ギリシャの財政危機はEU破綻の序曲なのか――ジョセフ・S・ナイ ハーバード大学教授


(東洋経済 2010/08/04 09:00)  http://bit.ly/cFCqyl


欧州は20世紀前半に2度の戦争で引き裂かれ、世界政治の中心的な地位を失ってしまった。だが世紀の後半には、先見性のある指導者が遺恨を乗り越え、欧州統合に向けた制度を築き始めた。もはや独仏が再び戦火を交えることは想像できない。EU(欧州連合)の発展によって、欧州の魅力とソフトパワーは大いに高まったのだ。しかし今、そうした歴史的な成果に疑問が投げかけられている。

 今年5月、ギリシャの財政赤字管理能力と債務返済能力に対する、資本市場における信頼が崩れた。これに対応して欧州各国の政府と欧州中央銀行、IMF(国際通貨基金)は、金融不安を和らげるために総額7000億ユーロの緊急救済プログラムをまとめ上げた。

 一連の介入は小康状態をもたらしたが、資本市場の不透明性は消えていない。ドイツのメルケル首相は、ユーロ相場の下落が続けば、「通貨制度が破綻するだけでなく、欧州も破綻し、欧州統合の理想も破綻する」と言明している。

 欧州統合はすでに重大な制約に直面している。財政統合は遅々として進んでいない。各国のアイデンティティは、統合から60年経っているのに欧州共通のアイデンティティよりも強い。国家利益は過去と比べれば抑制されるようになっているが、依然として重要な要素だ。

 EUが27カ国に拡大したことは、欧州の諸制度が独自の形で残り、強力な欧州連邦や単一国家をつくりだせないことを意味している。行政府と立法府の統合は遅れぎみだ。EU大統領や外交政策の責任者は任命されているが、外交・防衛政策は部分的な統合にとどまっている。

 数十年にわたり欧州は過剰な楽観論と悲観論の間を揺れ動いてきた。ジャーナリストのマーカス・ウォーカーが指摘しているように、「リスボン条約の調印で、EUは世界という舞台で一人前になるはずだった。しかし、米国や中国などの新興国が支配する新しい地政学的な秩序の中で、欧州は敗者になってしまったように見える」。

 ウォーカーによれば、欧州の将来のイメージは、昨年12月18日のコペンハーゲンでの会議に見られるという。この会議は米国と中国が開催し、インドとブラジル、南アフリカの指導者が招待され、気候変動に関するコペンハーゲン合意の取りまとめが行われた。だが、欧州の指導者は招かれなかったのである。



■依然として大きい欧州の潜在力


 欧州の将来はどうなるのだろうか。英『エコノミスト』誌はこう指摘する。「欧州の将来に関する悲観的な数字を耳にするかもしれないが、それには一定の根拠がある。1900年代に欧州は世界の人口の4分の1を占めていたが、2060年にはわずか6%となる見込みだ。しかも人口のほぼ3分の1を65歳以上の高齢者が占めることになる」。

 欧州が深刻な人口上の問題に直面していることは事実だ。しかし、人口とパワーの間にはそれほど高い相関性があるわけではない。過去幾度となく欧州の没落が予想されてきたが、現実化することはなかった。80年代に専門家たちは“欧州硬化症”や“欧州病”について語っていた。だが、その後の数十年間に欧州はすばらしい成長と制度的な発展を遂げたのである。

 パワーを共有し、合意を達成し、複数の委員会で対立を解決するというEUのやり方は、いらだたしく、ドラマ性に欠けるかもしれない。ただ、ネットワークで結ばれ、相互依存が高まっている世界において、多くの問題への対処法として適切なものになりつつある。

欧州外交評議会のマーク・レナード専務理事は「欧州の時代は終わったというのが世間一般の見解だ。ビジョンの欠如、分裂、法的な枠組みへの固執、軍事力強化への消極性、硬直的経済は米国とは対照的である。しかしながら、問題は欧州にあるのではない。私たちのパワーに対する理解が時代遅れであることが問題なのだ」と語っている。

 米国の政治学者アンドリュー・モラフチークは、米国を除くと、欧州諸国はハードパワーからソフトパワーに至る全範囲で国際的な影響力を行使できる唯一の存在であるという。さらに、世界は“二極化”しており、今後もそうした状況が続くと予測する。モラフチークは、欧州に対する悲観的な予測は「パワーは世界の総資源に占める相対的なシェアと関連しており、各国はつねにゼロサムの競争を展開している」という、19世紀の現実主義者の見方に依拠したものであると主張している。

 モラフチークによると、欧州は現在でも、世界第2の軍事大国であり、世界の軍事予算に占める比率は21%に達する(中国5%、ロシア3%、インド2%)。経済力に関して言えば、欧州は世界最大の市場であり、世界貿易に占める比率は米国の12%を上回る17%である。また世界の対外援助に占める比率は、米国の20%に対し50%に上る。

 ただし、資本市場のユーロに対する疑念を払拭しないかぎり、欧州の潜在力を十分に発揮することはできないだろう。欧州の壮大な実験を称賛している人々は、その成功を願っているに違いない。=敬称略=


Joseph S. Nye, Jr.
1937年生まれ。64年、ハーバード大学大学院博士課程修了。政治学博士。カーター政権国務次官代理、クリントン政権国防次官補を歴任。ハーバード大学ケネディ行政大学院学長などを経て、現在同大学特別功労教授。『ソフト・パワー』など著書多数。