「市場検察」の挑戦と限界。小沢事件は、まだ終わらない


村山治 Osamu Murayama 編集委員


民主党幹事長・小沢一郎の政治団体の摘発は、「情報開示」と「ルール強化」という20年来のトレンドに沿ってきた検察が行き着いた一つの答えだった。誤解を恐れずにいえば、「市場検察」による「談合システム」への挑戦とその限界だった。


検察側のキーマンは、東京地検検事正の岩村修二だ。彼がトップでなければ、小沢が肝を冷やす展開にはならなかったかもしれない。


特捜部経験の長い、現場派検事の代表だが、検察きっての政治資金規正法の専門家でもある。1990年代前半、法務省刑事局で同法改正などに取り組み、立法趣旨や立証の「壁」を熟知しているからだ。 リクルート事件を機に始まったこの改正は、94年の企業・団体献金の制限(政党と政治家個人の資金管理団体に限定)と政党に税金を交付する政党助成法に結実する。
「企業・団体献金を制限する代わりに、税金を投入する。血税を与える以上、ルール破りは許さない」という国民の意思表示だった。


そのころ、日本社会は、米国による規制緩和圧力と国内産業の成熟による内圧で、従来の護送船団型のシステム運営から市場対応型、つまり事後チェック型・ルール強化型への転換を迫られていた。
岩村の上司だった但木敬一は80年代末、政府の一員として日米構造協議に参加し「市場化は必至。それに合わせて司法制度や検察運営方針を変えねばならない」と考えた。同じく後に検事総長になる原田明夫、松尾邦弘と「法務・検察改革」を議論。3人は検察のニューリーダーとして、後に司法制度改革をスタートさせる原動力の一つになった。
岩村は、証券取引法(現金融商品取引法)と独占禁止法の改正にも取り組んだ。「情報開示義務違反の摘発強化」「談合排除」がキーワードだった。

「なぜ、僕だけなんだ」
松尾が最高検次長検事になった後の02年秋、岩村は東京地検特捜部長に。
03年、衆院議員の坂井隆憲と埼玉県知事・土屋義彦の長女を相次いで政治資金規正法違反で摘発。坂井は衆院解散で失職し、土屋は辞職した。


松尾の後を受け06年、検事総長になった但木は「談合は日本の後進性の象徴。市場化の敵」と公言した。現場の要の東京地検次席検事には、岩村を据えた。
その指揮下、特捜部は福島県知事・佐藤栄佐久をダム工事を巡る収賄罪で起訴した。「市場検察」の発露である。


捜査の過程で特捜部は、背景には東北地方の公共事業を巡る根深いゼネコン談合があり、受注調整に小沢事務所が関与しているのではないかとの疑いを持つ。
自民党政権時代、巨額の公共事業費の数%が談合組織を通じ、政治家や地域ボスの懐に消える構造があった。建設業者は政治家の集票マシンになった。


小沢の師、田中角栄は、「票とカネ」の構造に君臨。小沢の後見人といわれた金丸信には大手ゼネコンが横並びで盆、暮れに1社計2000万円の裏献金をしていた。
金丸は93年に脱税で逮捕され、2人の知事らが逮捕されるゼネコン事件に発展。当時、鹿島副社長が小沢に500万円を献金したとも報じられた。


岩村らにとっては、談合構造の解明こそが主たるテーマで、知事汚職はその構造の一端との位置づけだった。
岩村が検事正に就任後の昨年3月、地検は西松建設から小沢の政治団体への献金偽装があったとして小沢の秘書を逮捕。その際の捜索で、今回の土地売買絡みの事件の端緒をつかんだとされる。


小沢は昨年暮れ、テレビインタビューで「なぜ、僕だけなんだ」と検察を批判した。
しかし、検察からすると、小沢は、古い談合システムの象徴で、標的になるのは自然の流れだった。一方、小沢の秘書側は西松事件の公判で談合への関与を強く否定した。

ゴーサインの裏側

時計の針を20年前に戻す。護送船団下の検察は、体制のガス抜き、すなわち、一部の腐敗政治家や官僚を一罰百戒で摘発して「浄化」を演じる役割を期待されていた。
代表的な検事が吉永祐介だ。76年、特捜部副部長としてロッキード事件で田中を逮捕。供述証拠を精緻に紡いで贈収賄を立件するスタイルを確立。のちにリクルート事件、ゼネコン事件捜査も指揮した。吉永は「検察の仕事はどぶさらい」と語り、「正義の味方」を振りかざすことを嫌った。記者の多くは、そんな検察に共感を抱いた。


最近、本格的な政界汚職の摘発はない。カギとなる贈賄側の供述が得られにくくなってきたからだ。
捜査能力と被疑者側の防御能力との力関係の変化も一因だが、より根本的な問題もあると思う。
検察の調査活動費の流用疑惑を内部告発しようとした大阪高検公安部長の三井環を、検察は02年、微罪で逮捕した。有罪になったが、多くの国民が「組織防衛のために臭い物にふたをした」と疑い、検察への信頼をなくした。
話せば不利になる事件関係者らが検察に協力をためらうのも無理はない。
政治腐敗監視という点で同じ方向を向いていた記者たちも、検察を別の目で見るようになっている。
一方で、政治家の絡む公共事業利権に対する国民の視線は厳しい。政治資金規正法の改正は進んだ。


法律は民の声だ。検察が、収支報告書に虚偽の記載をしたかどうかの証明だけで立件できる規正法を新たな政界捜査の武器として活用しようとするのは、これまた自然の成り行きだった。
検察が最初に小沢側の捜査に着手した昨年3月の時点は、政権交代をかけた総選挙が近かった。従来の検察なら、有権者への影響を考慮して着手を延期することが多かっただろう。


しかし、検察首脳はあまり悩まずにゴーサインを出したようだ。ゼネコン側の資料で違反の立証は十分でき、小沢側もあっさり認めて事件は終わり、選挙への影響も少ない、と読んだためとみられる。ところが小沢側は猛反発。大きな政治問題となった。
元特捜部長の宗像紀夫は「規正法違反で簡単に逮捕できるとなれば、検察が議員の生殺与奪を握ることにならないかも心配だ」と朝日新聞に寄稿した。


宗像と同じような思いを抱く検察OBは少なくない。宗像は、吉永の薫陶を受けた。逆に、吉永が検事正時代に、岩村は法務省に遠ざけられていた。
結局、政治資金捜査でも、政治家の責任追及のカギは供述の有無だった。
今回の事件でも、会計責任者の秘書らは小沢の指示を否定。ゼネコン関係者の多くは裏金提供を認めなかった。


小沢捜査が難航したもう一つの原因は、政治団体の代表である政治家の刑事責任を問いにくい規正法の問題がある。
企業の決算なら、役員は社長の決裁を受ける。粉飾決算の疑いで専務が捕まれば、決裁した社長も共謀したとされ、共犯に問われる。


しかし、政治団体では、会計責任者は代表の政治家の了承・決裁を受けなくても、報告書を提出できる。政治家本人の具体的な偽装指示や動機を立証しない限り共同正犯には問えないとの見解がある。
検察現場には、会計実務者の供述で小沢を訴追できるとの意見もあったようだが、検察首脳を説得するに足るものではなかった。


これに対し、世間一般は、小沢と会計実務者らの関係を、絶対的な主従関係と受け取っている。小沢を不起訴にした検察の判断に疑問が投げかけられるゆえんだ。
解決策のひとつは、政治家本人にも会計責任者と同様、報告書の提出に責任を持たせることだろう。
小沢事件は終わったわけではない。検察審査会の審査が始まっている。


検察審査会というブーメラン
可能性でしかないことを断った上での話だが、検察が不起訴にした小沢を、有権者から無作為で選ばれた11人の市民が検察の捜査資料をもとに「不起訴不当」(6人以上の議決)と判断すれば、検察は再捜査を迫られる。さらに2度「起訴相当」(8人以上の議決)と認定すれば、小沢は強制起訴される。
裁判所が指定した弁護士が検察官役を務め、検察を使って補充捜査もできる。


吉永・宗像流の検察は、公正無私で有能な検事が、強力な検察権を使い、悪徳政治家と業者の癒着の実態を突き止め、法廷に引き出す。それに対し、但木・岩村流は、検察は粛々と証拠を集め、起訴できるものは起訴し、そうでないものは民意に任せてもいい、という考え方とも言える。


政治家は国民が選挙で選ぶ。カネ絡みの嫌疑をもたれた政治家を訴追するかどうか、官僚権力である検察が判断に迷うような場合は、民意で決める。その方が収まりがいいようにも思う。
強制起訴制度は、起訴するかどうかを市民が決める米国の「大陪審」に似ている。
裁判員制度と同様、但木らが推進した司法制度改革で導入が決まった。
岩村は、小沢の壁を破れなかった。しかし、但木らの残した「もうひとつの検察」がブーメランのように小沢を襲うかもしれない。

(文中敬称略)

(asahi.com June 15 , 2010)   http://bit.ly/9Zzo4c