「日本一新運動」の原点(3)── 政権担当能力とは?


(平野貞夫 日時: 2010年7月 8日)   http://bit.ly/cZPw4X



 平成5年8月、非自民の八党派による細川連立政権が成立した直後、新生党・小沢代表幹事(当時)から「政権担当能力とは何だろうか」と問われたことがある。右から左まで、八党派の異なる意見をまとめながら政権運営を仕切るという、困難な立場としての悩みがあったと思う。

 私は、人生の師である前尾繁三郞元衆議院議長が、時々語ってくれたことを伝えた。「政権担当能力とは、国民や政党を支配する能力ではない。国家権力の使い方についての自己抑制力のことだよ」。

 そう言えば、ガバナビリティーの「govern」とは、「感情などを抑制する」と新英和辞典(研究社)にあることを思い出したことがある。

 「日本一新構想」を立案中の平成12年春、小沢氏は「政権に就いたらこの考えを生かしたい」と語っていたが、自民党幹事長、新生党代表幹事、自由党党首と、その時々の政権に関わった時の小沢一郎は、私も驚くほど、キーポイントで野党へ大胆に妥協し改革を実現させてきた。いま考えると「権力の自己抑制」であったのだろう。

 3年前、平成19年元旦に小沢邸の新年宴会で、私は当時の菅民主党代表代行に「国会対策のキーポイントは何か」と、突然に質問を受けた。「理屈は後で考えろ。最後にババを持つな。国会対策はトランプのババ抜きだ」と、酒も入っていたのでわかりやすく説明した。

 これを機会に小沢代表(当時)からも頼まれ、菅氏の国会運営の諮問役を相勤めることになった。自公政権の国会運営への対応だけでなく、政権交代した時の心構えなどについて、徹底的に議論した。当然「民主党の政権担当能力」についても話題になり、「自己抑制力」の話もしたが、理解してくれたか否か、いささか不安をおぼえている。

 平成21年3月の西松問題で大久保秘書逮捕事件以来、菅氏からは連絡も相談も一切がなくなった。私はこの事件について「麻生政権の政治捜査で、政権交代を阻止するための謀略」と論じてきたが、菅政権成立と時を同じくして「小沢切り」を本格化させたことを考えてみると、西松問題以後、「小沢切り」を構想していたのかも知れない。

 それにしても、菅首相と枝野幹事長のテレビや集会での発言には呆れ果てている。自分の言論に対しての誠実さが垣間もみられず、問題点を指摘されると詭弁ではぐらかし、不利になると相手の古傷に指を入れて逆襲する。この有様を横目で見ていると昭和40年代の無秩序に陥った大学紛争や、平成7年の過激新興宗教団体の広報担当の「あゝ言えば、こういう。こう言えば、あゝいう」を思い出し、背筋が凍る。

 安倍・福田・麻生と続いた自公政権トップの「政権担当能力」にも確かに問題はあった。それにしても、マニフェストの修正に適切な説明もなく、党内論議を経ていない消費税アップの具体論を政権トップが思いつきで発言する、これらは私の政治体験にない新事態である。

 菅新政権で政治手法が異常に変化し、120年続いた日本の議会政治とはまったく異質の政権運営がなされているのを目の当たりにすると、議会に永年携わってきた我が身には、忸怩たる思いである。

 がしかし、「メルマガ・日本一新」を読んで頂いている多く方々からの叱咤激励も届き、いま筆を起こしながら、その責任の重さを痛感している。

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