【巨悪の幻想-郵便不正公判】(1)検察の窮地 「完璧な捜査」か「壮大な虚構」か

(産経ニュース 2010.9.2 19:43)  http://bit.ly/bIQs1h


「彼女が犯罪にかかわっているという大前提、ストーリーが事実ではない。話自体が『壮大な虚構』と思える」

 検察の証人に呼ばれたはずの厚生労働省元部長、塩田幸雄(59)がかつての部下だった元局長、村木厚子(54)をかばう証言をしたのは、郵便不正事件の公判が始まって間もない2月8日のことだった。

 大阪地検特捜部の取り調べには、参院議員の石井一(76)から電話を受け、村木に便宜を図るよう指示したと「供述」している。法廷ではその内容を「想像で答えた」と真っ向から否定した。裁判の局面が変わった瞬間だった。

 検察幹部は「調書のやりとりは細かい。想像のはずがない」と一蹴(いっしゅう)したが、取調官の誘導や脅迫があった-として供述を覆した証人は11人中8人にのぼった。裁判所は調書43通のうち実に34通を証拠として認めず、検察内部からは、すでに無罪を覚悟した発言も聞こえてくる。

塩田は冒頭の証言の2カ月後、香川県小豆島町長に就任した。捜査対象者がいわば裏切りの果てに政治家に転身したととらえた検察にとっては、屈辱に感じただろう。それにしても、正義の象徴である検察は、なぜこんな窮地に追い込まれたのか。


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 村木を逮捕した平成21年6月当時、検察幹部の発言は自信に満ちあふれていた。「縦、横、斜め、すべて証拠でがんじがらめ。有罪は確実だ」

 ただ、ここでいう証拠の大半は物証ではなく、のちに弁護人から「ストーリーありき」と批判された供述調書だった。

 村木の共犯とされる障害者団体「凛の会」発起人、河野克史(69)は、調書が作文だという“証拠”を持っている。関係者の調書の写しだ。そこには、東京出身の河野がけっして使わない関西弁で会話したことになっていた。

 凛の会の元メンバー(52)は自身の受けた取り調べをこう振り返った。「検事は自分の作ったストーリーに酔い、悦に入るような感じで調書を読み聞かせた」。一方で検事の一人は「間違ったことをしたつもりはなく、いつも通りにやっただけだ」と話す。

 ストーリーの定義はあいまいでもある。最終弁論で弁護人は34回もこの言葉を使ったが、筋読み、見込み、推認、脚色、創作…と、文脈によって読み取れる意味は微妙に違う。これらをひとまとめに不当だと非難されることに、検察内部では不満がくすぶる。


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 特捜部が手掛ける知能犯罪は、物証よりも供述が決め手となるケースが多い。さらに実際は罪を犯した容疑者であっても、最初から素直に自白することはまれだ。いきおい、何らかの構図を想定して捜査を進めることになる。

 そうした手法自体は必ずしも責められるものでないが、郵便不正事件にはいわば究極の物証があった。偽造証明書だ。これが交付され、悪用されたことはまぎれもない事実だったからこそ、特捜部は、石井の圧力を受けた官僚たちが組織ぐるみで証明書を偽造したという自ら描いた「ストーリー」を過信してしまったのか。

 複数の検察幹部は、石井の元秘書で凛の会元会長、倉沢邦夫(74)が偽造証明書を「女性課長から受け取った」と供述したことから村木が浮上し、厚労省関係者の供述を順番に積み上げていった-と指摘する。「だれが捜査してもあの構図になった」。そう語る幹部もいる。

一方で別の幹部は「最終ターゲットは石井だった。倉沢の供述はそこへつながると考えられただけに、色めき立ったのは事実だ」と明かす。

 大物国会議員の立件に目がくらんだのか、異例とされた中央省庁の現職局長の逮捕で留飲を下げたのか。特捜部が突っ走った真相がいまひとつ判然としないなか、いまなお村木の有罪を信じる当時の捜査幹部は、こう言いきった。

 「取り調べには問題があったかもしれないが、捜査は完璧(かんぺき)だった」(敬称、呼称略)


 “ミスター検察”と呼ばれた元検事総長、伊藤栄樹(故人)が「巨悪を眠らせるな」と検事たちに訓示してから25年。郵便不正事件で特捜部がにらんだ国会議員の口利きや厚労省の組織犯罪は「壮大な虚構」の言葉どおり、幻想に映りはじめた。9月10日の判決を前に、捜査の問題点を検証する。

 【用語解説】郵便不正事件

 障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、定期刊行物を装った企業広告が格安で大量発送された事件。利用を認める厚生労働省の証明書を偽造したとして、大阪地検特捜部が虚偽有印公文書作成・同行使罪で村木厚子被告ら4人を起訴した。検察側の主張では、倉沢邦夫被告から口添えの依頼を受けた石井一参院議員が塩田幸雄元部長に証明書の発行を要請。塩田元部長が議員案件として下ろし、村木被告が元係長、上村勉被告に発行を指示した-とされた。