ばんっちゃ(≧∇≦)

2016.06.08.『難得神社』春季 例大祭!ヽ(*>∇<)ノ

というワケで…

ちょぴっと 参加してきたっちゃo(≧∇≦)o





カメラ『本殿』(*^^*)

ココはねぇ…

タンポポがさん いっぱい 咲くから 先月 カメラ撮りに来ようと思ってたんだけど…

姫のお母様の病院病院 行ったりなんだりしてたから 来れなかったのよね(>_<)

来年は いっぱい 咲くかなぁ~?

来年 タンポポさん カメラ撮りに来よう!o(^▽^)o





カメラ『本殿の中』(*^^*)

『本殿』というより『お堂』だね(^-^)

昨日は 例大祭なので お供えものが たくさん 供えられてましたぁ(*^^*)

赤薔薇お花も 綺麗に 咲いてたよぉ(^^*)

毎月 8日  『月例祭』

毎年 6/8『春季 例大祭』

毎年 9/8 『秋季 例大祭』

札幌市豊平区水車町5丁目(河川敷沿)

お時間のある方・ご近所の方 たまに 参加してみてねo(^-^)o

誰でも 気楽に 参加できます(*^^*)

★*゚*☆*゚**゚*☆*゚*★★*゚*☆*゚**゚*☆

姫が ココの神社に 初めて来た時から しばらくて…

入口の扉のところに ココの神社の由来について 書かれたものがあったのね(^-^)

姫は それを1つ いただいて 家お家で ジックリ 読んで…

いずれ 記事にして 紹介しようと思いつつ…

だい~ぶ 経っちゃったぁ(^▽^;)

昨日 姫のお部屋の中で 由来の書いてあったものをすんごい 探したぁ(^^;)

部屋にあるのは 間違いないんだけど…

姫…

あっちこっちの神社 行くから…

あっちこっちの神社でも パンフやら オマケやら いただくので…

マニアな付属品 モッサリでねぇ(^▽^;)

そろそろ 整理しなくちゃダメね(;^_^A





お弁当お弁当いただきましたぁ(≧∇≦)

美味しく いただきましたぁo(≧∇≦)o

ありがとうございます(^人^)

んで…

ココの神社の由来についてなんですが…

神社を創祀した方のお孫さんが 書かれたもののようです(^-^)

ちょっち 長いのです…(^^ゞ

『難得神社の起源について…』

現在の四国愛媛県より、伊予大洲藩士であった祖父『中西 若太郎』と 祖母『みゆき』夫婦が 北海道開拓の屯田兵として 樺戸郡浦臼村へ 入植いたしました。(明治30年前後と思われます)


種々な困難の末、やっと 生活が 落ち着き始めた頃、或る豪雪の冬に、屋根より 落雪が有り、祖母が 其の下敷きになって埋まり、複雑骨折の重症(特に 腰部)を負ってしまいました。


地元の医師、治療師等にかかっても 到底 快癒の見通しが無い由、見放されてしまいました。


その後 後遺症に悩まされ、土地、家等を売払い 札幌区に転居。


現在の豊平橋の札幌側の畔に居を構え、ささやかな店を開く。(餅菓子屋らしい)


当時の軍備拡張に伴い、月寒連隊の兵士達が 立ち寄り、なかなか 繁盛したということでした。


その間 祖母は あらゆる療法…最後には 祈祷師等にもかかったものの、段々 悪化の一方で 死を考えるようになりました。


或る時、知人の薦めもあり、豊平の経王寺(日蓮宗)に 参詣したところ、その時に 初めて 霊感を自覚し、今までの宗旨(禅宗)を改め、日蓮宗に 帰依することになりました。


経王寺のお堂に 長期間 篭り、修行僧と一緒の寒修行を始め、連日の修行祈願 及び 奉仕に 勤めたところ、薄紙を剥ぐが如く 健康体を取り戻しました。(その間 奇怪な現象が 多々あったようです)


当時の経王寺のお上人の『日光上人』より 信傾心を彰され、守護神として《難得大龍神》を授かったのが『難得様』の始まりです。(これゆえ 神仏混交の形態をとっております)


当時 同じ経王寺の檀家総代であり、豊平地区の大地主でもあった方より 水車町の現在地を購入。


ささやかな庵を構えたのが『難得神社』の始まりです。


それまでは 学もなく 読み書きも 満足でない 平凡な主婦であった祖母に その後 不思議な予感・霊感が 次々と顕れ、経王寺の檀家、殊に 豊平橋の畔に住む方々を中心とした「構」が 形成されたのです。


戦前は 難得神社は 水の神 及び 火を防ぐ神として信仰され、信者の方々の他にも、水に関する商いの方々が 参詣に来られました。(特に すすき野を中心とした 水商売の方や 二条の魚市場の方など)


難得神社の構の運営に関しては、学識経験者がいるわけでもなく、構を中心としたファミリー的な感が濃いものであります。


戦前までは 毎月のように 構の各自に分家された各々の守護神に対して、各家庭を集まり、参詣の後、持ちよった酒肴で にぎやかな一刻のレクリエーションが 娯しまれていました。


なお、現在 構は 毎月8日を参詣日として参集し、日蓮宗の北海道総本山の身延山『経王寺』より、修行を積んだ お坊様がいらっしゃって 日蓮宗独特のお加持(祈祷)を行っています。


特に 6月・9月の8日は 本祭となっております。


従って、構の性格として、信心を金銭の対象としてはおらず、各月の寄付以外の授受はしていなかったのが 特徴と申せます。


このように、当神社は 構の皆々様の総意と団結で 次の世代に 受け継がれ、信仰されて、現在に至っている次第であります。


祖父『中西 若太郎』慶応 元年 生まれ・昭和19年 80歳 歿

祖母『みゆき』明治6年 生まれ・昭和21年 77歳 歿

筆者 『中西 得郎』平成23年 85歳 歿

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過去記事『難得神社 (2012.11.02.)』↓
http://s.ameblo.jp/ash-links/entry-11396845189.html?


過去記事経王寺 番外編 (2012.11.06.)』↓
http://s.ameblo.jp/ash-links/entry-11398414104.html?


過去記事『経王寺 番外編 (2014.07.06.)』↓
http://s.ameblo.jp/ash-links/entry-11890053064.html?


パソコン『経王寺』HP↓
http://keiouji.or.jp/smarts/index/1/




2016.06.08.参拝(^-^)