なぜ在日米軍だけが減らないのか?世界各国で縮小・撤退が進むのに・・・


(JB PRESS 2010.06.17) 村上 博美 http://bit.ly/cvxV7A

米軍普天間飛行場(沖縄県名護市)の移設問題は、迷走の末に鳩山由紀夫首相の辞任という結果を招いた。だが、根本的な解決策は未だ示されていない。

 冷戦終結後20年余が経ち、世界各国で在外米軍基地の縮小・撤退が進んでいる。「脅威」であった共産勢力に対する包囲網・抑止力として一定の役割を終えたにもかかわらず、在日駐留米軍だけは減っていない。

 国内では「日米安保」が呪文のように唱えられてきただけ。日本が直面する新たな「脅威」とは何か、またそれに対してどういう対応が必要かという議論は欠如している。明白なのは、日本が地域安全保障体制について中長期のビジョンを示すことが必要であり、それこそが普天間問題を解決するカギになるということだ。


前提条件が消滅した日米安保体制

 そもそも、冷戦下の日米安保体制とは何だったのか。

 米国が日本を防衛するという片務的な安保条約に基づき、米軍が日本に駐留して前方展開することと貿易・経済面での対日優遇策がセットで機能していたのだ。

 つまり日本にとっては、軍事力よりも経済力に資源を集中させて巨大な米国市場への無条件アクセスを得た上で、経済成長を実現することになる。一方、米国にとっても在日駐留米軍基地が対共産圏包囲網として高い戦略的価値があり、双方の国益は合致していた。

 しかし冷戦の終結後、主たる脅威の対象は共産主義国家からテロリストへと移った。また、リーマン・ショック以降は米国市場のプレゼンスが相対的に縮小し、中国やアジア市場へのシフトが鮮明になり、日米両国を取り巻く環境は大きく変化している。

 それ以前に1980年代からの熾烈な日米貿易摩擦やプラザ合意を経て、さらに日本による米国債の大量保有などを通じて貿易・経済面では日米関係は対等以上になっていた。

 米軍にとっては駐留費の75%も出してくれる日本の「思いやり予算」が駐留の主な根拠であり、それを除けば長距離爆撃機の開発で沖縄駐留の戦略的意義は低下した。こうして日米安保体制の前提条件が消滅したのに、歴代の自民党政権は沖縄も含めて本質的な議論から逃げ続けてきた。


 1990年代以降は北朝鮮のミサイル・核問題や中国の軍事力増強を背景に、日米防衛関係者や政治家によって軍事面に特化した日米の結び付きが強化された。

 とりわけ保守勢力の小泉─ブッシュ政権下では、2003年の北朝鮮核問題を契機に「ブラックボックス」の弾道ミサイル防衛システムを日本が米国から調達したため、情報・技術のみならず米国の世界戦略の作戦指揮系統の中に取り込まれることになった。これは集団的自衛権を認めない平和憲法と矛盾するようだが、オープンな議論どころか国民への説明すらない。


米軍基地縮小・撤退が世界各国で進むのに・・・

 ブッシュ政権で本格的に始まった米軍再編は新しい脅威に対応するため、機動力を高めて遠隔地や海上から部隊投入することを目的とした戦略・戦力再編成である。

 前方展開していた在外基地の戦略的価値が冷戦終結で消滅したのが主たる理由だが、受け入れ国の米軍基地縮小・撤退要望や前方展開の維持が難しくなった米国自身の財政事情も指摘されよう。

 新戦略の下では、大規模な軍を常駐させる前線基地は必要ない。代わりに、紛争地への部隊展開の足掛かりとなる「ハブ基地」が重要になる。このため、在欧米軍は38万1200人(1986年)から11万6000人(2003年)まで削減されている。

 ところが、在日米軍基地はハブ機能を担うと判断されたため、アジア・太平洋地域に駐留する米軍10万人のうち半数を占める在日米軍の兵力は維持されたままである。この判断には、米国支援の下で戦後の長期安定を築いた自民党政権が「思いやり予算」を維持し、米軍の縮小・撤退を望まなかったことも影響している。

 2010年5月28日、日米合意に基づいて発表された共同声明は「沖縄を含む日本における米軍の堅固な前方のプレゼンスが、日本を防衛し、地域の安定を維持するために必要な抑止力と能力を提供する」と明記されている。

 しかしながら、多くの軍事専門家が次のよう指摘している。

(1)日本を直接防衛する米軍部隊は日本国内には一つも存在しない

(2)北朝鮮有事の際、在沖縄米軍に韓国へ緊急出動する能力はない

(3)海外で紛争や暴動、災害などが起きた場合、佐世保の揚陸艦と沖縄の海兵遠征部隊は一時的に空港や港を確保して在外米国人を救出するのが任務であり、日本の防衛ではない。

 その上、米中間の経済依存度が高まる中、例えば尖閣諸島をめぐる日中間の紛争に米軍が関与する可能性は低い。また、朝鮮半島有事では在韓米軍が基本的に対応することになっている。


ブッシュを上回るオバマの軍事予算、イラン核攻撃も辞さず

 伝統的に米国は国連決議などより自らの国益に沿って単独行動する傾向にあり、冷戦後もイラクやアフガニスタンに見られるように、そのスタンスにさほど変化は生じていない。

 例えば1994年の北朝鮮危機の際、米国はその直前まで攻撃計画を日本および韓国政府にも知らせていない。計画を知らされて驚いた韓国政府は首都ソウルが北朝鮮国境から近く火砲発射の標的となるため、軍事攻撃には強硬に反対した。

 もし強行されていたら、報復攻撃や難民の大量発生、経済活動への打撃などで日本への影響も甚大だったはずなのに、日本政府は何ら異議を唱えなかった。映画「シリアナ」の一場面にあったように、自国利益の確保のためなら遠く離れた他国の主権を無視して躊躇なくミサイルを撃ち込み、何ら罪悪感を覚えない米国民の視点には違和感を禁じ得ない。

オバマ政権は「複数の脅威に対処するため」軍事力の用途を拡大し、ブッシュ政権を上回る国防予算7080億ドル(2011年度)を要求している。

 オバマ大統領は長期的には米国は「核のない世界」を目指すと宣言し、ノーベル平和賞を受賞した。その一方で2010年のNPR(核体制見直し報告書)によると、国防総省は一定の核兵器を削減する代わりに、世界中のどこのターゲットにも1時間以内で攻撃を行える通常兵器による抑止力強化を積極的に推進するという。

 2010年4月に発表された別の報告書では、核の攻撃的使用のほか、初めて非核保有国(イランを想定)に対しても必要であれば核攻撃を容認するという驚くべき指針が示された。つまり場合によっては、イランに核兵器を撃ち込むことも辞さないということだ。


アジアが直面する「脅威」の再定義を

 日本は米国の世界戦略の一部としてますます組み込まれ、外交・防衛の選択肢が狭まっている。果たして、米国が軍事力を行使する判断基準は日本やアジア諸国のそれと一致するのだろうか。

 菅直人政権発足を機に一度立ち止まり、米国が主導権を握る現安保体制について中長期的視点から国民の前で議論すべきだ。少なくとも、日本もしくはアジア地域が将来主導権を握る体制を検討する必要があるだろう。

 世界の経済成長センターとなりつつあるアジアにとって、どのような地域安全保障体制が必要になるのか。

 確かに、冷戦時代は「共産圏との戦い」の前線となる沖縄に米軍を置く必要性はあっただろう。しかし、長距離爆撃機の開発で米国本土からでも短時間で作戦遂行できるため、沖縄に駐留する戦略的意義は薄れている。

 世界各地で米軍基地縮小・撤退が続き、米国自身も兵力再編を進めている。こうした中、新たな日米安保体制の検討はもちろんだが、アジアが直面する脅威を再定義した上で「合同治安部隊」の創設を視野に入れて、地域安全保障体制について米国も含めアジア関係諸国と議論を始めるべき局面を迎えている。

 かつて中国のあるシンクタンクの長は「在日米軍は(中国にとっても)公共財だ」と発言した。日本の普天間問題の迷走を見つめながら、まず懸念の声を上げたのはアジア諸国。日米安保体制がアジア地域の安全保障の根幹を担っていることは、地域の誰もが認める事実である。


「新戦略」の下でオバマ政権から譲歩を引き出すには?

 一方、ワシントンを見回すと、米国の対日安全保障政策は限られた軍関係者とごく少数のアジア専門家が掌握しているにすぎない。

 米国の政権内部ですら、日米安保で問題になる日本の集団的自衛権の意味を知っている人間は少ない。その特殊性ゆえに、米国で政権交代が起こっても同じグループから人材が政府に登用されているのが実情である。


 マイケル・グリーン元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長、ビクター・チャ元NSCアジア部長、現政権のデレク・ミッチェル国防筆頭副次官補、カート・キャンベル国務次官補・・・。主に戦略国際問題研究所(CSIS)を拠点としながら、「回転ドア」を通じて政府へ行き来する人材だ。

 つまり、彼らの見解が米国の歴代政権の対日政策に強く反映され、ある意味で既得権益化したこうした人材の存在意義にもつながっている。国内で議論した上での中長期ビジョンを日本が主体的に示せば、彼らをうまく活用しながら視点の異なる人材も巻き込み、「新戦略」の下で日米連携の重要性を認めるオバマ政権との交渉で譲歩を引き出せる可能性は大いにある。