世界は「新自由主義」から「国家資本主義」へ [金子勝の天下の逆襲]

(日刊ゲンダイ2010/6/29)

いま政府の役割とは何かについて、再定義が進んでいる。
ここ数年、「官から民へ」という「構造改革論」が幅を利かせてきた。規制緩和や減税が経済を成長させるという考え方だ。しかし構造改革は、国際的には世界金融危機に行き着き、国内では日本企業の国際競争力を決定的に落としてしまった。
「新自由主義」は明らかに破産した。
では、ケインジアンの時代が来たのか。否である。需要の不足を一時的に財政出動で埋めたところで、酸素吸入器のようなもの。100年に一度の危機は乗り切れないからだ。
「新自由主義」の破産の後に来たのは、「国家資本主義」の台頭である。中国をはじめとする新興国は、「国家主導」の経済成長をしており、いま先進各国はいや応なしに、この「国家資本主義」への対抗を迫られている。その結果、産業政策、投資誘導、教育と人材育成などの分野で「政府」の役割が飛躍的に増しているのだ。
例えば、官民一体による「インフラ輸出」や「資源確保」の動きがそうだ。発電所や新幹線や水などのインフラ輸出、あるいはレアメタルの確保などがそうである。「新自由主義」を主張してきた財界も、利益になればと、これに乗っかる。
再生可能エネルギーを「全量固定価格」で買い取る制度を多くの国が導入している。これは官民一体による市場創出である。発電は規制緩和されるが、売電は食管制度に近い強力な政府介入措置になっている。
規制強化で投資やイノベーションを誘導する動きも強まっている。かつて1970年代のマスキー法を乗り越えるためにホンダがCVCCエンジンを開発し、燃費のよいクルマをつくりだした発想だ。規制は経済活動を阻害するという新自由主義とは正反対の考え方である。
さらに中国は、国家主導で3000億ドル近い技術開発投資をしている。小泉・竹中路線の「構造改革」によって民間の力が弱まった日本では、とうてい太刀打ちできない。
日本が小泉政権時代、「大きな政府」か「小さな政府」かといった無意味な議論にムダなエネルギーを費やしている間に、世界は新しい「政府の役割」を模索し始めているのだ。(隔週火曜掲載)