官房機密費とメディア ── 連綿と続く癒着の構造


(The Journal:高田昌幸 2010年7月10日) http://bit.ly/cpf5IU


「官房機密費が代々、報道各社の政治担当記者たちに流れていたのではないか」。そういった批判がいま、週刊誌やネット上で渦巻いている。野中広務元官房長官ら、機密費を渡した側の人々が次々とそうした証言を行っているからだ。むろん、大手新聞はこうした問題をほとんど報じていない。

 そんな最中、この問題の追及に熱心な週刊ポストが7月2日号で、「怒りの告発キャンペーン第6弾 元NHK官邸キャップが実名告白 『私はこうして官房機密費を手渡された』」と題する記事を掲載した。元NHKの川崎泰資氏が1967年、時の佐藤栄作首相に同行して台湾を訪問した際、秘書官から現地で「ご苦労さんです。これをどうぞ」と封筒を差し出されたことを綴った内容だ。封筒には100ドル札が入っていたという。驚いた川崎氏が封筒を突き返すと、首相秘書官は「そんなことをしたら仕事が出来なくなるよ。あなたの先輩もみんな受け取っているんだから」と言ったのだという。当時の100ドルは3万6000円。大卒初任給が2万円台の時代だったから、その金額の大きさが分かる。

 その週刊ポストが店頭に並んだ日、私はある小宴に顔を出していた。そこに、たまたま川崎氏も出席していて、雑誌記事のことを知らずにいた私は、記事のコピーを見せられ、大いに驚いたのである。そして川崎氏はこんなことを言った。

 「ポストに話した官房機密費のこと、私自身は10年以上も前に、とっくに明らかにしているんです。今になって初めて話したわけじゃない。こうした問題(政治記者と政治家の癒着)は、ずっと指摘されているのに、こんなにも長い間、放置されている。それこそが問題なんですよ」

 川崎氏は実は、雑誌「世界」(岩波書店)の1994年1月号に「政治記者はこうして堕ちていった」というタイトルの論文を発表し、その中で、上記の金銭問題を詳述している。そのほかのエピソードも実に凄まじい内容だ。

 田中角栄、福田赳夫の両氏が自民党総裁選を戦った1972年の「角福決戦」の際のエピソードも登場する。

 それによると、田中派は当時、記者にカネを渡し、田中氏に有利な記事を書かせていると言われていた。困った福田派幹部の有田喜一氏は、官邸詰め記者だった川崎氏に対し、「田中派は担当記者に10万円渡している。(福田派担当もそれを真似たいが)誰に渡したらいいのか、信頼できる記者を教えて欲しい」と懇願したというのである。

 また田中氏は首相就任時、番記者たちを軽井沢の料亭に招き、こんなことを言ったのだという。「マスコミ各社の内情は全部知っているからやれないことはない」「一番こわいのは一線記者の君たちだけだが、社長や部長はどうにでもなる」「君たちもつまらん事は追いかけず、危ない橋を渡らなければ私も助かるし、君たちも助かる」

 なんとも、すさまじい内容である。こうした行動は田中氏などに限らなかったであろうし、形を変えながら、その後も続いていたとしても何の不思議もない。要するに、彼ら(=権力)は「おれたちの仲間になれ」と言っているのだ。そして少なくないサラリーマン(=記者)たちは、仲間になってしまったのだろうと思う。私は東京での政治取材はほとんど経験していないから、「官房機密費」には縁がなかった。ただし、金銭が絡みそうになった、幾ばくかの経験はある。

 10数年前のことだ。経済記者だった私は、ある企業の幹部を取材した際、「お車代」を手渡されそうになった経験がある。封筒に入った現金は5万円だった。電車どころか、歩いて訪問が可能な距離だった。ところが、訪問先のエレベーターホールで秘書氏と問答を続けていた際、「これくらい問題ないですよ」「みんな受け取ってますよ」と彼は繰り返した。

 これも10数年前のことだが、ある有力な取材先が「お仕立て券付きワイシャツ」を送ってきたことがある。送り返すと、その年配の男性からは怒りに満ちた内容証明が届いた。自分に恥をかかせてどういうつもりか、みんな受け取っている、返却したことを詫びないと過去の諸先輩の行状を明らかにする......。そんなことを連綿と記しているのである。内容証明は放置していたら、その後は何も言って来なかったが。

 話は少し変わるが、何年か前まで「記者クラブ」制度が機能していていた韓国でも、金銭を媒介にした凄まじい癒着の構造があったことが分かっている。そのことは、筆者の個人ブログ「ニュースの現場で考えること」の中で、「役所や業者から記者クラブの記者へ現金が」でも紹介した。

 よく知られたように、韓国の記者クラブ制度は、日本の植民地時代に日本が根付かせたと言われているが、幸いなことにというべきか、韓国ではそうした癒着が白日の下に明らかとなり、有力紙などが厳しく自己批判した。新聞の1面で読者・国民に「癒着」を詫び、二度とこうしたことはしない、と誓ったそうだ。ただし、韓国の有力紙は、ある日突然、自らを顧みたのではない。私の知る限り、有力紙がそこまで追い込まれたのは、新興の「ハンギョレ新聞」が、大手紙と権力との癒着を厳しく追及したことが大きく影響している。つまり、「外圧」である。

 川崎氏は「世界」の論文の末尾で、記者会見のオープン化の流れ等にも言及し、「記者は権力に対してアウトサイダーでなければならない。とくに政治記者は権力、インサイダーと決別することから全てが始まる。記者が権力に愛されることがあってはならない」と記している。

 問題は、それをどう実践するか、にある。

 川崎氏は先の小宴で、報道各社の組織劣化は、過去から連綿と続いてきたのであり、各社幹部は真摯に反省などしたことはないだろう、と語った。何とかしなければならないけれども、何ともならないだろう、ということだ。

 古びてしまい、保守化・官僚化が極まった今の報道各社に、内部改革は可能だろうか? 無責任かもしれないが、私自身は五里霧中である。