「インナーマザー」様から「日々坦々 」へのコメント


このコメントの中に流れる深遠な知識に裏づけされた洞察力と分析力。現実を直視した上での様々な事象の背後にある「病巣」を突き止めようとする鋭い感性。

こうした文章はネット上では他に見られない。

是非、何らかの形で上梓していただきたい、と思わずにはいられない優れた論考である。
(最後に本ブログに対するご鞭撻をいただき、恐縮ですが、そのまま載せさせていただきました)



日々坦々8/3エントリー ≪「国家戦略局」は、良きにつけ悪しきにつけ民主党の象徴だ!≫に対するコメント


●擬似争点と本質


「国家戦略局」の問題に限らず、民主党内の対立を官報メディアが煽る時に、私は「官僚の工作」という補助線を引いて見直します。

「官僚」という関数は「特権」という匿名性に隠れた「特異点」です。

ハブとマングースの闘いを演出するとき、どちらが勝っても興行主の官僚が儲かるようなシステムです。
ファイターはどちらが勝ってもダメージを受けて弱まります。どちらが死んでも新しい動物は補充出来ます。民主主義ですから有象無象の動物は社会の側からいくらでも湧いてきます。

民主主義という「闘いの箱」があって、その外側にいる興行主が官僚です。官僚は社会の外部に在る「特異点」だから強い。
強いというより、そもそも強弱の計りには絶対に乗らない「計る側」にいる統治権力です。箱の中で動物たちを分断し、争わせ、統治する商売が官僚機構だと思います。

「分断統治」の宣撫工作を担うのがマスコミという「官僚の木鐸」です。官僚の側から官僚に都合のよい情報だけを流す「責任を取らない権力党員」です。
40年前は社会の木鐸として社会の側から官僚機構に癒着(接近)し、癒着するが決して腐敗しないぎりぎりの距離感で勝負する気骨のある悪党がいたと思います。沖縄密約を暴いた西山太吉記者などです。社会の用心棒として機能する「羽織りゴロ」の記者がいたのです。生意気で高給取りの水商売でしたが、社会の側にいる「社会の公器だ」というプライドがあったと思います。だから官僚が隠蔽する情報を抜いた。統治権力から裁判にかけられるリスクをおかして。
バチカンやイスラエルには既成権力の中に権力の暴走を抑制する「悪魔の弁護人制度」がありますが、日本にもユダヤ・キリスト教文化圏と同じような歩留まりをつける安全装置が機能していました。
統治者とはいえ、人間の判断には見落としがある。だから対局の視点から光を当てる悪魔が必要だと知っていたのです。それがマスコミの役割で権力機構の中にいても「対局の特異点」として権力を映し出す鏡の機能を果たしていた。
もし当時、検察審査会で「11人全員一致」という議決が出たならば「全員一致の議決は無効」だとユダヤの知恵を働かして論評していたはずです。密室の中で限られた情報と人間関係に包まれたら「沈黙の螺旋」心理が働いて無難な判断に同調する。全員一致というのが一番危険なシグナルなのだと。
ところが、検察審査会法に照らして違法に漏れた情報をもとに「全員一致の判断を重く受け止めよ!」という論調一色になりました。ファッショな畏ろしい状態です。

官僚と一体化したマスコミが演出する政治家の「闘いの箱」には必ず外側があり、既存の報道ではわざと隠される外側にこそ真実のカラクリがある。外側に収奪する悪代官と米国がいる。小沢一郎はマスコミが設定した舞台の外側にいる悪代官たちと闘っている。

菅直人は怖がる相手を間違っている。国民への畏れをなくした「国民の代表」は、装備は適切だったと開き直ったテレビ幹部と重なる。山への畏れも、業務命令で犠牲になった部下への畏れもない。国民が会見を受け止めて問題の本質を見抜くことへの畏れもない。

ここまで集団発狂しているような末期的な様子を見ると、ひとつの時代が完成しようとしているのだと思います。完成すれば終わります。終われば必ず再生します。我々は近代が完成する仕上げの時代を生きているのだと思います。
擬似的な争点に終始する国会論戦のハブとマングースのショーを斜めに見ながら、今日も百人が自殺した深刻な事実を想起して、高齢者の孤独死や失踪をあわてて捜す行政とマスコミの姿に、「なにを今更」と冷笑している国民の集合的無意識がこの世に蔓延しているように感じます。
ニヒルな魂たちがどこからどんな形式で発動するのか。私はそれが畏ろしい。
社会がもはや社会と言えないほど壊れてしまって、やっと再生が始まったのか。さらに壊されるのか。
小沢氏が小沢を支える人々だけでなく、ニヒルな魂をどれだけ感受できるかが本質的な課題だと思います。




2010/08/01
≪久米宏のラジオ番組で官房機密費問題を取り上げる「記者クラブを全部潰せ」≫日々坦々8/1エントリーに対するコメントhttp://bit.ly/96d1SP


●気づくことの大切さ

機密費問題が可視化して来ました。知らないことは認識出来ませんから、過ちに気づいたらやり直せばいいのです。問題なのは過ちを発見しても開き直る「正義の味方」がいること。そんな臆病者が情報産業を支配していることです。彼らの正義は保身だけですから、国民の味方ではないということになります。
公益性への視座がないので国民から付託されている特権を隠蔽に費やすのです。
国民から与えられている法的特権に後ろめたさを感じないのは何故でしょうか。再販制度による定価販売権に守られながら、堂々と特殊指定が禁止する押し紙を行う。電波枠の格安独占を批判されても、開き直って機密費汚染された評論家をテレビに出し続ける。
社会通念に照らしても、ここまで開き直ることが出来るのは異常心理です。それでも新聞やテレビが存続するのは何故でしょうか。

理由は二つあります。

一つは彼らが官僚という支配階級の情報幕僚だからです。彼らは社会の味方ではなく、官僚の味方だからです。

二つ目は我々国民が支えているからです。買うことで支え、見ることで支えているからです。

性悪説という考え方があります。世の中には二種類の悪党しかいないという考え方です。既得権益を守る悪党と既成権力と闘う悪党の二種類の阿修羅がいる。
しかし、本当にそれだけでしょうか。

「官僚機構VSネット世論」という対立軸では今まで泣き寝入りして来た国民は負け続けます。なぜなら彼我の力関係では官僚機構の力が圧倒的に強いからです。
封建制という徳川武士による官僚支配が終わり、田舎侍の長州が中央集権制による官僚支配を始めました。同じ官僚支配でも明治維新で出来た官僚体制は世界大戦に敗戦しても続いて来た強靱な機構です。何故こんなに強いのでしょうか。
昭和17年に新聞統合令が出されてから情報産業はずっと官僚機構の側にいたからです。

だからこそ、ネット世論が民意を可視化するのだ!と勇んでみても負けます。なぜならネットは官僚機構にも開かれているからです。ネット空間において相殺されてしまうからです。情報操作のノウハウは官僚も学んでいます。新聞やテレビが愚かでも、新聞とテレビを操る官僚は狡猾なのです。官僚から見れば、新聞もテレビもネットも、道具としての「媒体」に過ぎません。味方のフリをして制御します。既成メディアへの反発心を利用して取り込むのです。
今のメディア環境の混乱は官僚が情報のハブを切り替える過渡期に過ぎません。官僚機構は維持されて、国民が収奪と搾取をされながら「官僚を養うシステム」は変わらないのです。

ではどうすればよいのでしょうか。官僚の上から目線を禊ぎ、国民に尽くす公器・公僕に育て直すにはどうすればよいのでしょうか。官僚の暴走を食い止めるために「官僚以外はみんな味方」の思想を取り戻すことは可能なのでしょうか。

まず、「みんな」を定義し直すことです。みんなとは生きている我々だけではない。死んで行った者も、これから生まれてくる者も、みんな同朋の日本人なのです。年寄りは未来の自分です。子供は昔の自分です。

官僚機構を根絶することは出来ません。マスコミも含めた官僚機構の暴走に歩留まりをつけることが肝要です。そのためには、過去と未来の死者たちと連帯していく。オカルトの話をしているのではなく、「おかげさま」とか「もったいない」の精神を思い出せばよいのではないでしょうか。
お陰様とは見えない世界の力です。もったいないとは、有り得ないような有り難いことが起きてビックリする時の感謝です。

どんな批判も感謝には勝てない。ネットの「集合知」とは、おかげさまのもったいない魂たちが集まるコミュニティーなのです。相互扶助の空間であり、時には見返りを求めない贈与の精神が集う空間です。世の中には二種類の悪党の他に「お陰様」がいると思います。

そこに官僚機構の暴走を食い止めるヒントがあるのではないでしょうか。

日々坦々様にはその力があると思います。




インナーマザー様からの他のコメント  http://bit.ly/aveIqo
・≪佐藤優は八百万の神々を守る「千尋」のような使徒≫(2010/07/20)
・≪官僚以外はみんな味方≫(2010/07/23)