミングで彼女を連れてケニアに行った。母の写真への取り組みが半端でないことは何度か伝えてきたが、元気なうちにアフリカの大地で思う存分自然の写真を撮ってもらおうと。何より、私はアフリカについて映画や写真集、TVでしか知らない、自分の目で触れて、交わって、感じてみたかった。


カタール航空でドーハまで12.5時間、ドーハからナイロビまでは4時間ほどであるが、ドーハで何の知らせも受けないまま4時間も待たされ、ようやく到着したナイロビ空港で友人と合流し、そこからサファリカーでぼこぼこの道を6時間、ロッジに着いたのは夜の9時を回っていた。母は新大阪までの電車も含めると自宅を出てから34時間かかったことになる。それでも地元のビールで無事到着を祝い、明日からのサファリに胸を躍らせた。ホテルはテントを改良したロッジ。蚊帳つきベッドやシャワー、トイレは整備されているものの、10時でお湯は止まり、12時で電気は止まるのだから蝋燭と懐中電灯で過ごす夜は想定外のこと。


翌日はアンボセリ国立公園で動物やキリンマンジャロを眺めるサファリだ。ゾウやシマウマ、ガゼルなどが普通にあちこちにいて、最初は必死で写真を撮っていたが、次第にシャッターはよほどのシーンでないと撮らなくなるほどどこもかしこも雄大で、自然の中で動物たちが営んでいる。



途中マサイ族の生活地区に立ち寄り、牛糞と泥で作られた家に入らせてもらい、ドクターと呼ばれるリーダーらしき人が疾患別の薬草なども見せてくれたり生活を紹介してくれた。もともとマサイ族は遊牧民として牛を追いながら牛が貨幣、一夫多妻制、長老を中心とした社会だったが、植民地政策の一環で、現在は動物保護区や国立公園の中で生活圏を管理され、街に移り住む若者も多いという。観光や密猟監視員などで現金を得る人も増え、携帯電話は普通。


その夜はナイバシャ湖に宿泊、翌朝7時からのボートサファリを楽しんだ。これがまたすごい。200種類の鳥やカバの家族たちが生息していてまさに鳥たちの楽園だ。その中を私たちがボートでひっそりお邪魔している、という感じで、言葉を失って自然の美しさに魅了された。





その後7時間ほどもかかり、マサイラマ動物保護区に。ここは大阪府ほどの面積を持つとか。360度の地平線と雲、青い空、草原とそこにいる動物たちしか見えない。このころになると、シマウマや、ゾウ、キリン、ガゼル、サイ、ハイエナどころでは驚かなくなっている。さすがにライオン家族を目にしたときには緊張したが、彼らは私たちに何の興味もなく、目障り、としか思っていない?骨だけになった死骸やハイエナがついばんでいるシーンも普通。どの動物も家族や群れで活動し、戦いやいじめ、いずこも同じ社会生活を送っている様子は興味深い。


翌朝4時に起き、気球に載って夜明けのサバンナを空から楽しんだ。気球に籠をつけただけの簡易な乗り物だが、ゆっくり、ゆっくりと動くその世界は普段の小さな自分を忘れさせてくれる。


最終日ナクル湖国立公園で最後のサファリを満喫した。名物ピンクフラミンゴの多くは他の地に移動しているらしいが、サイやキリン、サルも限りなく美しく、かわいい。展望台から見るナクル湖の美しさは言葉で言い尽くせない。光と空、木々、動物や鳥たちのまさにパノラマだ。





母を「87歳です」、と言うたびに皆が驚き喜んでくれる。どんなに疲れた時でもカメラを手にすれば足が伸びあがり、シャッターを押し続ける姿は頼もしかった。ホテルではバースデーを祝ってスタッフ皆がダンスを踊ってくれ、母も列に加わり、足を上げながらはしゃいでいた。


正直さすがの母も疲れたはずだ。それでもきっとどこかの写真コンテストで入賞するだろう、と今から楽しみ。


皆にケニア旅行を勧めるか、と言えは考える。でも、人類はアフリカから誕生した。その自然の宝庫のアフリカにも確実に現代文明が及んでいる。ケニアの首都ナイロビはすさまじい交通渋滞と建築ラッシュで土ぼこりで目が痛い。10年後には私が見た今回の景色は見られないだろう。実は私は、また行ってみたいと思っている。