明治以来のシステムを引きずる大相撲と官僚統治 [高橋乗宣の日本経済一歩先の真相]

(日刊ゲンダイ2010/7/9)
近代化の波を逃れた組織の再生は大変

相撲が「国技」として認知されたのは、明治時代からだそうだ。法律で決められたわけではないようだが、明治末期に旧「両国国技館」が建設されたことで、相撲=国技というイメージが浸透したらしい。昭和29年(1954年)からのNHKテレビ中継も新たなファンの獲得に貢献した。いつの間にか、相撲は日本を象徴するスポーツとなったのだ。
しかし、“国技”であるにもかかわらず、日本人は大相撲の舞台裏をよく知らない。取組そのものは、これ以上は見せられないというまわし一丁でやる。その半面、組織や運営の透明度は高くない。日本相撲協会は、多くの着物を身にまとって、素肌をさらさぬよう懸命になっているようだ。はたして、相撲協会のしきたりやルールを熟知しているという国民は、どのくらいいるのだろうか。
貴乃花親方の立候補騒動で、理事会の理事が親方や現役力士、行司らによる投票で選ばれるというのは、わずかに知られるようになった。しかし、横綱審議委員会となると、いったいだれがどうやって選んでいるのか分からない。しかも、人格だ何だと言いながら、結局は星勘定で決まる横綱への推挙を審議するというシステムも分かりにくい。
スキャンダル発覚のたびに「角界改革」が叫ばれるものの、はた目には何を変えたいのかよく分からない。時代に取り残された組織の再生は簡単ではないようだ。
相撲と同じく、明治時代から生き残っているものに、官僚支配の政治がある。この時代遅れのシステムにメスを入れようとしているのが民主党だ。本来は政治家に使われる立場にありながら、逆に下から政治家を動かして利権にあずかる。そんなデタラメ統治の仕組みを壊し、国民が選んだ政治家がコントロールする民主主義のシステムを根付かせようとしているらしい。
しかし、これにも大変な労力が必要だろう。行政の隅々まで熟知しているのは官僚だ。面従腹背で接してこられると、実際に突き落とされるまで、大きな穴の存在に気が付かない。百戦錬磨の相手だけに厄介だろう。
大相撲も官僚組織も、近代化の波を逃れ、改革圧力を跳ね返してきた。粘り腰は相当なものだろう。攻める側としては、土俵際でうっちゃられないよう、しっかりと腰を落として寄り切ってもらいたい。