■第5章 政党の危機管理の観点からの分析

 野党第一党の地位にある政党が、政権選択をめざす総選挙を目前に控えた時期に、党首の資金管理団体に関する政治資金規正法違反の容疑で党首の公設秘書が検察に逮捕されるという事態に直面したとき、その政党はどのような対応をとるべきなのか、そして、その党首自身は、どういう態度で臨むべきなのか。

 本章では危機管理の観点から、そのような立場に立たされた政党と党首がどのように対応すべきかを検討し、今回の事件で、まさにその立場に立たされた民主党と小沢前代表が実際にとった対応を検証した上、民主党が今回の問題を教訓として取り組んでいくべき課題を提示する。

 1.政党としてどのような基本方針で臨むべきか

 政党は国民に支持され、選挙で議席を獲得して政権を担当し、政策を実現することを目的としている。その目的実現のために、まず有権者の支持を得て議席を獲得し、国会内での多数勢力を獲得すること、野党においては選挙に勝利して政権を獲得することが必要であることは言うまでもない。

 一般論としては、かかる意味で、党首の政治資金問題が検察の強制捜査の対象とされるという事態に直面した政党は、まず、疑惑を厳粛に受け止め、党首に対して厳正に対処する姿勢を見せることで、党首の問題が党自体への国民の支持の低下につながることを最小限に食い止めることが必要である。

 しかし、一方で、民主的正当性を持たない検察の不当・違法な捜査権限の行使による政治介入が行われ得ること、それが、とりわけ時の政府に都合の良い形で行使される傾向があることは、第3章の3-1.で述べたとおりであり、そのような権限行使が行われたた疑いがあるのであれば、民主主義を担う政党として、憲法および法令によって認められた手段を駆使して、検察の不当な政治介入に対して毅然たる姿勢を示すことも重要である。

 民主党にとって今回の事件は、検察によって党首自身の政治資金に関する疑惑が指摘された一つの不祥事であると同時に、総選挙を半年以内に控えた時期に検察の捜査権限の行使が行われたことによって国民の政権選択に重大な影響が生じたという一つの政治問題の側面をも有している。小沢前代表自身が疑惑に対して十分な説明責任を果たし、国民の不信を払拭するため最大限の努力をすることが必要である一方、検察の捜査の適正さ、検察の捜査権限の行使のあり方に疑念があるのであれば、それがいかなる根拠によって行われ、その容疑事実や捜査手法にいかなる問題があるのかについて、可能な限り情報を収集し、問題の所在を明らかにすることで、国民に対して検察の不当な政治介入の疑いについて問題の指摘を行う必要がある。

 民主党にとって、小沢前代表に向けられた政治資金の疑惑に対して真摯に厳正に対処することと、検察捜査の政治介入の疑いに対して毅然たる姿勢をとることとの間には微妙な関係がある。検察捜査の問題を指摘することが、党首に向けられた政治資金の疑惑に対して政党として負うべき責任を回避しようとするものと受け取られてはならないし、検察捜査への批判が司法の権威を損なう態度として反発を招かないように配慮しなければならない。また、議会内で相当の勢力を有し、政権獲得をめざす政党が、政府・与党側の政治的意図による捜査の疑いを指摘することで、逆に、政権獲得後に政治的意図によって検察の捜査に介入することができると認識しているような誤解を招くことも避けなければならない。

 一方で、検察の捜査に関して疑念がある場合に、その問題に目を背け、検察の捜査を漫然と見守りながら事態の沈静化を図るだけでは、政党としての責任を果たしたとは言えない。政党としては、党首の疑惑に対して政党としての厳正かつ真摯な対応をとることと、検察捜査による不当な政治介入の疑いに対して適切な問題の指摘を行うことの両方が求められるのであり、そのために何より重要なことは、事態を客観的にとらえること、すなわち、事実関係を可能な限り正確に把握し、検察捜査に関する問題を的確に分析・検討した上で、政党としての対応を行うことである。

 2.体制の構築

 政党として事態を客観的に把握して適切な対応を行い、国民からの信頼を確保できるようにするためには、どのような体制の構築が必要か。組織にとっての危機的事態が発生した場合、まず事実関係を把握し、その問題が自らの組織にとって、どのように位置づけられる問題なのかを明らかにし、基本方針を策定する必要がある。

 政党の最終的な意思決定を行う立場にある党首に対して疑惑が指摘された今回のような事件については、ともすれば、事件の当事者的立場にある党首自身の対応と政党としての対応が一体化してしまいがちであり、それが、政党自体が当事者として対応しているかのような誤解を与えかねない。それは、政党としての対応の客観性を担保する上で最大の支障になるものといえる。

 それを防ぐための最も直接的な解決方法は、党首がただちに自発的に辞任することである。しかし、党首が一方で疑惑を全面否定しながら辞任することは、疑惑を覆い隠したまま表面的に問題の沈静化を図ろうとする姿勢と受け取られ、かえって政党への不信を招くことになりかねない。また、今回の政治資金問題のように検察捜査にも多くの疑問・疑念がある場合、そのような問題から目を背けたまま、党首辞任で検察捜査に屈服したかの印象を与えるのは好ましくない。

 そこで考えられるのが、検察捜査によって表面化した疑惑に関して政党としての対応を行うのに必要な期間内は、当事者たる党首がその疑惑に関する党としての対応の意思決定にかかわらないようにするための臨時体制を整備することである。

 その体制整備の方法には次の二つが考えられる。一つは、政党としての活動一般については従前の体制を維持し、党首の疑惑への対応を行う独立した組織を党内に立ち上げるという方法である。この場合、独立性を確保するため、何らかの形で対応組織の中に外部者を加える必要があろう。もう一つは、一定の期間、党首の臨時代理を設置するなどして、党の活動一般についても、党首が党の意思決定にかかわる立場から離れて政党活動を行う体制を構築し、党内に疑惑への対応を行う組織を立ち上げて対応するという方法である。

 後者の方法をとるためには、本件のように党首自身についての問題が表面化した場合の臨時代理の選任などについて、党規約などであらかじめ定めておく必要がある。前者の方法であれば、執行部としての判断で行うことが可能であるが、この場合にも当事者である党首が、その決定にかかわらないようにする配慮が必要であろう。

 3.政党および党首として行うべきこと

 3-1.政党としての対応

 上記のような体制を構築し、政党としての立場と当事者たる党首の立場を分離した上で政党として行うべきことは、まず、検察捜査の対象とされた事実について情報を収集し、必要な調査を行った上、党首からも説明を求めるなどして、政党として事実関係と問題点の把握を行うことである。

 この際、今回の事件のように、検察の捜査が継続され、とりわけ、直接の担当者である会計責任者の身柄が拘束されている場合には、事件の核心部分についての事実を把握することは困難であるが、政治資金に関する問題で、しかも、今回の事件のように「表の献金」の問題であれば、少なくとも公開されている政治資金収支報告書に基本的な事実は記載されているのであり、それを含めた公開資料とマスコミ報道による情報等を分析・検討することで、相当程度事実を把握することができるはずである(第1章2.2-4 で述べた今回の事件の問題を把握する上で重要な事実が、当委員会で公開資料によって調査した結果からでも明らかになっている)。

 こうした調査結果は、まず、党内において事件に対する共通認識の形成に活用されねばならない。そして、次に重要なことは、党首の疑惑に対して、党としてのコメントや見解を公表し、事件について公平で冷静な見方が行われるよう国民に対して適切に情報発信していくことである。とりわけ、今回の事件のように検察の強制捜査が行われ、マスコミが検察側からと思える情報に基づいて、検察側の見方に偏った報道を続けている場合に、党として客観的な見地から意見を述べることが重要である。

 この情報発信、コメントは、党としての事実調査の過程でも、必要に応じて行う必要があるが、その際、前記2.で述べたように、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう十分に留意する必要がある。捜査の容疑事実や捜査手法等に対して疑問な点があれば端的に指摘すべきであるが、「国策捜査」「不当捜査」などと主観的なコメントをすることは差し控えるべきであろう。特に、強制捜査着手後、起訴不起訴が決定される前の段階においては、その処分に影響を与えようとしているとの誤解を招かないようにしなければならない。問題を指摘した上で、検察当局の公正な判断・処分を期待する姿勢を維持することが、かえって捜査の問題を浮き彫りにする賢明な対応と言うべきであろう。

 3-2.当事者たる党首としての対応

 自らの政治資金の問題で公設秘書の会計責任者が逮捕された本件のような場合、党首の立場とは別個に政治家個人として対応することが必要となるが、この場合、野党第一党の党首という重要な地位にある政治家としての立場と、刑事事件の当事者的立場の両方に配慮した適切な対応をとることが求められる。

 通常は、刑事事件の当事者的立場にある者にとって、捜査中の事件についてのコメントには、刑事事件への影響を避けるという面からの制約がある。しかし、その一方で、政党の党首の地位にある政治家自らの政治資金が捜査の対象とされた場合、その容疑を真っ向から否定するのであれば、容疑を否定する対外的コメントを国民にわかりやすい形で行うことが不可欠であろう。ただ、ここで行うコメントが、マスコミに不正確に伝えられると、捜査で指摘された疑惑に対する姿勢に関して誤解を招くことにもなりかねない。また、党首ではなく政治家個人の立場での対応とはいえ、党首という立場を維持している以上、政権交代が実現した場合には行政の長たる内閣総理大臣の地位に就くこともあり得るのであるから、上記3-1.で党としての対応に関して述べたのと同様に、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう留意する必要がある。

 このように、政治家としての対応については、微妙で困難な問題があるため、弁護士のサポートを受けるなどして、会見の設定、プレスリリース対応などを適切に行うことができるよう、個人事務所を中心とする十分な体制を構築する必要がある。

 そして、重要なことは、刑事事件の当事者的立場にある者にとっては、検察捜査に対して反論・批判を行うのであれば、刑事手続の中で行うのが本筋だということである。公設秘書が起訴されたのであれば、少しでも早く公判手続が開始され、その場で、検察に対する反論を行い不当な捜査・起訴であることを明らかにできるよう、最善を尽くすべきであろう。

 4.本件に関して民主党および小沢前代表がとった対応に関する問題

 4-1.党首としての立場と政治家個人の立場との一体化

 鳩山幹事長(当時)からの回答書によると、「問題が代表個人の政治資金問題であることから、まず小沢代表が事実関係を把握し、できるだけ速やかに説明するべきことを要請し、翌日の朝一番に臨時役員会を緊急開催するとともに、その直後に代表が記者会見を開いて説明を行いました」とのことであるが、党首自身の政治資金問題で公設秘書が逮捕されるという、党首の辞任にも結びつきかねない、党にとって重大かつ深刻な事態の発生を受けて、民主党がまず行わなければならないことは、事件について当事者的立場に立たされた小沢前代表と、目前に迫った総選挙で政権をめざす野党第一党の民主党という組織とを切り離すことであった。小沢前代表が疑惑を全面否定し、辞任の意志はないことが確かめられたのであれば、政治家個人としての小沢前代表の対応は本人にゆだね、それとは別個に、小沢前代表が意志決定にかかわらない形で民主党としての対応を行うための体制を構築することであった。

 表面化した党首の政治資金問題に関して、民主党独自に意思決定を行い、自立した対応がとれるような体制を整備する方法として、小沢前代表が、事件についての対応を行う期間内、代表の職務を停止し、代表の臨時代理を選任する方法と、党の一般的な体制を維持したまま、小沢前代表の政治資金問題について党内で独立して事実調査などの対応を行う特別の組織を立ち上げる方法とが考えられることは前に述べたとおりである。ところが、実際の民主党がとった対応では、小沢前代表が党首として党の活動全般にわたって最終的意思決定を行う体制を維持したまま、小沢前代表の説明を前提に党の事件への対応方針を決定した。その後も、政治家個人としての小沢前代表の立場と政党としての民主党との切り離しが図られないまま、国民に対する説明などの対外的対応が行われていった。

 また、小沢前代表が民主党本部での代表定例会見という形で事件に関する発言を行ったり、代表代行、幹事長などが記者会見で五月雨的に事件についてのコメントや検察リークを批判するコメントを行ったりしたため、小沢前代表と民主党と渾然一体となって検察捜査に反発し対決しているように受け取られ、マスコミから批判を受けることにつながった。

 しかも、検察捜査の対象となった事件の内容や性格、問題点についても、その背景となっている小沢前代表の政治資金問題全般についても、党として客観的に事実を把握することができなかったために、民主党内部でさまざまな見方・見解の対立を招き、前提事実があいまいなまま小沢前代表の進退をめぐる議論が行われるなど、混乱を極めることとなった。

 一方で、小沢前代表の側も、政治家個人としての、個人事務所を中心に事件対応のための特別の体制を構築すべきであるのに、それが行われないまま、民主党の組織に寄りかかる形での事件への対応が行われた。

 3月4日などの小沢前代表の記者会見は、政治家個人の資金管理団体の政治資金の問題なのであるから、党首という立場ではなく、政治家個人の立場で行うべきものであり、政治家個人の立場と党首の立場とを区別するために、個人事務所などを会見場所に設定して行うべきであった。

 ところが、実際には、会見は党本部で行われ、マスコミへの連絡、会場の準備など会見の設営についても、定例記者会見と同様、民主党の役員室が行った。そのため、小沢前代表個人としての発言なのか、民主党の党首としての発言なのかが判然としないまま、事件に対する検察との対決姿勢だけが強調されるという結果を招いた。

 民主党においては、当事者的立場にある小沢前代表が意思決定にかかわらない形で、小沢前代表の政治資金問題に対する党としての対応を決定するための体制を構築すること、小沢前代表においては、個人事務所を中心とするサポート体制を作ることが不可欠であったといえよう。

 4-2.小沢前代表の説明について

 ア 検察の捜査・処分に対する批判

 小沢前代表は、3月4日の記者会見で「衆議院総選挙が取りざたされているこの時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使」と述べて検察捜査を強く批判したが、その後の記者会見では、検察捜査を直接的に批判することはせず、3月17日の会見では、「献金を受けていたことは事実ですし、そして政治資金規正法の趣旨にのっとって、その通り報告をしてきたところです。いろいろと今、捜査を致しているところと推測していますが、検察当局の公正な結論が出ることを期待しています」と述べて、検察の公正な判断を期待するという穏当な言い方を行っている。

 そして、秘書が起訴された3月24日の夜の会見では、「献金を受けた事実はそのまま報告していますし、献金をいただいた相手方をそのまま記載するのが政治資金規正法の趣旨であると理解していまして、その認識の差が今日の起訴という事実になったことと思います。過去の例を見ても、この種の問題につきまして、逮捕、強制捜査、起訴という事例は記憶にありません。そういう意味で、政治資金規正法の趣旨から言っても、またそういう点から言っても、私としては、合点がいかない、納得がいかないというのが、今日の心境です。特に総選挙、まさに秒読みの段階に控えている今日であり、私の責任の重大さを感じると同時に、そういった形での結果については、自分としては納得できないという思いです」と述べて、政治資金の処理に関する見解の相違が起訴の原因という見方を示すとともに、婉曲的ながら、過去に例がない検察の強制捜査・起訴に対する批判的な発言をしている。

 第1章で述べたように、本件の検察の捜査・起訴には、多くの疑問があり、しかも、検察は、それらの疑問に対して説明責任を果たしていないことからすると、そのような検察捜査で政治的に大きな打撃を受けたと考えている当事者の小沢前代表が、検察に対して批判的な見解を述べるのはある程度は当然であり、会見などの経過を全体としてみると、検察批判発言が行き過ぎているとは思われない。しかし、突然の秘書の逮捕で若干感情的になっていたと思われる3月4日の会見での強い表現の検察批判が、その後マスコミで繰り返し取り上げられ、対決姿勢が強調されたことが、あたかも民主党が党として検察批判を行っているように受け取られ、その後の世論形成において結果として不利に作用したことは否めない。政治家個人としてのマスコミ対応のサポート体制が十分ではなかったことの問題が表れたとみることもできよう。

 イ 政治資金規正法違反の容疑事実に関する説明

 3月4日の小沢前代表の記者会見における、西松建設の関連政治団体から陸山会への政治献金の違法性に関する発言の中で、その後、マスコミ側から「苦しい言い逃れ」のように扱われ、批判的世論形成の原因となったのが、(1)「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば、政党支部は企業献金を受けることが許されておりますので、そういう企業献金という認識に立っていたとすれば、政党支部で受領すれば何の問題も起きなかったわけでありまして、私どもの資金管理団体の担当者は、それは政治団体からの寄付という認識の下にあったから、政治資金管理団体で受領したということであったと報告を受けております」と、(2)「献金していただくみなさんに、そのお金の出所や、いろいろな意味においてそういうことをお聞きするということは、厚意に対して失礼なことでもありますし、通常、これは政治献金の場合だけではなく、そのような詮索(せんさく)をすることはないだろうと思っています。」の二つであった。

(2)の「詮索することはない」という言葉が、「資金の出所が西松建設であることを知る立場にない」という意味で受け取られ、(1)の「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば」という言葉が、「資金の出資者が西松建設だと認識できたとすれば政党支部で受領すればよかった」という意味で受け取られたことが、小沢前代表が、資金の出所が西松建設だと認識する可能性すらなかったと主張しているように扱われ、「自分の会社に何かメリットがなければ政治献金をする意味がないのだから、西松建設が出資者だということは当然、小沢側が認識していたはずだ」という理由で、小沢発言は、不自然・不合理な弁解だとされ、「説明責任を果たしていない。納得できない」との批判につながった。

 しかし、当委員会でのヒアリングに対して、小沢前代表は、「政治資金規正法では、寄付をしてくださった個人や団体を収支報告書に記載すれば十分であり、資金の出資者を記載することは義務付けられていない」という前提で「政治団体から受領した以上、政治資金規正法にのっとって、政治団体からの寄付として収支報告書に記載すべきと考えたからこそ、そのように記載したということです」と答えている。

 また、「詮索することはない」という言葉の意味についても、ヒアリングでは、「寄付を頂く政治団体に対して、寄付の資金をどのようにして捻出(ねんしゅつ)されたのかということまでお尋ねするのは、誠に失礼なことですので、そこまで詮索するようなことはやっていないはずだと申し上げた」と説明した。

 その前提として、小沢前代表は「寄付を頂く際に、どこから資金が出ているかを一つひとつ確かめてみろということは、少なくとも、今の政治資金規正法では求められていない」ということも述べている。

 しかし、3月4日の記者会見の際の発言は、記者の側には、そのような意味には受け取らなかった。政治献金の資金が西松建設から出ているとの認識の有無が犯罪の成否のポイントだとの前提に基づいて、小沢前代表の発言は、その認識を無理に否定しようとする発言だと受け取られてしまった。

 第1章で述べたとおり、政治資金規正法上、収支報告書に記載が義務づけられているのは政治資金の出資者ではなく、寄付の外形的行為者と理解するという見解にたった上で犯罪の成否を議論するよう、記者への丁寧な説明を行う必要があった。この点も、個人事務所を中心とするサポート体制が整備されていたら、より適切な対応ができたのではないかと考えられる。

 ウ その他の事項についての説明

 今回の政治資金問題に関連して、小沢前代表に対して、事件そのものについての説明以外に、ゼネコンから長年にわたって多額の政治献金を受けていたのであるから、その政治資金の使途についての説明を求める声がある。

 この点について、ヒアリングで質問したところ、小沢前代表は、「私は、政治資金規正法が定めるルールにのっとって、頂いた政治献金をすべて収入として収支報告書に記載し、その使い道についてもすべて収支報告書で公開しています。また、陸山会の事務所費については、当時の法律では義務付けられていないのに、事務所費の明細とすべての領収証を公開しました」「今回も同じようなことをすればいいではないか、といわれるかもしれませんが、事務所に強制捜査が入ったときに会計関係の書類をほとんど持っていかれてしまったので、説明する術がありません」と答えた。

 政治資金収支報告書に記載されている支出の内訳の程度では、政治資金の使途の説明として十分とは言い難いというのが一般的な感覚であろう。ただ、検察に会計関係の書類がすべて押収されているので、それ以上の詳細の開示ができないということであれば、現時点では、収支報告書上の支出の内訳以上の開示は困難である。結局のところ、今後の刑事手続の推移の中で、押収物の還付が受けられた時点で、改めて検討することになろう。

 今回、小沢前代表に説明責任を問う契機となった政治資金規正法違反の刑事事件が、一方で、皮肉にも、小沢前代表の政治資金についての開示を阻む要因になっているという見方もできよう。今後、刑事手続が進展し、公判において事件の内容が明らかにされる中で、背景事実として小沢前代表の政治資金の問題も立証の対象となり得るのであるから、小沢前代表の側でも、公判での立証の状況に対応し、また、第1章で述べた検察の捜査・処分に対する疑念が解消されるかどうかも見極めながら政治資金問題についての説明を行っていくべきであろう。

 5.まとめ

 これまで述べてきたように、今回の事件に対する民主党および小沢前代表の対応は、政党の危機管理対応という観点からは問題がある。発端となった検察捜査自体に第1章で述べたような多くの疑念があり、また、それに関するマスコミ報道にも第4章で述べたような問題があることは確かであるが、政党としての危機管理に失敗した結果、政党支持率の低下、小沢代表(当時)の辞任を求める世論の高まりを受けて総選挙を目前に控えた時期の代表辞任という事態に至ったことは厳然たる事実であり、それは、多くの国民の支持を受け、その期待を担う政党にとって反省すべき事柄である。民主党にとっては、その危機管理の失敗を、今後、危機管理対応のみならず党運営全般に活用していくことこそが、今回の事件を乗り越えて国民の信頼を回復するための最良の手段である。

 危機管理の失敗の最大の原因は、今回の事件に関して、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したことである。そのため、検察の捜査・起訴に関する問題やマスコミ報道の問題などがあっても、それらの問題を客観的な観点から的確に指摘することができず、事態の一層の悪化につながった。

 問題は、なぜ、当事者の立場と民主党の党首としての立場を切り離すことができなかったのか、ということである。危機管理の失敗の根本原因は、多くの場合、組織の日常の中にある。民主党の日常的な党活動の体制において、強烈な個性を持ったリーダーの指導力と、党としての判断や対応を客観化するシステムとの調和という面で問題がなかったのか、という観点から、今回の事件における危機管理の失敗の原因を検証してみることが必要であろう。

■第6章 政治的観点から見た民主党の対応

 本章の目的は、民主党の求めに応じて、「小沢前代表および民主党の対応、説明責任について検討する」ことである。今回の政治資金規正法違反事件に関連して、小沢前代表や民主党の「説明責任」を問う声は根強いが、具体的にどういう説明を求めているのかについて、さまざまな論点が錯綜(さくそう)し、小沢前代表や民主党が対応に苦慮したようにも見られる。そもそも、当委員会の設置自体、そうした戸惑いの現れとも見ることができる。そこで、本章では、広く国民の支持を獲得しようとする政党がとるべき政治戦略の観点から、小沢前代表および民主党の対応を検討し、党内運営のあり方についての方策を示す。

 政党や政治家は広く国民の支持を獲得することを目的とする存在であり、問題がなければ、関心を持たれなくてもよい、というわけにはいかない。その意味で、政党や政治家は、積極的に自己の立場をアピールし続けなければならないのである。不利な状況においても、単に疑惑を解消するだけではなく、説明を通して、国民のなかに共感を広げるという積極的な姿勢が欠かせない。その点で、あまりに防衛的になるばかりでは、事態を有利に打開することにはならないことに注意が必要である。

 1. 対応の前提

 1-1.当事者的立場にある政治家と政党の区別

 すでに、第5章で見たように、今回、小沢前代表の問題と民主党の問題が、渾然一体としてイメージされたことは反省すべき点である。

 今回の政治資金規正法違反事件は、あくまで小沢前代表の個人事務所をめぐる問題であって、論理的に考えれば、民主党全体の問題ではない。しかし代表職にあって、政党を率いる立場にある政治家の問題である以上、一般の印象として、民主党そのものに問題があるとみられてしまう危険性がある。それを防ぐには、両者の区別を積極的に訴えていくことが何よりも必要であった。

 また、事件によって代表の進退が取りざたされるとき、まず、強調されないといけないのは、当事者的立場にある政治家と政党との区別であり、それを前提に議論を進めないと、代表辞任論に抵抗することは難しいし、万一、代表辞任という事態に立ち至った場合には、政党に対するダメージは大きくなる。その意味で、この両者を区別していくことは必須であった。

 1-2.今回の事件の特殊性

 今回、小沢前代表の進退が大きな問題になった背景には、一般の刑事案件において、疑惑が生じ、捜査が行われた場合には、事柄の成否が明らかになる前でも、とりあえず疑惑を抱かれたことをもって、いったん身を引く事例が過去に多かったことがある。

 しかしながら、本件についてみれば、政治資金規正法の解釈をめぐって、検察側と小沢前代表側との間に見解の相違が見られ、それが事件の本質的な問題となっているため、贈収賄などの刑法犯の場合とは、大きく事情を異にする。

 ただ、そのことは、法律問題に必ずしも精通していない、一般の国民などには理解しにくいため、丁寧な説明によって、問題の所在に関する一定の理解を確保する努力が求められていた。

 また、長く見積もっても半年以内に総選挙を控えている時期の強制捜査であることは、政治情勢に対して重大な影響を与えるものであり、この点についての考慮も欠かせない。

 1-3.検察に関する発言の問題

 強制捜査の時期などから、政府の一部に属する検察が、現政権側の利益のために、野党に打撃を与えるための捜査・起訴ではないかという疑いについては、あってはならないことではあるが、理論上は排除することはできない。

 そこで、当事者がそのような可能性に思い至って、それに憤慨するのを否定することまではできない。しかしながら、法的秩序の安定性を考えれば、司法に対する政治的介入を意図していると誤解されかねず、問題が大きい。

 その意味で、当事者的立場にある政治家が、総選挙の時期とからめて検察の措置を批判し、さらに進んで、検察のあり方そのものを直接批判することは、控えるべきであり、慎重な言い回しが求められる。総選挙の結果次第では、内閣総理大臣になることが予想される民主党の代表として、検察の独立性に疑問を呈するのは、政権の座に着いたら、逆に検察の活動に介入するのではないかという疑いを抱かせかねないからである。

 会見の記録などから、小沢前代表もこの問題の所在を理解していると推測されるが、秘書逮捕直後の会見では、やや感情的になったという印象のある発言があり、それが広く報道されたのは反省点である。

 もちろん、第1章で述べたような問題があるので、検察の措置に対抗するために、当事者的立場にある政治家が、検察の立場とは違う立場を取っていることを説明することは必要である。

 これに関して、民主党、とりわけ幹部は、先に述べた当事者的立場にある政治家と政党の立場を区別するという観点から、検察批判的な発言を抑制することが、より強く求められる。ところが、幹事長など党の幹部によって「国策捜査」という言葉が使われ、また検察に圧力を加えると誤解されかねない発言が相次いだのは、適切ではなかった。

 ただ、検察の措置に問題があるということを、全く論じていけないわけではなく、そうした問題の所在に人々の関心を向けさせる発言は認められる。政治的有効性からすれば、民主党関係者が抑制の効いた発言を続けるなかで、第三者の間から、検察の措置に関する批判がわき起こるといった事態の方が、より民主党にとって、好ましい事態であったと考えられる。

 2. 民主党代表としての小沢前代表の説明について

 当事者的立場にある政治家としての小沢前代表の立場とは別に、民主党の代表としての小沢前代表には、説明すべきことはなかったのであろうか。もちろん、党の代表としての記者会見で、事件について聞かれることもあろうが、これについては、当事者的立場にある政治家として別に回答すると述べて、立場が違うことを明確にすべきである。

 しかし、今回の事件を契機に、小沢前代表の政治資金問題一般に関する認識や行動、さらには政治姿勢が問題とされたことについては、政党の代表をつとめる政治家として、積極的に自らの心情と行動を訴え、広く支持を求めるという行動をとることもできた。

 とりわけ惜しまれるのは、かつて代表選挙の際に「私も変わらねばなりません」と述べて、大きな共感を呼んだような展開がなかったことである。批判者のなかには、小沢前代表がかつて自民党の要職にあり、さまざまな利権にもかかわっていたはずで、その「体質」が今でも変わっていないという前提から、今回の事件を奇貨として、小沢前代表に対する批判を活発化させた論者も多い。そうしたときに、政治資金に関しても、時代の変化や社会の要請にかんがみ、かつての「体質」から脱却したと国民から認められるよう努力しているところである、といったことを述べるべきであったのではないか。

 そして、いわゆる政治資金の出所と使途に関する疑問に関しても、自民党など他の政治家と比べて、それほど突出した政治資金を集めているわけではないことを説明するほか、どういう目的で政治資金が使われるのか、例を挙げるなどして説明するということがあってもよかった。

 この点について、小沢前代表には、なぜ自分についてのみ政治資金の問題がとりあげられるのか、という思いがあったことは理解できるが、内閣総理大臣になりうる立場としては、何事によらず、国民一般への説得力を備えることは、大変重要なことである。現代社会においては、政治家とりわけ最高指導者には、高度な説明あるいは説得能力が求められるのであって、政治資金や政治姿勢に関する問題も、それに含まれるからである。

 これに関連して、集中豪雨的な小沢辞任論など、一方的な報道にさらされたために、やむをえない面もあるが、小沢前代表は、もっと積極的にマスコミに訴えかけるという姿勢があってもよかったのではないか。多くの国民が、報道を通じて政治状況を知ることを考えれば、説明の努力を続け、報道内容を変えていこうという姿勢を維持すべきである。「マスコミが悪い」といっても、報道内容の当否を一般の有権者が知ることは容易ではない以上、できるだけ有利な報道が行われるように努力し、少なくとも、努力している姿が伝わるように努めるべきなのである。そう考えると、記者会見においても、記者の背後に一般の国民がいることを考え、小沢前代表は言葉遣いを含めて、広く国民に訴えているのだという姿勢を保つ必要があった点も指摘しておきたい。

 また、民主党代表としての小沢前代表は、事件にもかかわらず、できる限り平常通りの執務に努めて、事件の影響を最小化すべきであった。政治資金規正法違反事件の帰趨にかかわらず、事件対応のために代表としての職務に差し障りがあるとすれば、別の批判を受けかねないからである。

 3. 民主党の対応について

 3-1.立場の区別と党外への訴えかけ

 政党において、所属議員に問題が起こったときの対応には、固有の難しさがある。それは、政党が集団でありながら、所属議員は国会議員として、固有の独立性を持っている点である。そこで、所属議員の問題を、政党全体の問題と区別し、所属議員が問題を処理できるように支援しつつ、問題の分離を図ることが必要となる。まして、今回の場合には、政党の代表者について疑惑を持たれるという難しい事案であって、処理に苦慮したことは理解できるが、これについても、より洗練された対応が行われるべきであったと考える。

 先に述べたように、政党として、事件の当事者的立場となった代表とは、独立の立場で問題に対処しうることを示すことは重要であり、実際に、そのための体制整備が求められる。たとえば、問題に関する判断までも、民主党として、小沢前代表に委ねるということになれば、立場の区別ができないために、政党としての判断に問題が生じることも考えられる。従って、代表を除く執行部がこの問題について、自律的に対応できるための方策を考えておかねばならない。つまり、小沢前代表の政治家個人の問題と、政党の問題を区別するためには、小沢前代表が自身の問題にかかわる側面では行動しにくくなった状況において、民主党が政党として独自の立場を持つことを示す仕組みを備えるべきであった。

 これに関連して、民主党の仕組みとして、代表に問題が生じたときに、その問題に関して代表ぬきで党の方針を決める仕組みがないことが明らかになった。確かに、議員に問題が生じたときの機関に、常任幹事会の諮問機関と位置づけられている倫理委員会がある。ただ、倫理委員会は倫理的に問題のあった議員の処分を決めるためのもので、今回の場合には使えない。その点で、政治家個人の問題が発生したとき、党外から見て、問題を審査・評価するための仕組みが見えにくいのは問題である。

 なお、当委員会は、民主党から独立した純粋な第三者委員会であり、また実態の究明を目的とする機関ではない以上、民主党の説明責任を肩代わりすることはできないことを付言しておきたい。

 今回、民主党内から代表の対応についての批判が噴出しなかったことは、代表に対する信頼と党内の一致結束を優先した多数の所属議員の判断によるものとみられる。しかし、党内の議論を行って、その姿を示しながら党内の認識統一を図る方が、好感を持ってみられたのではないか。その点で、政治家個人の問題に関して、民主党内で弁明ないし説明する機会を設け、小沢前代表と所属議員など民主党関係者が、疑問点について直接意見を交換する姿勢を社会に示すことが求められた。また、これを踏まえ、民主党が代表の問題に関して、代表個人の判断とは別に、政党としての意思決定を適切に行いうることを示すべきであった。そうした手順を経て、代表の置かれた状況を民主党として正しく理解し、多くの所属議員が代表を支持するという形になれば、より説得力のあるかたちで民主党の立場を主張することも可能であったであろう。

 いずれにせよ、党首に疑惑が提起され、批判を受けるという事態のなかで、政党がとるべきことは、党内状況の流動化を防いで、政党としての活動を正常に継続することだけではなく、対外的に積極的なアピールによって、ダメージを最小にすべく努力することである。

 おわりに

 半年以内に総選挙が行われるという時期に、政権獲得をめざす野党第一党が、党首の政治資金問題による検察の強制捜査によって深刻な打撃を受け、国民の政権選択にも大きな影響を及ぼした今回の問題は、日本の民主主義の基盤そのものにかかわる多くの重要な問題を提起することとなった。

 今回の政治資金規正法違反による検察捜査については、第1 章で述べたように、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか等、多くの点について疑念がある。そのことが、政治活動と政治資金の関係に関して公開のルールを定める政治資金規正法の制度の枠組み、運用の在り方は、現在のままで良いのか、不当な捜査権限の行使や起訴に対して検察組織の外からのチェックシステムが設けられていない現在の制度に問題はないのかなど、第2 章及び第3章で述べた問題を提起することとなった。

 また、第4章で述べたように、今回の政治資金問題に関する報道のあり方には、情報源の偏り、公正さに欠ける報道内容などの問題があった。それによって、主権者たる国民による適切な判断の前提となる情報を提供するという報道機関の存在意義が、根本的に問われることになった。

 一方で、このような検察の捜査・起訴によって打撃を受けた民主党の側にも、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したために、事態を客観的に把握し、党として適切に問題を指摘することができなかったことなど、政党としての危機管理の面の問題があった。また、広く国民の支持を獲得すべき政党の党内運営のあり方にも、情報発信のまずさなど政治戦略上の問題があった。それが、代表の政治資金にかかわる問題で民主党が政治的に窮地に立たされる大きな原因になった。

 民主党は、本報告書で述べた政治資金規正法の枠組み、検察のあり方、マスコミ報道などに関する問題などを的確に認識し、今後の党としての政策立案、制度論に生かしていくとともに、今回の問題を教訓として、党運営、党の組織に関する問題についても改善を図っていくべきである。

 今回の問題の教訓を生かすためには、民主党が政権交代を阻止しようとする検察の意図的な権限行使、マスコミ報道の被害者的立場にあるかのように受け止めることは適切ではない。今回の問題で露呈したさまざまな問題は、政治資金制度、検察制度、メディアに関する制度などに関する構造的な問題に根ざしたものであり、今、重要なことは今回のような事件で政党政治に対する脅威が生じさせないようにするために、その構造自体を改めることである。そのためには、むしろ政治的には対立する現在の政権政党などと協力しながら、政党間の共通の課題として、超党派的な立場から取り組むのが望ましい。

 民主党は、今回の一連の問題を、政権獲得をめざす政党に降りかかった災難ととらえるのではなく、民主主義国家における政治・検察・メディアの関係に関する重要な問題を顕在化させ、今後取り組むべき課題を認識する契機と受け止めるべきである。そのような前向きの取り組みを行うことができるかどうか、そこに政権を担い得る責任政党としての真価が問われているといえよう。