マスコミは“白旗”をあげるべし! 官房機密費問題の副作用


(Business Media 誠 2010年06月17日) 相場英雄 http://bit.ly/bB5Xz6


元官房長官・野中広務氏の発言に端を発した官房機密費問題。大手マスコミや政治評論家に、秘かにカネが流れていたことが注目されているが、同時にメディア界全体への不信感が強まっていることが問題だ

 
元官房長官・野中広務氏の発言に端を発した“官房機密費問題”。大手マスコミや有名政治評論家向けに、長年秘かに金が流れていたことが大問題となっている。フリーの著名ジャーナリストたちを中心に、大手新聞、テレビへの批判が強まっているのは周知の通り。


 一方、厳しい批判にさらされているメディア側からは、正式な形での反論は聞かれない。後ろめたいことがあるため、反論、あるいは検証すらできないというのが実態だと筆者はみる。ただ、批判の集中砲火を浴びている各社の政治部のために、メディア界全体への不信感が強まるのは危険だ。この際、各社の政治部は一斉に白旗をあげてはどうだろうか。


心証はクロ


 一連の問題に触れる前に、2009年8月に当欄で記した筆者のコラムをご参照いただきたい(関連記事)。通信社の経済部で金融機関や一般企業を取材してきた筆者は、各社の広報マンから業務上の付き合いとして接待を受けてきた。民間の広報費を用いた宴席に出たあとは、その都度自腹で宴席を設け、かろうじてバランスを取ってきた。元記者として昨今の機密費問題を最上段で論じる資格はない。筆者のこうした履歴を許容していただけるなら、お付き合いいただきたい。


 2009年8月の原稿でも触れたが、筆者が接した「ごく一部の政治部ベテラン記者たち(他社を含む)」の中には、有力政治家からもらった高額な宝飾品を誇示したり、はたまた住宅購入に当たり、派閥領袖(りょうしゅう)から頭金の支援を仰いでいたことを嬉々として明かしてくれた人物さえ存在した。こうした人は1人や2人ではなかった。


 他の同僚、また他社の記者からも同様の話を多数聞いたことがある。政治部の中でも、特に自民党の大派閥担当、あるいは政局取材に強みを持つ記者ほどこの傾向が顕著だったと鮮明に記憶している。要するに、担当した政治家やその秘書、あるいは派閥との結びつきがどれだけ強いかが、記者に対する暗黙の評価対象になっていたからだ。


 現在問題となっている官房機密費に関して、筆者は野中氏が指摘した「官房長官の引き継ぎ簿」を実際に目にしたわけではない。誰がいくら、いつ受領したかなど詳細に関しても知り得る立場にない。

 ただ先に触れたように筆者が接した「ごく一部の政治部ベテラン記者たち」の事象に当てはめれば、一連の官房機密費問題に対して抱く心証は「さもありなん」であり、「クロ」なのだ。


 大手マスコミの経営体質をかんがみると、こうしたごく一部の政治部記者の何割かは着実に社内の出世コースを登り、経営陣の一角、あるいはトップに就いているケースさえあるはずだ。記者クラブの開放問題とも併せ、一連の官房機密費問題を鋭く批判されても、大手マスコミが反論できないのは、ある意味当たり前だと筆者はみる。


バッシングの陰で


 筆者が小説や漫画原作執筆の合間にTwitterをのぞくと、フリーの気鋭ジャーナリストたちのつぶやきに対し、一般読者からの多数の賛同の声があがっている。マスコミの体質を知る身としては、ある意味当然のムーブメントだと考える。ただ、一般読者の投稿をみると、官房機密費や記者クラブの開放問題だけをとらえ、「既存マスコミはけしからん、マスゴミだ」などと感情的になり、主要マスコミ全体の報道を否定する向きが少なくない。筆者が一番危惧しているのはこのポイントなのだ。


 先に触れた「ごく一部の政治部ベテラン記者たち」が政治部のすべてではない。政局や派閥取材を嫌い、内外の政策の詳細を徹底的に取材し続ける生真面目な政策担当記者は少なくない。また、ベテラン記者の指揮の下、永田町を駆けずり回り、メモ作りに明け暮れる若手記者も多い(関連記事)。要するに、問題の病根はごく一部のベテラン、それも各社の上層部に登りつめた人たちなのだ。


 筆者は経済部出身であり、政治部のごく一部の「べったりだったおじさん達」のために、批判にさらされるのはまっぴらだ。社会部の記者、あるいは他の部署の記者も同じ様な感情を抱いている。冒頭で触れた通り、官房機密費の問題に関しては、批判の矢面に立たされている一部のマスコミ人の敗色は極めて濃厚だ。ただ、こうした一部の人たちのために、マスコミ界全体が不審な目で見られ、ひいてはこれが報道全体への不振感につながるのは、危険だというのが筆者の主張だ。


 Twitterを見ていると、ごくわずかだが現役記者が反論を試み始めている。各社上層部の“オジさん達”にTwitterの影響度の大きさを説明するのは骨が折れる作業かもしれないが、この際、これをオフィシャルのつぶやきに変えるべきタイミングにきているのではないだろうか。



相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『誤認 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo





●メディアは身ぎれいか? スキャンダルの潰し方教えます


(Business Media 誠 2009年08月27日) 相場英雄 http://bit.ly/cCj4xD


企業の不祥事や政治家の不正など、スキャンダルを扱う記事がメディアの誌面をにぎわせている。しかし正義を振りかざしているメディア自身は、本当に健全なのだろうか。今回は筆者の相場氏が知り得た、業界のお寒い実態を紹介する。



大企業の不祥事や政治家の不正献金問題など、スキャンダルを扱う記事が日夜メディアの紙誌面をにぎわせているのはご存じの通り。記者として“一番燃える”のがスキャンダル取材。堅い関係者の口をこじ開け、内部文書の類いをスッパ抜く……。記者冥利に尽きる瞬間だ。

 一方、正義を振りかざすメディア自身は健全なのか? こんな疑問を抱いている読者も少なくないはず。残念ながら、メディアは身ぎれいだと言い切れないのが実状だ。今回は筆者自身が知り得たお寒い実態に触れる。

揉み消しは日常茶飯事

 「◯△記者が都内ターミナル駅で逮捕された。直ちに関係部署、幹部に連絡せよ」――。数年前の深夜、某大手メディアの編集局内に衝撃が走った。

 事件の概要はこうだ。混み合った電車内で、帰宅途中の◯△記者が同じ車両に乗っていた若者と口論の末、持っていた傘で殴ってしまったのだ。酒を飲んで帰宅途中だった同記者が電車内で携帯電話を使用し続ける若者を諌(いさ)めたことが事の発端。「表に出ろ」、「上等だ」と売り言葉に買い言葉が飛び交い、駅のホームで殴り合いに発展したところ、駆け付けた所轄署員に御用と相成った次第。

 こうした事例は1日に数十件ある。通常、警視庁記者クラブではこの程度の小競り合いは記事にしない。ボツだ。ただし、被害者の負傷の度合いが深刻だったり、加害者が著名人だった場合、話は別。マスコミの感覚ならば、加害者が記者とあれば絶対に記事になる案件だが、このケースが報じられることはなかった。

 なぜか? この逮捕劇の場合、被害者が軽傷で、かつ示談成立が確実だったことから警視庁関係者が気を利かし、泊まり番記者に耳打ちするにとどめたからだという。仰天した担当記者は即座に社会部長に連絡。部長から編集局幹部数人に事情が伝えられた。その後、当該メディアはどう対応したか。社会部の幹部連が警視庁の捜査幹部に頭を下げに出向いた。記者クラブ全体に告知しなかったことに対する礼だった。日頃取材対象として対峙している相手に、自ら借りを作ったのだ。


 大酒飲みを自認する筆者、泥酔して暴れた経験は数知れない(逮捕歴はない)。故に当該記者を批判する資格はない。また、揉み消しに奔走した幹部連の心情も痛いほど分かる。記者だ、社会部長だと偉そうなことを言っても所詮(しょせん)サラリーマン。事が表沙汰になった際の管理責任を問われるからだ。

 ただ、本稿読者の大半は筆者の心情に共感しないはずで、納得もしないだろう。一般のサラリーマンが同じことをしても捜査関係者が耳打ちしてくれることはない。まして、警視庁幹部に即座に会える機会はないし、コネもない。そもそも他人の不祥事を手厳しく批判し、偉そうにしているメディアがとんでもない、と感じたはずだ。

 だが、残念なことにメディアほど他人に批判されることを嫌う組織も珍しく、隠蔽(いんぺい)に走るのだ。件の暴力事件のほか、株式のインサイダー取引は日常茶飯事。経営幹部による背任行為すらある。もちろん、表沙汰になった案件もあるが、先の暴力事件のように揉み消された案件の数が圧倒的に多いのが実状だと断言できる。


恥ずかしくて取材に行けない

問題小説6月号に掲載されている、相場英雄著の『ディスクロージャー』(徳間書店) 「アイバちゃん、ボツネタで悪いけど、捨てるには惜しいから書いてよ」――。

 今年春、ある企業の内部資料と取材データをベテラン記者が筆者に手渡してきた。昨秋以降の金融恐慌の過程で、ある大企業が資産運用で巨額損失を抱えたという内容だった。しかもこの企業は大メディアだ。なぜこんなにおいしいネタがボツになったのか。そのわけは、これを報じようとした側のメディアも同じ様な事情を抱えていたので、「人様のことを批判する資格がない」という理屈だった。


 当時、小説の締め切りを2本抱え、全く身動きが取れなかった筆者。友人の記者数人に事情を話したところ、既にこのネタを追跡中の向きが少なくなかった。が、結果としてどこの社も大ネタを扱うことはなかった。「ウチも穴を空けていた」(某テレビ局)、「刺したら刺し返されるという理由で局長がブルッた」(某紙)

 資産運用で巨額損失を抱えた某メディアは、日頃企業の経営に目を光らせ、舌鋒鋭く正論を展開している。このため、内部関係者からも「ウチがこんなに穴を空けていたら、恥ずかしくて取材に行けなくなる」。そう言って数人の敏腕記者が社内浄化を試みたもようだが、反省の弁はもとより、損失の存在さえ当該メディアにいまだに載っていない。


 人様のことを批判した筆者もストレート記事を出していない。よって偉そうなことを言う資格はない。だが、捨てるにはあまりにも惜しいテーマだったので短編小説『ディスクロージャー』(問題小説、6・7月号=徳間書店)のアイデアとして採用させていただいた。登場人物やエピソードの大半はフィクションだが、ストーリーのキモに据えたメディアの隠蔽体質、そして身内のスキャンダルを潰すやり口はつぶさに触れた。そしてこれに翻弄(ほんろう)される記者たちの姿もリアルに描いたつもりだ。もちろん、経済ジャーナリストという肩書きで商売を続ける以上、こうした身内のスキャンダルは追い続ける腹積もりだ。