朝日新聞社説も混迷させる「国債利回り1%割れ」は市場が菅政権を見放したサインだ


政権が麻痺し、狙われた日本経済


長谷川幸洋「ニュースの深層」
(現代ビジネス 2010年08月06日)  http://p.tl/VCJ3


長期金利の指標である10年もの国債の利回りが1%の大台を割った。一方で、円高が一段と進行し、一時1ドル=85円台にまで上昇した。

 財政赤字を放置すれば「国債が暴落する」というシナリオを吹聴し、増税キャンペーンを張ってきた新聞は、まったく逆の国債価格上昇=長期金利の低下に直面して、すっかり当惑しているようだ。

 朝日新聞は「とりあえずマネーの行き先として選ばれているのが、先進国通貨のなかで相対的な安定感がある『円』であり、国内の投資家層に支えられて投げ売りのリスクも小さいとみられる日本の国債というわけだ」(8月5日付社説)と書いた。

 相対的な安定感がある「円」? 投げ売りリスクが小さい日本の国債?

 おいおい。つい、この間までは「このままだと、日本の国債は投げ売りされる」と強調してきたんじゃなかったか。

 と思うと、後段では議論をひっくり返して「日本の財政運営が評価されて買われているのではない。気まぐれに移ろうとしているマネーに支えられている危うさを認識すれば、値上がりした国債相場に急落のリスクが蓄積されていることも見えてくる」という。

 いったい「投げ売りリスク」があるのか、ないのか。書き手の混乱がにじみ出た社説である。こういう文章を読んでいると、こちらの頭が濁ってくる。これくらいにして本題に移ろう。

 長期金利はときどきの景況感を反映する。日本の潜在成長率は1.5%弱と言われているが、それをも下回る1%という長期金利の数字は、なにを意味しているのか。

 投資家の選択はあきらかだ。

 ざっくり言えば、投資家は「実物経済に投資したって、どうせ1.5%の収益率を確保できない。それより、利回り1%でも国債で運用したほうがいい」と考えているのである。投資家の中には、資金の出し手である家計や銀行が含まれる。

 言い換えれば、いまや投資家が「日本の潜在成長率は1.5%」という話を信用していない。民間部門の成長力にも期待していない。民間に資金を出すくらいなら、政府の借金に手を貸したほうがまだマシだと思っている。

 それくらい日本経済の先行きを悲観視している、という点が本質である。

 政府の借金はたしかに大きいけれども、民間部門の先行きはもっと期待できないから、相対的に考えれば、国債投資のほうが割が合うと考えているのである。

投資家は合理的である。新聞が財務省のポチになって、いくら財政危機を煽ろうとも、そんな口車に乗って資金を運用するほどナイーブではない。

 どうしてこうなってしまったか、といえば、一番の原因は菅直人政権の政策不在である。

 この点を私は7月13日に収録した田原総一朗氏との対談(「民主党政権の『内ゲバ』と狙われた日本経済」)」や同22日付けコラム(「リーマンショックを超える欧州発「8月危機」の正体」)、さらに『週刊現代』誌上(8月7日号「この秋、日本経済は死ぬかもしれない」)で円高の背景として指摘した。

 要約すれば、世界の景気は8月以降、後退していく公算が高い。

 ところが各国は財政赤字を抱えて、財政出動で景気を刺激する余力はない。金融政策も各国の政策金利が限界近くに低下し、利下げ余地が乏しい。財政金融政策が手詰まりに陥る中、残る手段はといえば、自国通貨の切り下げによる輸出振興になる。

 かつては政策当局による利下げや為替介入によって意図的な通貨切り下げが起きたが、現代では難しい。単独の通貨切り下げは、他国の犠牲による自国の繁栄、すなわち「近隣窮乏化政策」にほかならないことが歴史の教訓として知れ渡ってしまったからだ。

 しかし、各国の本音が自国の繁栄にある以上、マーケットが政策当局の本音を読み取って通貨売りを仕掛ける可能性がある。そこでターゲットになったのは、マクロ経済政策が麻痺状態に陥っている日本ではないか。米国のドルと欧州のユーロを売って、円を買うのだ。これが今回の円高の正体である。

 以上は私がこれまで提示してきた仮説にすぎない。だが、最近では日本経済新聞も一面の署名入りコラム(8月5日付)で同じ趣旨の解説記事を掲載している。


■鵜の目鷹の目の市場に餌を与えるな


 為替相場を決めるのは、10年くらいの長期なら購買力平価説、3~5年の中期なら内外金利差+累積経常収支(対外純債務あるいは純資産)に基づくアセット・アプローチ(ポートフォリオ・アプローチ)説というのが通り相場だ。

 だが1ヵ月程度の短期では、どちらに動くか分からないランダムウォークである。

 したがって、7月初めから始まった今回の円高を政府の政策不在で説明しようとするのは、そもそも初めから「仮説」なのだが、一方で、もっともらしいストーリーを材料に市場が動くのも現実である。

 だからこそ、政府が自ら不利になるような材料を市場に与えてはならない。それは鵜の目鷹の目で商売の口実を探している市場に、格好の餌を与えるような行為である。

 野田佳彦財務相の「過度な変動は望ましくない」というお決まりのコメントすら、4日になるまで出なかったのだから、市場が「政府は円高に無頓着」と受け取るのも当然だ。通貨売りを仕掛ける側からみれば「絶好の稼ぎ場」になったに違いない。

日銀も「9月に民主党代表選を控えた菅政権は身動きできない」とみてとって、一段の金融緩和に動きそうにない。市場はそう観測している。「代表選の行方次第では、さらなる緩和要求が強まる可能性がある。いま日銀が動けば無駄弾になりかねないからだ」
(市場関係者)

 菅政権はいまや日銀からも足元を見られているのである。

 その円高から一歩進んで、今度は国債買いになった。

 これも菅政権の政策不在が根本原因だ。財源に余裕がなく、一連のマニフェスト政策だけでなく、鳴り物入りの新成長戦略さえ実現できる見通しがない。そもそも国家戦略室の格下げを決めた後、マクロ経済政策の司令塔すらない状態である。

 これでは民間部門の成長は当分、見込めない。その結果、市場は消去法によって公的部門の借金を引き受ける選択肢を選んだのだ。

 株から国債へというマネーの流れが示しているのは「菅政権では成長できない」という市場の強烈なメッセージである。