「日本一新運動」の原点―5


日本一新の会・代表 平野 貞夫


昨夏の政権交代後の政治状況をふりかえり、もう一度「日本一新運動」を始めた理由を整理しておきたい。
併せて、参議院選挙後「小沢氏の雲隠れ」と悪意の報道が溢れているが、今この時期に小沢一郎が何を考えているのか、私たちは小沢一郎に何を期待すべきなのか、とくと考えてみたい。(小沢一郎の「政治と金」)

昨年早春の西松事件、そして今年の陸山会問題は、旧自民党政権の政治的謀略である。その仔細は、拙著『小沢一郎―完全無罪』(講談社刊)と、5月22日付 The JOURNALの「「西松事件・大久保秘書逮捕の真相を究明すべし!」で論じているので参照願いたい。

もし万が一、小沢氏が起訴になるなら、政治資金規正法の不法不当な拡大運用であり、百歩譲って「公平・公正」をいうなら、自民党を中心として、ほとんどの国会議員が捜査の対象となるべきである旧体制のメディアと政治がらみで、検察審査会まで動員した「ネオ・ファシズム」は、21世紀の国家体制を創ろうとする、小沢一郎を政界から排除しようとするものであり、菅首相の「小沢排除」もその流れに乗せられたといわざるを得ない。(民主党政権混迷の原因)

昨年の政権交代の時期、「旧さきがけ」グループによるマスコミを取り込んだ「小沢排除」は異常としか形容の術がない。旧さきがけ代表であった武村正義氏らの発言に、細川護煕元首相は、「真実と違う」と私に指摘していたが、それでもなお鳩山―菅両氏は「小沢排除」の政権をつくりだした。
歴史的政権交代を果たした先の衆議院選挙に当たり、掲げられたマニフェストの基本は「政策の協議と決定は内閣に一元化する。そのため党の主要な役員は入閣させる」だったはずである。


当初、幹事長を岡田克也氏の続投で固めていたが、菅氏の思惑でこの基本を無視して入閣させないことにした、ことが事実のようである。党の大勢が小沢幹事長となり、鳩山代表(当時)も、この変則的な事態を了承することになる。
9月3日に小沢氏は、「政策の協議と決定に関わらないこと」を条件に幹事長に就任する。小沢幹事長(当時)から電話のあった2日後、私は「それでは議院内閣制は運営できない」と強く指摘していたが、小沢氏は「いま理屈をいえば政権はできない。特別国会の組閣では基本に戻るだろう」という感じであった。
しかし、鳩山政権の組閣で変化はなく、この時点で「小沢排除」は事実上確定した。(小沢一郎は何をなすべきか)

政権の中核から排除された小沢幹事長は、政治改革に政治生命を懸けるべく英国に調査に出かけた。小沢氏の帰国後、私は長時間を掛けて議論をしたが、当面は、政権交代の定着に必要な国会法などの改革を行うことが主とした話題となった。これからの日本を考えたとき、抜本的な政治改革が必要だという話や、来年(2010年)は、日本で国会が発足して120年になる。これまでの議会制度は19世紀の思想を原理としているから、それらは情報社会となった現代には通用しない。日本にふさわしい「新しい議会政治」を創るべきだ。そのために小沢幹事長自身が、党の政治改革本部長になると決断したのだ。

選挙制度の抜本改革、政治資金制度の民主的第三者機関による管理と指導、国会の調査機能強化による政治指導の確立、重要国政に関する国民投票制など、国会の再生構想を5月3日の憲法記念日に発表しよう、こういうことも話題となった。

しかし、1月の陸山会問題や、その後の民主党政権の劣化により、無念ながらも頓挫したのである。
この艱難とも評すべき未曽有の政治危機に、小沢一郎がなすべきことは、まず民主党を国民から信頼される政党に叩き直すことである。
そのためには、政権与党として国のあるべき姿を示す「綱領」の制定を実現するべきであり、加えて、党派を超えて、著しく劣化した政治家を向上させる「新しい国会の創設」に着手するべきだ。僭越ながら、日本一新運動はその前衛たる位置を占めたいと思う。