花岡信昭の「我々の国家はどこに向かっているのか」

「宇宙人」の面目躍如たる辞任劇  (日経BPネット 2010年6月3日) http://bit.ly/97dIdJ


鳩山氏が小沢氏に道連れ辞任を迫る

 さすが「宇宙人」と揶揄されてきた鳩山由紀夫氏の面目躍如たるところがある。

 首相の進退問題は大方の予測を裏切り、小沢一郎幹事長との刺し違え辞任を導いた。

 輿石東参院議員会長を含めて2日間にわたった3者会談は、いずれも短時間で終わっていた。小沢、輿石両氏が鳩山氏に対し、暗に退陣を迫り、これに鳩山氏が必死に抵抗したという構図かと思っていたら、どうも逆だったらしい。

 鳩山氏が小沢氏に道連れ辞任を迫り、小沢氏が抵抗していたということらしい。

 だから短時間で終わっていたのだ。参院選の情勢分析、意見交換ならば、もっと時間を必要とするはずであった。

 鳩山氏とすれば、退陣の決意を完全に固めて臨めば、これは怖いものはない。

 メディアはすっかりだまされた。かくいう筆者も、朝方まで徹夜で原稿を書いていて、ちょっと寝て起き出したら、事態は急変していた。

 鳩山氏は小沢氏ばかりか、北教組事件の渦中にある小林千代美衆院議員の辞任も求めた。「政治とカネ」をめぐる問題にけじめをつけ、クリーンな民主党のイメージを置き土産にしようというわけだ。

 この首相退陣騒動からは、さまざまな問題が浮かんでくる。

 ひとつは、あの小沢氏が鳩山氏の刺し違え戦法を阻止できなかったことだ。


小沢氏の政治力ダウンか、それとも……

 これを小沢氏の政治力ダウンの証明と見るか、あるいは、小沢氏のことだから起死回生の場面転換を考えていると見るか。

 昨年5月の代表辞任後、小沢氏は選挙担当の代表代行として衆院総選挙を仕切り、歴史的圧勝をもたらす立役者となった。奈落の底に突き落とされたかのように見せておいて、不死鳥のごとくによみがえるというのが小沢流である。

 鳩山氏の後任は菅直人副総理兼財務相が最有力と見られている。

 こういう緊急事態だ。閣内の序列2位の菅氏が後任になるという図式が、当面の党内抗争を抑え、参院選に臨む態勢を再構築できることになる。

 もっとも事実上の選挙管理内閣といえ、参院選に勝てば続投だが、敗北した場合は9月の代表選を繰り上げて、またトップの交代ということになる。

 鳩山氏は退陣の理由として、政治とカネの問題の前に、普天間問題で社民党を政権離脱に追い込んでしまった責任を取らなければいけない、と述べた。

 ここは大いに異論がある。

 普天間移設問題の迷走ぶりはこのコラムでも何回か批判してきたが、最終的に鳩山氏は「5月末決着」を曲がりなりにも果たしたのである。

 それも4年前に日米間でほぼ合意に達していた名護市辺野古のキャンプシュワブ沿岸部にきわめて近いかたちでの決着となった。

 具体的な場所や工法は8月に先送りとなったが、ともあれ、米側は「辺野古」の文字が入っていたことで納得したのである。


社民党との連立にそもそも無理があった

 社民党の福島みずほ党首(消費者・少子化担当相)は閣議決定の署名を拒否、鳩山首相から辞任を求められたが、これに応じなかったため、罷免された。

 役所での退任あいさつで涙を流した福島氏だが、悲劇のヒロイン的な存在にしてしまっては本質を見誤ることになる。

 一部民放テレビのワイドショーなどは、福島氏にきわめて同情的な扱いであった。

 結論的にいえば、社民党を抱え込んだ連立政権にそもそも無理があった。

 政権発足時には参院で民主党と国民新党だけでは過半数に足りなかったため、社民党が重要な立場を占めた。

 だが、その後、自民党からの離党者の吸収などによって、社民党抜きでもかろうじて過半数に達するにいたった。

 たしかに、参院で首相問責決議案が提出され民主党から多少の造反者が出れば、可決されてしまう可能性はある。だが、それ以前に衆院で内閣不信任案は圧倒的多数で否決されるのである。

 問責決議案に法的拘束力はない。

 参院民主党が首相の責任問題を声高に叫び出したのは、7月参院選を控えて、これでは選挙を戦えないという危機感が強まったためだ。

 内閣支持率は危険ラインとされる20%を割り込み、首相の指導力不足がやり玉にあげられた。党内の極秘調査で30議席割れという悲劇的な見通しも出たという。

 鳩山首相が普天間問題でなんとも軽い発言を続け、迷走に迷走を重ねてしまったことは事実だが、最後の最後に、この政権としては最高に「いいこと」をしたのである。


福島氏に必要だった政権の一翼を担う覚悟
 「県外・国外移設」の公約に反したことは事実だとしても、これを「国民への裏切り」と断じる福島氏の主張はいかにも現実離れしたものといわなくてはなるまい。

 閣議決定の文書には「辺野古」の文字がはっきりと書き込まれた。福島氏がこれに抵抗していたため、一時は閣議決定、閣議了解よりも軽い扱いの「首相発言」でとどめるといった妥協案も模索された。

 結果的に、そうした「インチキ」をしなかったのは、筋を通した点で素直に評価していい。

 5月28日の記者会見で、鳩山首相は、沖縄県民の気持ちは痛いほど分かるとしたうえで、こう述べている。

 「しかし、同時に、米軍基地の存在もまた日本の安全保障上、なくてはならないものでございます。遠く数千キロも郷里を離れて日本に駐留し、日本を含む極東の安全保障のために日々汗を流してくれている米国の若者たちが約5万人も存在することを、私たちは実感しているでしょうか。彼らの犠牲もまた、私たちは忘れてはならないと思います」(首相官邸ホームページから)

 これが日米安保体制、米軍の日本駐留の核心である。

 鳩山首相は普天間問題を取り上げるにあたって、最初からこう述べて説得を始めていればよかった。

 まあ、ここまできて、「勉強」の成果が実ったということだろう。日米同盟の死活的な重要性を踏まえて、普天間の移設先は辺野古以外にあり得なかったのだ。

 これが現実の政治というものである。

 福島氏は日米同盟の重みも安全保障の基礎的素養も、ほとんど理解していなかったといって過言ではあるまい。

 土井たか子氏ばりの「頑固さ」を強調するのは、野党時代ならば許された。何を言っても現実政治の責任を担っているわけではないのだから「実害」はない。

 だが、政権に入った以上は、最小限、ここだけは理解してくれなければ困る。政治、外交の筋を誤ることになる。なによりも、戦後の日本外交の基軸である日米同盟を捻じ曲げることになってしまう。

 あの「自社さ」政権で思わぬ首相の座に就いた村山富市氏は、日米安保や自衛隊の存在を容認、一夜にして社会党(当時)の基本政策を転換した。

 そのことの是非はともあれ、政権の一翼を担うからには、福島氏にも、それなりの覚悟が必要であった。


一段とはずみがつく日本の国際的地位の低下
 社民党の連立離脱で、鳩山政権はずいぶんとすっきりしたはずであった。郵政見直し法案など国民新党に引きずられている側面は残るものの、社民党にいらざる配慮をする必要はなくなった。

 その意味では、民主党はもっと堂々としていてよかったのである。

 3党連立の一角が崩れて政権基盤が揺らいだというのではなく、基本政策を共有できない政治勢力を排除することで、むしろ政権基盤は強固になったというべきではないか。

 小沢氏は普天間問題でほとんど動かなかった。一時は5月連休に訪米して、普天間の決着をつけてくるといったこともささやかれたのだが、小沢氏はこの問題にあまり関心をしめしてはいなかった。社民党の連立離脱に直面しても、福島氏をかばってきた。

 「政治とカネ」の問題を抱える小沢氏にとって、参院選に勝つことが政治権力維持の最高の手段となる。社民党との選挙協力に依然として未練を持っている。自治労や日教組など官公労との関係が深い社民党は、一定の集票力を持つのである。1人区などでは当落を左右しかねないのだ。

 たとえ参院選敗北の事態に遭遇したとしても、小沢氏には、その後の多数派工作で自身の存在を抜きにしてはダイナミックな政界再編はできないという自負がある。このことが、民主党内では小沢氏に対する批判を封じ込める作用として働いてきた。

 つまりは小沢氏にとって、日米同盟の維持よりも、当面の参院選勝利が優先したのである。

 普天間問題は棚上げ状態にして参院選を迎えるほうが得策といった感覚すら漂っていた。「選挙至上主義・政局至上主義」とでもいうべき小沢氏の側面がそこに浮かんでくるようでもある。

 かくして、今月25日からカナダで開かれるサミット(主要国首脳会議)に日本は鳩山氏ではない首相が出席することになる。

 国際的な地位の低下に一段とはずみをつけるのは間違いない。


花岡 信昭(はなおか・のぶあき)
1946年長野市生まれ。69年早大政経学部政治学科卒、産経新聞東京本社入社。社会部を経て政治部。政治部次長、政治部長(日本の新聞社で戦後生まれの政治部長第1号)、編集局次長、論説副委員長などを歴任。2002年産経新聞退社、評論活動に入る。2007年産経新聞客員編集委員。現職は拓殖大学大学院教授(地方政治行政研究科)、国士舘大学大学院講師(政治学研究科)。政治ジャーナリストとしていち早くインターネットに注目、自身のブログ、メルマガで活発に独自の政治分析を発信している。