[全国知事会]本土側が声上げる時だ 不公平の放置許されず

 沖縄の過重負担は理解する。でも、自分のところに持って来られては困る。米軍普天間飛行場移設問題で、沖縄の県外移設要求が届かないのは、簡単に言えば、県外の人たちにそういう考えがあるからだ。沖縄への基地集中は、終戦後からずっといまと同じだったわけではない。本土の基地を減らし、沖縄に集中させるような形をつくり上げてきたのである。

 東京都内できのう開かれた臨時の全国知事会議で、鳩山由紀夫首相は「訓練を県外に移すことは可能かどうか、ぜひ考えてほしい」と協力を要請した。仲井真弘多知事も「国民として負うべき負担を超えている。大幅に減らしてもらいたい」と訴えた。

 鳩山首相の要請は、順序が逆でいまさらという気がしてならない。大阪府の橋下徹知事が「大阪府や関西は沖縄県の犠牲の上に安全をただ乗りしている。できる限りのことをしたい」と述べた以外は、否定的な意見が相次いだ。

 基地が目の前から消え日米安保の姿が見えなくなったツケである。国民に支持されない安保とは何なのだろうか。

 県外の人が嫌なのは沖縄も嫌なのだ。県外が反対の主張だけをして受け入れを拒否すれば、また県内に舞い戻ってくる。それを打ち破るには全国知事会が声を上げるべきではないのか。そうしないと政府を動かすことはできない。

 普天間問題を突き詰めれば、戦後65年たっても外国軍隊がこれだけ駐留する日米同盟関係をどう考えるか、東アジアの隣国とどう付き合うのか、私たちが生きるこの地域の将来ビジョンをどう描き、日本がどういう役割を果たしていくのかに正面から向き合わざるを得なくなる。

 情けなくなるのは、石原慎太郎東京都知事が14日の記者会見で「アメリカとの合議の上でしか選択が許されない」「歴史の経過を眺めれば、沖縄の人は本当に気の毒だけど、もう一回我慢してください」と発言していることだ。

 「『NO』と言える日本」の著者とも思えない。沖縄はもう十分すぎるほど負担してきた。沖縄に押し込めることを前提に思考停止しており、とても納得できない。

 宿命論のようにいわれてきた沖縄の地理的優位性や、海兵隊の抑止力は、日米両政府がすり込んだ「神話」であり、後知恵にすぎない。県民はもう、とっくにそんなウソを見抜いている。

 1952年に発効した対日講和条約で日本は独立を回復し、沖縄は米軍の統治下に置かれた。米軍は銃剣とブルドーザーで土地を接収する一方、50年代後半には山梨や岐阜に駐留していた海兵隊が沖縄に移駐してきた。本土で反基地感情が高まったからだ。

 50年代後半から60年代初頭にかけて本土と沖縄の米軍基地は同規模だった。70年代に入ると、本土では関東平野の空軍基地を横田基地に統合するとともに、基地を返還する「関東計画」などが進み基地は三分の一に減少、沖縄の基地はほとんど減ることがなかったため、国土の0・6%の沖縄に米軍専用施設の75%が集中するといういびつな形が出来上がったのである。

 65年1月、佐藤栄作首相は、ジョンソン大統領との会談で「沖縄に現在、米軍がいることによってわれわれの安全は保障されている」と日本の首相として初めて沖縄の米軍基地が日本にとっても重要であることを認めた。日米安保のコストを沖縄に負わせ、その恩恵は本土が享受するという構図である。

 72年1月の佐藤首相とニクソン大統領の会談で、同席した福田赳夫外相は那覇空港の返還に際し、移駐することになっていた米海軍対潜哨戒機P3Cについて「岩国基地や三沢基地に移転されれば政治的問題を引き起こす」と沖縄県内の別の基地への移転を要請した。P3Cは結局、嘉手納基地に移駐した。

 政治がもたらした著しい不公平をこれ以上、放置してはならない。本土側が声を上げなければ何も変わらない。 (沖縄タイムス  2010年5月28日 09時55分)