前記事『富川神社 その1』↓
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はいは~い!

つづきですよぉ~ε٩(๑>▽<)۶з

ココからは 濃いですよぉ(^^;)





カメラ『由緒記 アップ』(*^^*)

姫の仲良しさんの“テッチ”さんは 神社へ 行った事はあるけれど 神社巡りは 初めてなので…

ココへ来る前に寄った『厚真神社』をお参りする前に こ~いうのがあるんだけど…

と 姫の御朱印帳を見せたのね(*^^*)

遠いところの神社は そうそう 滅多に 行けるワケではないし…

“テッチさん”は 運転 出来ないから あっちこっちは 1人では 行けないし…

折角 姫と一緒に 巡るんだから 記念じゃないけど 行った証として 御朱印いただいたら どう?と 聞いてみたら

『そうだね!(*^^*)』

って事になり 姫の予備の御朱印帳をプレゼントして“テッチさん”は この日 マニア巡り&御朱印デビューをしたのね(^-^)





カメラ『狛犬 右』(*^^*)

ココの神社の『狛犬様』は 今まで 見た事ないタイプの『狛犬様』なのね(^-^)

眉毛とお髭が 生えてます(*´ 艸`)





カメラ『狛犬 左』(*^^*)

ココの神社の社務所は 神社の横の小道を挟んだ 向かいにあります(^-^)

最初 分からなくて 道路際に 大きな看板が立ってて 電話電話番号が 書いてあったから 電話電話して聞いちゃったぁ(^^ゞ

この日は 宮司さんは お出かけ中で 不在…

対応してくれた方と お話をするも なんだか ワケが分からない様子…(^^;)

姫も ワケが 分からない…(‥ )?

ワケが 分からないまま 社務所をあとにし そして 2週間後…

ふと ココの御朱印の事を思い出し なんか 腑に落ちないので 電話問い合わせしてみたのね(^-^)

電話電話に出たのは 宮司さんで 事のイキサツを話し その他にも 色々と お話をお伺いする事が出来たのね(^-^)

電話電話で お話した感じでは 若い宮司さんみたいだったぁ(*^^*)

最近は 神社もお寺さんも 世代交代らしく 若い宮司さんや神主さん 若い住職が 多くなったように思います(^^*)

なんか 宮司さんとか住職って おじいちゃんのイメージがあるさぁ(^^ゞ





カメラ『狛犬 右』(*^^*)

こちらの『狛犬様』も 姫は 見た事ないタイプ(^-^)

ココの宮司さんは 超親切な方で…

後日 改めて 御朱印と御由緒の書いてあるものを送っていただきましたぁo(^▽^)o





カメラ『狛犬 左』(*^^*)

鼻の穴が 丸見えなんですけど…σ(^_^;)

宮司さんは 御由緒の書いてあるものが無いと言ってたんだけど…

簡単なものでよければ…』

と言って わざわざ パソコンパソコンで 作ってくれましたぁ(≧∇≦)

ありがたいねぇ~o(≧∇≦)o

それが コレ(^-^)↓





カメラ大神宮社(富川神社) 由緒 及び 基礎知識』(*^^*)

1・社名 》

宮社』(だいじんぐうしゃ)

富川神社の正式名称、古い資料には 太神宮社と明記されているが、現在は 大神宮社となる。

尚、富川神社の呼称は 昭和初期から使用されており、この町が 沙流太村から 富川村に変わったさい、社名も 富川神社と呼ぶようになったと推察されるが 明確な資料がないため、詳細は 不明である。





↑ 名前か 言い伝えの書いたものが あったと思うんだけど カメラ保存してなかったらしい…(^^;)

この木が すごい 気になったのよねぇ(・o・)

そして…

参道を挟んで この木の向かいに すっごく ちいちゃな お稲荷様がありましたぁo(^▽^)o

カメラ写メ 撮ってないけど…σ(^_^;)

すごく ちいちゃいから 気づかなくって…

でも なんか 気になるから 辺りをキョロキョロしたのよね(^^;)


2・由緒

安政3年4月 仙台藩士族協議の上、宮城県塩釜市の塩釜神社より勧請し、白老の郷に奉祀したのち、明治8年6月15日 現在地に遷し、明治9年 村社に列せられる。

その沿革は 安政元年(1854) 幕府は 鎖国を解き アメリカ、ロシア等との和親条約を結び、函館港などを交易場となすや蝦夷地を直轄地とし 安政3年(1856) 蝦夷地の防備を固めるため 仙台藩等に その防備を命ず。

守備範囲は 白老から 襟裳岬を越え、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)までの東蝦夷地であった。

その間、白老に 陣屋を築き、陣屋の守護神として 塩釜神社を勧請し祀った。

しかし 明治元年(1868) 戌辰戦争の勃発によって 警備は撤収された。

明治3年(1870) 諸藩分領制度が施かれるや、仙台藩、三好長五郎清篤等、この地に移住し 先人が 祀ってあった白老より 明治8年6月15日に 心のよりどころとして この地へ 遷し祀った。





カメラ『本殿』(*^^*)

3・御祭神 》

天照皇大御神』(アマテラスススメオオミカミ)

記紀によれば 太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。

八幡大神 (品陀別命 ホンダワケノミコト)』

清和源氏をはじめ 全国の武士から 武運の神(武神)『弓矢八幡』として崇敬を集めた。

品陀別命 (ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。

塩釜大神”(シオガマオオカミ)

武甕槌神』(タケミカヅチノカミ)

神名の『ミカヅチ』は イカヅチ雷に接頭語『ミ』をつけた『ミ・イカヅチ』の縮まったものであり、雷神は 刀の神でもある。

経津主神』(フツヌシノカミ)

神名の『フツ』は 刀剣で 物が プッツリと 断ち切れる様を表すもので、刀剣の威力を神格化した神である。

塩土翁神(シオツチノオジ) (シオドオキナノミコト)』

海の神、製塩の神、呪術・予言の神などとして信仰されている。



つづく…