■第3章 検察・法務省のあり方について

 1.問題の所在

 西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起という「公権力の行使」に端を発した事案であり、第1章でも触れられたように、その前提とされた被疑事実について法律解釈上の疑問が提示され、また事案の重大性・悪質性の評価や捜査手法を踏まえ、検察による権限行使が法律の規定に照らし適切であったといえるかどうかが問題となる。また本件では、政権交代の可能性のある総選挙を間近に控えたタイミングにおいて、公権力の行使が野党第一党党首の第一秘書に向けられたものであったため、それが有権者の政治的選択に少なからぬ影響を与えたことは否定できない。そのため、民主主義社会における検察の権力行使のあり方、関連して、権力行使にかかる説明責任のあり方について、問題意識が喚起された。

 今日、さまざまな場面で説明責任が問われることが多いが、もともと、わが国で「説明責任」という概念が法律上登場したのは、1999年に制定された行政機関情報公開法1条においてのことである。法律上は、説明責任とは、政府がその諸活動を国民に説明する責務のことをいい、国民主権原理に根拠を有するものとされている。それは、主権者たる国民が国政に関する諸問題について意思決定を行うにあたって必要十分な情報を、政府自身が適時・適切に提供する責務を負っているということであり、政府の憲法上の責務と考えられている。したがって、政府の一部局である検察庁・法務省がその責任を負う立場にあることに疑いをはさむ余地がないことを、まず確認しておく。なお、刑罰権の行使にあたっては、検察庁のみならず、刑罰法規の解釈・運用について法務省刑事局が密接に関与していることから、刑罰権の発動を論ずるにあたっては、検察庁と法務省の双方を念頭に置く必要がある。


 2.検察の権限について

 2-1.検察官の権限

 検察官の職務について、検察庁法は、検察官はいかなる犯罪についても「捜査」をすることができるとし(検察庁法6条、刑事訴訟法191条1項)、刑事について、「公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し」、その他「公益の代表者」としてその権限を行使するとされている(検察庁法4条)。

 検察官は、多くの一般刑事事件については第1次捜査機関である警察が摘発した事件の送致を受け、必要に応じて捜査を行った上、その処分を決定する立場にある。一方、検察官が独自に摘発する、いわゆる検察独自捜査については、捜査着手の判断、強制捜査の要否の判断、処分の決定、すべてを検察官が行う。この場合には、すべてが検察組織によって行われるため、その権限行使の適否はとくに慎重に判断される必要がある。

 検察の権限は「準司法作用」と表現されることが多いが、司法作用そのものは裁判所の権限であり、検察権は司法作用ではないという意味で行政作用に属する。検察庁・法務省がひとつの行政組織として機能することは、検事総長がすべての検察庁職員に対して指揮監督権を認められることを前提に(検察庁法7条1項)、法務大臣が検察庁法4条および6条に規定する事務に関して検察官を一般に指揮監督することができるとともに、個別事件の取り調べ、処分についても検事総長を指揮することができるとされている(14条)点に表れている。いわゆる指揮権発動とは、法務大臣が現実にこの権限を行使して、捜査に直接介入することをいう。


 2-2.公訴権の行使(起訴・不起訴)のあり方

 わが国では国家が犯罪者を訴追するという「国家訴追主義」がとられており(刑事訴訟法247条)、それは検察官の任務であるが、検察官が起訴するかどうかはその裁量判断に委ねられる。これを「起訴便宜主義」ないし「起訴裁量主義」という(248条)。しかし、検察官の裁量権の行使が常に正しいという保証はないため、不起訴の場合には、検察審査会、公務員犯罪についての付審判請求の制度が用意されている。これに対して、不当な起訴がなされた場合、人権侵害の危険性は不起訴の場合より直截的であるにもかかわらず、わが国では制度的手当てがない。そのため、学説上、この点は一種の法の欠陥であるとして、「公訴権濫用論」が唱えられ、不当な起訴については裁判所が公訴を棄却すべきであるという主張がかねてからなされている。西松事件との関連でいえば、政治資金規正法違反の罪は、殺人罪、窃盗罪のような典型的な自然犯と比べると形式犯的要素の強い行政犯であり、そのため、起訴するか・しないかにかかわる検察官の裁量が濫用される危険性は相対的に高く、しかも濫用された場合の社会的、政治的、経済的影響は甚大である。その意味で、通常の刑事事件との比較でいえば、本件については、公訴権行使が濫用されていないかどうかがとくに厳しく吟味される必要がある。


 2-3.法務省と検察庁との関係

 法務省と検察庁の関係は政府内部における省庁間の問題であるため、一般にあまり知られていないが、両者は法律上、とりわけ人的関係においてきわめて近接した関係がある。

 個別具体的な事件の捜査・起訴などを行うのは検察庁であるが、法務省は「刑事法制に関する企画および立案に関すること」をその所掌事務とし(法務省設置法4条2号)、他省庁が罰則つきの法案を立案する場合には法令協議にかかわり、刑罰法規についてはその所管官庁としての地位にある。そして、法務省は「検察に関すること」(4条7号)もその所掌事務としていることから、検察庁が個別案件につき「裁判所に法の正当な適用を請求」するという業務(検察庁法4条)を行うにあたり、検察官の権限行使が適正に行われるよう、法務省が法令解釈などについて検察庁に対し資料提供、考え方を示すなどの助言を行うことは、その職務に属するとされる。すなわち、一般的な刑罰法規の解釈・運用に関してはもちろん、個別案件を契機とする刑罰法規の解釈・運用についても、検察庁および法務省は法的にみて協働関係にあるということができる。また、周知のとおり、法務省刑事局をはじめ同省幹部の枢要ポストは検察庁から出向した検事で占められているという独特の人事配置がなされていることから、法務省と検察庁はきわめて密接な関係を有しており、両者は実質上一体的な組織であるとみて差し支えない実態がある。


 3.検察権の行使と民主主義の関係

 3-1.議院内閣制との関係

 国民を主権者とする民主国家においては、検察の権限行使といえども民主的正当性が要求されることは当然であり、それが行政権の範疇(はんちゅう)に含まれる以上は、民主的正当化の要請の程度は、司法権を担う裁判官の場合に比して相対的に高いということができる。検察の権限が時の政府に都合のいい形で行使される傾向があるということは歴史の教訓であり、憲法50条が議員の不逮捕特権を保障しているのは、政府に批判的な議員の活動が政府によって妨害を受けないようにする趣旨である。検察の権限が議会に向けられる場合、与野党のいずれに対してもそれが公正・平等な形で行使されなければならないことはいうまでもないが、議院内閣制のもとでは政府・与党が一体的であることから、とりわけ野党に対する権限行使について慎重な配慮が要求されるという指摘が可能である。

 西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。


3-2.直接的な民主的正当性を持たない検察官僚

 裁判官が行う判決については、憲法学上「統治行為論」が唱えられ、最高裁判例にもこれに依拠したものがある。統治行為論とは、高度に政治性のある国家行為については、たとえ裁判所による法律判断が可能であったとしても、事柄の性質上裁判所が審査をしない問題領域を認める考え方をいう。これは、政治問題は国民の代表者からなる国会および国会に信を置く内閣において解決されることが本来望ましく、裁判官は選挙によって選任されていないという意味で直接的な民主的正当性を持たない以上、政治問題については判断を差し控えることが好ましいという配慮に基づいている。このように、司法権ないし司法官僚たる裁判官の判決行動につき民主主義への礼譲を説く考え方を司法消極主義という。西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。このような政治案件の場合、裁判官の権限行使にかかわる統治行為論と同様の発想に立って、検察官はたとえ法律的には逮捕、公訴提起が可能であったとしても、あえてこれを控えることが正当化される場合があるのではないかという問題が認識された。


 3-3.政治資金規正法違反事案の特殊性

 本来、刑罰権の行使については、それが国家によるもっとも過酷な人権侵害行為であるということから、刑罰権の行使は抑制的であることが人権保障の観点から好ましいという「謙抑主義」の考え方が妥当している。起訴便宜主義は、起訴するについての法定要件を満たしている場合であっても検察官が諸般の事情を考慮したうえ、あえて起訴しない裁量を認めるものであり、謙抑主義の考え方が具現化したものと見うる。

 このように、検察官の権限行使は一般論としてもその慎重さが要求されるが、とりわけ政治資金規正法の虚偽記載罪においては、「虚偽」の意義をめぐり犯罪構成要件が明確性を欠き、その解釈・あてはめに疑義があること、そもそも法律自身が政治活動に対する行政による干渉について抑制的であるべきことをうたい、政治活動への配慮を要請している。この事情に加えて、西松事件は検察の権限行使が国民の政治的選択に少なからぬ影響を与えることが容易に予見される案件であった。このような事案では、直接的な民主的正当性を持たない検察官がその権限行使に踏み切るにあたっては、幾重にも慎重な考慮がなされることが求められており、通常の刑法犯とは同列に論じがたい面がある。本件のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたとのそしりを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルでの判断があったとしても、法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされて然るべきであろう。


 4.検察・法務省の説明責任

 4-1.行政刑罰の罰則適用方針に関する説明

 以上述べたところから、政治資金規正法違反の罰則適用方針については、事件処理に差し支えのない限度で、検察庁・法務省の双方に説明する責務がある。とくに、法律解釈にあいまいなところがある場合、行為者の予測可能性が確保されるよう、構成要件のみならず、あてはめの部分も含めて明確な法令の解釈基準を示すことは罪刑法定主義の要請するところである。本件では政治資金規正法にいう「虚偽」の概念が定かでなく、とくに従来形式説に依拠しながら突然実質説への「法律の解釈変え」がなされたうえで刑罰権の発動がなされたと見る余地がある。そのような経緯があるとすれば、本来立法府によって行われるべき法律改正を行政当局が事実上行ってしまっていることになり、説明責任を果たすべき要請は一層強まる。


 4-2.裁量権行使が妥当であったことの説明

 起訴については、検察官は起訴便宜主義のもとで起訴しない選択肢があるなかであえて起訴に踏み切っているわけであるから、なぜ起訴しなければならなかったのか、起訴に値する悪質な事案であったという点について、検察は国民に対して積極的に説明をする必要がある。この点に関する検察官の説明責任は、被告人個人に対する関係では刑事訴訟手続のなかで有罪立証に力を尽くすことで果たされる性質のものであるが、国民の政治的意思決定について甚大な影響を及ぼす行為であったという面からは、国民一般に対して、過去の他の事案との比較、与党議員の事案との違いに言及しながら、西松事件の特殊な悪質性について、なぜそのように考えられるのか、その論理過程について必要な情報とともに踏み込んだ説明がなされる必要がある。

 また、起訴に先立つ逮捕に関し、どのような手順で逮捕に及ぶかという手続上の裁量について適正手続の保障(憲法31条)が及ぶことはいうまでもない。任意聴取から逮捕に移行する過程で、手続的な配慮を欠いていなかったかという点についても疑問が呈されており、長期にわたる身柄拘束の当否と合わせて、検察当局の説明が求められる。


 4-3.検証可能性を確保すべきこと

 刑事訴訟に関する書類については、刑事訴訟法47条において公判開始前にその公開を禁ずる旨の規定があり、本報告書執筆時点で西松事件において起訴された秘書の被疑事実について正確に知る術がなく、不正確な報道に頼るしかないのが現状である。しかし、本件のように国民の政治的意思決定に少なからぬ影響を及ぼす事案では、被疑事実を記載した起訴状などは、その公開につき「公益上の必要」があり、同条が例外的に認める公開すべき場合にあたると考えられる(47条但書)。検察実務において、公判前には一切の公開を認めない現在の運用は刑事訴訟法47条但書を無意味化するもので、再考されるべきである。

 また、刑事事件の場合、訴訟が終結した後になっても、情報が適切に公開されない仕組みになっている。刑事事件の訴訟記録は、刑事確定訴訟記録法により、裁判所ではなく検察官が記録を保管することとされ、しかも広範な公開制限がかけられている。そのため、一般国民が、後日、判決文など検証に必要な書類を入手しようとしても、コピーはおろか、閲覧もままならないのが実情である。刑罰権の発動が適切になされたかどうかを証拠に基づいて事後的に検証することが制度上困難となっている。刑事事件特有の問題として、被告人や被害者のプライバシーに配慮することは当然であるが、他方で、不適切な公権力の行使がそのまま闇に葬られてしまうとすれば、民主主義社会にとって重大な脅威となりうることは指摘せざるを得ない。制度の改善が急務である。

 実際、当委員会において西松事件が不平等起訴かどうかを調査しようとしたが、検証に必要な過去の訴訟記録に十分に接することができず、類似案件との比較検討に支障があった。このような観点から、制度改善と並んで、過去の案件とのバランスについても、検察庁・法務省には西松事件が不公正・不平等な逮捕、起訴ではないことにつき、積極的な情報開示と具体的な説明が求められる。

■第4章 報道のあり方について

 本年にかけて、各報道機関の世論調査結果は、政権交代の可能性が高いことを示していたところ、衆院選がこの秋までには実施されるという時期に起きた民主党小沢前代表の公設第1秘書逮捕をめぐって、報道機関は、新聞紙面そしてニュース放送の放送時間を連日大きく割いた。

 総選挙の結果次第では民主党の小沢前代表が総理大臣となる可能性があり、そうしたことがマスコミの報道にあふれている中での小沢前代表の秘書逮捕は、状況を一変させるビッグニュースであったが、今回のマスコミ報道では、事件の発展に関し、とくに小沢前代表に捜査が進展するのではといった予測報道が底流にあった。秘書逮捕以降、各報道機関の世論調査に「小沢一郎民主党代表は代表を辞任すべきか」といった質問項目が加えられたように、政治と金の問題とともに、政権交代を掲げる民主党代表の去就に注目が集まった。

 以下、本章では、事件をめぐるマスコミ報道について分析を行い、その問題点について指摘する。今回の報道全般を通して指摘できるのは、次の点である。

 第1に、検察あるいはその関係者を情報源とする報道が大きく扱われたこと。

 第2に、起訴以前、裁判開始以前で逮捕容疑の政治資金規正法違反を超えて、政治と金の問題とりわけ「巨額献金事件」といった決めつけをはじめ「有罪視報道」が展開されたこと。

 第3に、第1章で述べたような捜査、起訴を巡る疑問が指摘されているにもかかわらず、読者・視聴者に公正な視点から権力をチェックする報道が少なく、検察の捜査のあり方についての批判が十分に行われなかったこと。

 第4に、検察批判を外部の有識者の執筆原稿やスタジオなどでの討論に依存した姿勢は、多様な言論の表出という点で評価はできるが、本来はそれぞれの取材で明らかにしなければならないにもかかわらず、その努力を怠り、外部識者に委ねてしまったこと。

 第5に、地検特捜部の動きは、衆院選が取りざたされる中でのことであっただけに、通常の政治報道・事件報道以上の慎重かつ多面的な報道が求められたが、そうした姿勢が今回の報道機関全体に希薄であったということ。

 1.有罪視報道と検察情報によりかかった報道

 1-1.起訴報道時のNHKの「速報」の問題点

 NHKは、公設秘書の大久保氏が東京地検に起訴された当日の夜、小沢前代表が記者会見を開き、大久保秘書の行為が政治資金規正法違反に当たることを否定した上で、民主党の代表を続投する意向を表明した直後の深夜から翌日の朝までトップニュースで、大久保秘書が違反事実を認めているとの報道を、繰り返し繰り返し行った。この報道には多くの報道機関が追従したが、その報道姿勢には疑問が残る。

 このNHKのニュースは「うその記載を認める供述をしていることが関係者への取材でわかりました。・・・大久保秘書は、逮捕後、東京地検特捜部の調べに対し西松建設からの献金とは認識していなかったと不正を否定し、関係者によりますと、最近になって献金は西松建からだと認識していたとうその記載を認める供述をしているということです」という内容であった。

 拘置中で接見禁止となっている被疑者は、報道関係者も含め外部の人間とは接触できない。被疑者、被告人の供述内容を知り得るのは、捜査機関側と弁護人だけである。その内容は、守秘義務を負う捜査機関側、および弁護人側にとって、極めて重要な秘密事項であり、報道機関が供述内容についての情報を得たとすれば、そこには何らかの守秘義務違反の犯罪がかかわっていることになる。一体何を根拠に、「大久保秘書が虚偽記載を認めている」との報道を行ったのか、重大な疑問がある。

 この報道が行われた後、各新聞、テレビで世論調査が行われ、「小沢代表の説明に納得できるか」「小沢代表は続投すべきか」という質問に対する回答結果が、翌週の初めに次々と公表された。NHK の報道と、それに追従した他のメディアの報道によって、多くの人が、起訴された秘書が違反を否定しているのに、なおも違反を否定し続けている小沢前代表の「苦しい言い逃れ」の印象を受けて、「小沢代表の説明には納得できない」という回答に誘導されたと考えられる。

 当委員会は、NHKに対して書面で質問を行い、放送内容には真実性に問題がある上、放送の前提としての「うその記載」の意味が不明確であるとの問題の指摘を行った。これに対して、NHKは書面で回答したが、「うその記載」について、「放送した公訴事実の要旨『実際には西松建設から受けたのにOBの政治団体からの寄付だと記載した』とされる点と認識しています」と述べるにとどまっている。大久保秘書の容疑事実における「虚偽」の意味については、逮捕当初から、現行法は、政治資金収支報告書に寄付の資金の拠出者の記載を求めてはおらず、単に西松建設が資金の拠出者だと知っていながら政治団体と記載したということだけでは虚偽記入にはならないとの指摘があり、この点が、本件の犯罪の成否に関する重要なポイントであることはNHK側も認識できたはずである。NHKによる「大久保秘書が献金は西松建設からだと認識していたと、うその記載を認めた」との報道は、この「虚偽」の意味をあいまいにしたまま、西松建設が資金の拠出者であることを知っていたことを認めたことで「うその記載」を認めたという印象を視聴者に与え、関係者の情報をもとに同秘書を裁判開始以前の段階で有罪視するものであった。しかも、小沢前代表の会見のニュースに合わせて、この報道を深夜から朝まで繰り返した。総選挙が半年以内に実施されることが予定されている中で、有権者の投票行動に決定的な「判断材料」となりうる報道については、より多面的かつ公正公平な取材報道が求められる。このNHKの報道姿勢には重大な疑問が残る。

 さらに、多くの新聞、テレビが、このNHK の報道に追従し、「容疑を大筋で認めた」などと報じる中、毎日新聞など一部の新聞は、大久保容疑者は一貫して容疑を「否認」していると報じた。朝日新聞は、追従する報道は行ったものの、のちに弁護人側が、大久保秘書がうその記載を認めたとの報道に関して、これを否定するコメントを行った際、その全文を紙面に掲載している。ところが、NHKニュースでは、弁護人のコメントをまったく報じていない。検察情報に一方的に依拠し、弁護側からの取材を行わないで報道したばかりか、弁護人がコメントを行ってもまったく報じていない。

 こうした事件の推移および読者・視聴者の判断に大きな影響を与える情報については、当然ながら慎重な報道が求められる。この報道に情報源があるとすれば、検察関係者に限定されるだろうが、その一方当事者側の情報を、反対当事者に取材することもなく報じただけでなく、それに対する反論が出されても報じないというのは、報道の公平性を著しく欠くものである。公共放送の報道姿勢として重大な問題があり、まさに、メディアのコンプライアンスが厳しく問われる事例だといえよう。

 大久保秘書は保釈保証金1500万円を納め、5月26日夕刻、逮捕から約2カ月半ぶりに東京拘置所を出た。保釈後、弁護人を通じて発表したコメントは次のとおりである。

 「現在、私は、政治資金規正法違反被告事件で起訴され、公判を控えておりますので、事件の中身について発言を控えるべき立場にあることを皆様にご理解いただきたいと思います。

 ただし、問題とされている政治資金に関しては、私は政治資金規正法の定めに従って適切に処理し、かつ、そのとおり政治資金収支報告書に正しく記載したものであり、法を犯す意図など毛頭なく、やましいことをした覚えはありません。この点は、裁判の中できちんと争うべきことで、自分の主張は法廷で明らかにしてまいりたいと思います」

 収支報告書に「正しく記載」したことを主張する大久保秘書のコメントと、起訴時点でのNHKなどの「うその記載を認めた」報道との差異はあまりに大きい。

 1-2.政治資金規正法を読み違えた産経報道

 3月8日付産経新聞に記載された「小沢氏 監督責任も 起訴なら失職の可能性 政治資金規正法」との記事は、政治資金規正法の誤った解釈による誤報であり、この記事を読む読者に大きな誤解を与えたといえる。

 政治資金規正法25条2項は「政治団体の代表責任者が当該政治団体の会計責任者の選任および監督について相当の注意を怠ったとき」に罰金刑に処すると定めているが、この「および」は選任についての相当の注意と監督についての相当の注意の両方を怠ったことを要件とする趣旨であり、「監督」についての相当の注意を怠っただけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや公民権停止で失職する可能性もないことは明らかである。上記産経新聞の記事は、大久保氏が東京地検に逮捕された後、同地検が小沢前代表を聴取するなどと報じられる中で、小沢前代表の刑事責任追及の可能性と、それによる議員失職の可能性について国民に重大な誤解を与えるだけでなく、公職を辞職することで起訴猶予処分となって議員辞職を免れる余地があると示唆することで、小沢前代表自身の進退の判断にも重大な影響を与えかねないものである。

 このように「監督責任」を見出しに掲げ、「監督責任ミスが認定され、起訴された場合には、小沢氏は最終的に衆院議員を失職する可能性も出てくる」と述べた上で、故土屋義彦埼玉県知事が同様の事件で会計責任者に対する監督責任を認め、知事を辞職したことで、反省の情を認められて起訴猶予処分になったことにまで言及した同記事は、読者あるいは有権者に対し誤った政治判断を与えるだけなく、故土屋知事の事例を引き合いに出して、小沢前代表の進退にも影響を及ぼそうとする意図もうかがわれるものであり、NHKの報道と同様に、本件の一連の中で際立って問題を含む記事であった。また、この記事には「捜査関係者」といった語句が頻繁に登場しているが、その記述の通りであるとすれば、検察が報道機関をあたかも「広報機関」のように利用して、世論の誘導や小沢前代表の進退や捜査への対応に影響を及ぼそうとした疑いもある。上記のように、法律上は会計責任者に対する監督ミスだけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや議員失職はあり得ないのであり、まったくの誤報である。産経新聞は徹底した報道検証が必要であると考えられるが、当委員会から書面で質問を行ったにもかかわらず、産経新聞からは本報告書執筆時点で、いまだ回答はない。←注・管理人の手による!

 1-3.「捜査は自民関係者に波及しない」 内閣官房副長官の問題発言

 さらに、3月6日の朝刊各紙は、政府高官による「自民関係者、立件はない」「捜査は自民党議員に波及しない」とのオフレコ発言を伝えた。「(この)発言が大きな問題になってもメディアが率先するのではなく、結局、河村建夫官房長官の明示を待って実名に踏み切ったのは情けない。体のいい情報操作の手段に使われないよう、必要な場合は実名にするとともに、オフレコ懇談自体の是非も議論すべき時ではないか」(田島泰彦・上智大学教授)との指摘に、この国の報道機関は耳を傾けなければならない。このような政府中枢にいる人物のオフレコ発言といえども、報道機関自身がその真意を徹底して追求する姿勢が求められている。政府高官の実名を自らが明かすのではなく、官房長官の記者会見での表明を待つ姿勢は、今回の事件全体を覆う、報道機関の消極的姿勢を象徴するものであったといえよう。

 1-4.検察の説明責任追及報道

 大久保秘書起訴時点で、毎日新聞は、小川一社会部長(当時)が「検察は説明責任を果たせ」との解説記事を3月25日付朝刊に掲載したことは評価しなければならない。しかしながら、報道による世論調査では、たとえば、5月11日の読売新聞朝刊1面で伝えられた内閣支持上昇29%、小沢氏続投「納得せず」7割といった調査結果に見られるように、小沢前代表側の「説明責任」と進退にマスコミ報道の中心が置かれ、検察の説明責任を求める声は、新聞報道では有識者の発言で見受けられたものの、新聞社自身の意見の表明としては少なかった。

 公設秘書逮捕につき、聴取開始直後に逮捕するという捜査手法が適切であったかについての言及も少なかった。また検察当局が刑事訴訟法を盾に説明責任を果たそうとはしないように、小沢前代表の側も訴訟当事者関係者として説明しうる範囲は限定されるだけに、報道機関によるこの問題の徹底検証が必要不可欠であった。

 1-5.「代表辞任すべき」報道

 逮捕時から始まり、起訴直後から繰り返された執拗(しつよう)な代表辞任報道は一方的に政治状況を作り出し、民主党および代表を政治的に追い詰め、国民の判断をゆがめた可能性があり、大きな問題がある。また、各報道機関は、その世論調査の質問項目に「小沢代表は代表を辞任すべきかどうか」を設定し、過半数を大きく超える「辞任すべき」との調査結果を大きく報じた。しかし、どのような政治的責任があっての辞任であるのか、説明責任を果たさないから辞任すべきであるのか、極めてあいまいなままの質問であったと言わざるを得ない。政治倫理を問い続けること並びに政治と金の問題を追及することは報道機関の社会的責任の一つであるとしても、公設秘書の逮捕即辞任といった質問はあまりに短絡的であったし、辞任世論をあおったともいえよう。

 2.秘書逮捕報道、起訴報道に見られる個別問題

 2-1.過大・歪曲報道

 今回の事件は政治資金規正法違反容疑で立件されただけで、本報告書作成時点では、贈収賄や入札妨害などの罪は立件されていない。しかしながら、どのような根拠に基づいたのかは定かではないが、西松建設の東北地方における公共工事受注と今回問題とされている政治献金が関連しているかのような印象を与える報道が続いた。つまり、政治資金規正法違反にとどまらず贈収賄などの刑事事件に発展することをあたかも前提としたような事態が、新聞やテレビなどの報道で続いたのである。

 2-2.検察の情報秘匿姿勢と報道側の沈黙

 大久保秘書起訴(3月24日)当日、東京地検谷川次席検事・佐久間特捜部長による司法記者クラブ記者への説明および質疑応答の際、記者クラブは加盟社以外の者の参加を認めたにもかかわらず、検察側が加盟社以外の参加を認めず、結果的に加盟社以外のジャーナリストが排除されたまま検察側の説明がなされたとの指摘がある。この点に関しては、資料編に付したように当事者からの証言を得た。また、テレビ撮影や説明・質疑内容の記録公開も許可されず、極めて閉鎖的な場での説明であった。ところが、新聞、テレビなどでは、このような検察の姿勢を批判することもなく、この加盟社以外のジャーナリストを排除した事実さえまったく報道されていない。今回の政治資金規正法違反に関する検察捜査には多くの疑問があり、検察の説明責任が問われているにもかかわらず、小沢前代表秘書の起訴という重大な節目の時点で、検察がどのような説明の姿勢を示したかについて、重要な事実をまったく報道しようとしないマスコミの姿勢は問題だと言わざるを得ない。

 2-3.「捜査関係者」情報源明記報道

 さらに、今回の事件報道で特徴的な情報源にかかわる表記があったことを記しておきたい。逮捕以後の3月中の新聞各紙(朝日・読売・毎日・日経・産経・東京)に掲載された関連記事に捜査関係者という表記がしばしば見られる。

 産経新聞には、情報源として「捜査関係者」の登場頻度が各紙に比べ非常に高い。同様に日本経済新聞も捜査関係者は多く登場しているが、「関係者」は1回のみで、産経の0回と並んで、その他の4紙にはない報道姿勢といえよう。これは「関係者」表示に比べ、正確な情報源表示ともみられるが、逆に、表示の通りであるとすれば、捜査機関側の一方的な情報に依拠した偏った報道であると言わなければならない。さらに、公正な報道という観点から言えば、他方当事者である被疑者側からの情報も提供するべきであった。いずれにせよ、こうした情報源を明記する報道の場合には、より慎重な取材報道が求められることは言うまでもない。

 さらに付け加えるならば、裁判員制度開始に伴い、情報源の明示を報道機関各社は模索している。このような「関係者」はもちろん「捜査関係者」といった表記ですら、情報源明示とはいえない。本来ならば、その関係者の氏名を載せるべきである。しかし、掲載すれば情報の信用性は高まるものの、公務員による情報漏洩(ろうえい)の問題が浮かび上がるのである。

 2-4.当委員会をめぐる報道

 当委員会について、以下にあるような正確性を欠いた記事も少なくはなかったことを記しておく。

■5月4日付 産経新聞 「小沢氏進退論」大合唱 思惑外れた民主党の有識者会議

 当委員会を「有識者会議」と記し、その論議が「事件の法解釈上の問題点などを検討するという鳩山由紀夫幹事長らの思惑を外れ『小沢氏の進退論』に集中、党幹部を慌てさせている。説明責任のための会議が小沢氏に『引導』渡すことにもなりかねない」と報じている。

 この記事には執筆した記者名が記されている。その記者がこの間の当委員会の記者会見などに出席していたならば、この記事内容とはならなかったはずである。

 また、地方紙に掲載された以下の記事も同様であった。

■5月1日の地方紙朝刊に次のような見出しが付けられた記事が並んだ。

 東奥日報 代表続投をめぐる民主有識者会議 “みそぎ”のはずが… 想定外の辞任勧告? 出席者 次々厳しい声

 信濃毎日新聞 西松の巨額献金事件 民主の有識者会議 相次ぐ小沢辞任論 みそぎのはずが思わぬ展開

 沖縄タイムス 最前線/みそぎにはずが辞任勧告? 民主有識者会議

 各紙に掲載された記事は通信社の配信記事であるが、当委員会が招いたジェラルド・カーティス氏や堀田力氏そして岩井奉信氏が「政権交代を目指すなら辞任すべき」と述べていることを伝えている。これは当委員会の見解ではなく、招いたゲストの、しかも、当委員会の質問とは関係ない発言の一部であるにもかかわらず、小沢代表(当時)の進退について委員会が議論しているかのような不正確な報道がなされた。

 3.報道各社に求められる事件の報道検証

 3-1.報道機関の蓄積データと今回の事件の対比を

 これまで、各報道機関は数多くの政治資金規正法違反をめぐる事件を報道してきた実績がある。その膨大な報道資料さらには取材で得たデータをもとに、今回のような検察の捜査着手時期、さらには容疑内容と逮捕事実、また起訴内容と逮捕事実や身柄拘束の是非などについて、各紙が解説記事で触れている。しかし、全体としては、今回の事例の特殊性を際立たせる報道になっているとは言い難い。

 報道機関に求められる公権力の動向を監視するという古典的機能に立ち返り、この3月以来の民主党を巡る政治報道の内容をそれぞれ検証し、読者・視聴者にその調査結果を示すことが報道機関として最低限必要なことだと考える。

 同時に、現行の政治資金規正法の問題点や当局の捜査手法についての批判的見解を、外部の識者談話や識者執筆の原稿などにゆだねることなく、個々の報道機関が公開された政治資金収支報告書の分析検討などの調査を行うほか、独自取材を通して、事実の解明に寄与することが求められる。その上で、調査・取材結果を市民に伝える責務を果たすべきである。

 4.本件に関する報道のゆがみの原因

 この事件を巡る報道には検察側からとみられる情報に依存したものが少なくなかったといえよう。重大な政治的影響を生じさせる事件の報道にあって、とくに総選挙が近く実施されることが予測される状況での検察側の異例の捜査であるだけに、この間の報道は多くの問題点を残した。その背景に、記者クラブに象徴される当局と報道機関との不透明な関係があるとみられる。同時に、政治家と報道機関との適切な距離感が保たれていないという問題もある。

 本章で指摘したNHK、産経新聞の事例に見られるような、国民に誤解を与えるゆがんだ報道によって、社会的、政治的、経済的に重大な影響を及ぼすことのないように、組織内部においてコンプライアンス体制の整備に取り組むほか、報道界はジャーナリズムの原点に立ち返り、報道を巡る構造的な欠陥の解消に向けて積極的な取り組みを行うべきである。

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