新型の検察ファッショが始まっている  (日刊ゲンダイ 2010/4/30)

検察庁と検察審査会はなれ合いだ

◇小沢一郎ではないが、一度狙われたら検察審査会でどうにもなる
小沢幹事長に対する検察審査会の「起訴相当」議決。これは、とんでもないことである。「ああ、小沢幹事長はまた捜査されるのか」「民主党は大変だな」といった軽い受け止め方でいると危険すぎる。大げさでなく、法治国家を根幹から揺さぶる問題なのだ。
◇抽選で選ばれた市民が投票で決めているが、法律の番人検察庁が不起訴にした人間が素人に起訴されたらリンチと同じじゃないか
最強の捜査機関である東京地検特捜部が、それこそ意地とメンツをかけて1年がかりで捜査した末に、小沢幹事長を起訴できず、敗北した政治資金問題。
ところが、抽選で選ばれた法律の知識のない一般国民11人が、「これこそが善良な市民の感覚だ」などと言って、検察の不起訴処分をアッサリ覆してしまった。もちろん、ド素人の検察審査会11人が新たな証拠を発見したわけではない。「市民目線」というアイマイなものだけを根拠に、小沢幹事長は共犯の疑いが濃厚だ、起訴すべきだと投票で決めてしまったのである。

政治や政権の監視なら「市民目線」もいいだろう。だが、法律の判定を「市民目線」や「感覚」で決めるなんて、あまりにムチャクチャすぎる。しかも、その「感覚」は大マスコミ報道に植え付けられたものだから、余計に問題なのだ。ジャーナリストの魚住昭氏が言う。 「あれだけ朝から晩まで小沢一郎は金権腐敗政治家だという報道が流されれば、一般の人が先入観を持ってしまうのは仕方ない。『起訴相当』の議決が出たのもうなずけます。しかし、今回の検察審査会の議決は大いに疑問です。命がけの特捜部が、それでも起訴できなかった法律問題の根幹部分はポカンと抜け落ちている。違法か合法かの問題は隅に追いやられ、検察に都合よく組み立てられた調書を材料に、政治倫理的におかしい、小沢さんは許せないの感情が先にきている。感情論で法律を論じているのです。これは恐ろしい。あってはならないことです」

小沢一郎を潰したい検察が大マスコミと結託し、金権腐敗の権化のごとく煽りまくる。そういう状況さえできてしまえば、証拠不十分で不起訴になっても、検察審査会でやられてしまう。
言い換えれば、小沢一郎でなくても、検察とメディアに一度狙われたが最後、だれもが同じ運命に追いやられておかしくないのだ。
こんな理不尽な戦前のようなことが堂々と行われ、しかも大マスコミは鬼のクビを取ったように喜び、検察審査会を絶賛しているのだから異常も異常だ。

この国は完全にイカレてしまった。
さすがに民主党政権内でも危険視する動きが広がり、「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」が立ち上がった。事務局長の辻恵衆院議員がこう言う。「JR西日本の福知山線脱線事故でも、やはり検察審査会の議決によって先週、元社長3人が強制起訴されました。でも、整備担当やダイヤ作成者ならともかく、社長を被告人にするのはどう考えても酷すぎます。マスコミに煽られた国民感情が多数を占めれば、証拠のない人でも、被告人席に送り込まれてしまう。こんな制度が定着してしまったら、近代の刑事司法の原理原則が無視され、日本は法治国家でなくなる。暗黒時代ですよ」

単なる検察暴走なら、メディアと議会のチェックで歯止めもかけられる。しかし、昨年5月の検察審査会法の強化によって、検察捜査と大マスコミ報道が同じ方向に向かったら、歯止めをかけることが不可能になった。“洗脳"された世論が法律無視で事件を裁く時代が始まろうとしているのだ。これじゃあリンチ(私刑)と変わらない。この新型の検察ファッショの到来は、小沢幹事長と民主党だけの問題ではない恐怖を抱えているのだ。