【佐藤優の眼光紙背】村木厚子元厚生労働省局長に対する無罪判決


佐藤優の眼光紙背
(2010年09月10日16時19分)  http://p.tl/gZPJ


 9月10日午後、大阪地方裁判所は、郵便割引制度に関係した偽の証明書発行事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省の元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告人(54)に対して無罪(求刑懲役1年6月)を言い渡した。横田信之裁判長は「共謀があったとは認定できない」と明確に述べた。

 この事件については、明らかになっていない点が多いので、事件自体について論評することが難しい。朝日新聞は事件の概要についてこう説明する。


村木元局長は2004年6月、自称障害者団体「凛(りん)の会」(東京、現・白山会)が郵便割引制度の適用を受けるための偽の証明書を発行するよう、担当係長だった上村(かみむら)勉被告(41)=同罪で起訴、公判中=に指示したとして、昨年7月に起訴された。元局長は一貫して否認した。

 検察側は今年1月の初公判で、証明書発行は凛の会元会長の倉沢邦夫被告(74)=一審・同罪は無罪、検察側控訴=が当時衆院議員だった石井一・参院議員(76)に証明書が発行されるよう頼み、石井議員が当時の障害保健福祉部長に口添えした「議員案件」だったと指摘。元部長の指示を受けた村木元局長(当時、企画課長)が上村被告に証明書を不正発行させたと主張した。

 ところが、捜査段階で村木元局長の事件への関与を認めたとされる上村被告や元部長らが証人尋問で「調書はでっち上げだ」「事件は壮大な虚構」などと説明を一転。横田裁判長は5月、検察側が立証の柱とした上村被告らの供述調書計43通のうち34通について「調書は検事の誘導で作られた」などと判断し、証拠採用しない決定をした。
 窮地に追い込まれた検察側は6月、推論を重ねる手法で論告。倉沢元会長が「証明書は村木元局長からもらった」と説明した公判証言などを根拠に「元局長の指示はあったと考えるのが合理的だ」と主張し、懲役1年6カ月を求刑した。これに対して弁護側は「検察はストーリーに沿った調書を作成することに力を注ぎ、冤罪を発生させた」として無罪判決を求めていた。

 〈郵便不正事件〉 障害者団体向けの郵便割引制度を悪用し、実態のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件。大阪地検特捜部は昨年2月以降、郵便法違反容疑などで強制捜査に着手。厚生労働省から自称障害者団体「凛の会」が同制度の適用を受けるための偽の証明書が発行されたことが分かり、特捜部は昨年7月、発行に関与したとして村木厚子元局長や同会の元会長ら4人を虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴した。(9月10日asahi.com.)


 中央官庁の官僚が、課長名で偽造証明書を作るなどということは、あってはならない重大な犯罪だ。筆者自身外務官僚だった。外務省での相場観からすると、課長名で偽造外交文書を作成したことが露見すれば、それを行った職員は確実にクビだ。課長も少なくとも管理責任を問われ、処分される。今回、村木氏に無罪が言い渡されたが故に、厚労省官僚による偽造文書作成という犯罪の真相究明がおろそかになってはならない。

 村木氏に関し、無罪が言い渡されることは、公判における証拠採用の段階で明白だった。調書の信用性が否定されたわけだ。調書がどのように作られたかについて、9月10日発売の『文藝春秋』2010年10月号の手記で村木氏はこう述べている。


調書の作成というのは、検事さんとの交渉なんですね。私は一度、弘中先生(引用者註*弘中惇一郎弁護士)から叱られたことがあります。「なんでみんな、こんなに嘘をつくんだろう」と私が嘆いた時です。弘中先生は、「みんなが嘘をついているわけじゃない。検事が自分の好きな調書をまず作ってしまう。そこから交渉が始まるんだ。調書とはそういうものだ」って。
 どんなに説明しても、結局検事さんが書きたいことしか書いてもらえない。いくら詳しく喋っても、それが調書になるわけではないんです。話した中から、検事さんが取りたい部分だけがつまみ出されて調書になる。そこから、どれだけ訂正をしてもらえるかの交渉が始まるんです。なので、いくらやりとりをしても自分が言いたいこととはかけ離れたものにしかなりません。がんばって交渉して、なんとかかんとか「少なくとも嘘はない」というところまでたどりつく、という感じです。(村木厚子「私は泣かない、屈しない」『文藝春秋』2010年10月号)


 もっともこういう取り調べは、いつものことだ。村木氏を担当した特捜検察官からすれば、「特捜検察官はみんなやっていることだ。いつもと同じことをしていたのに何で俺たちだけがこんな目に遭わなくてはならないのか」と途方に暮れているのだと思う。

 大阪地検特捜部は、この事件を通じ、当時野党だった民主党有力政治家と厚労省官僚の不適切な関係を暴き、世の中をもっときれいにしようと思ったのであろう。検察官僚が望む正義を実現しようとした国策捜査だったのだと思う。

 筆者は、鈴木宗男衆議院議員の疑惑に関連する事件で東京地方検察庁特別捜査部に2002年5月14日に逮捕され、512日間、「小菅ヒルズ」(東京拘置所)の独房に閉じこめられた経験がある。このとき筆者を取り調べた検察官が、取り調べ3日目の2002年5月16日の取り調べでこの事件は国策捜査だと筆者に述べた。


「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないというやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか」
「勝てるとなんか思ってないよ。どうせ結論は決まっているんだ」
「そこまでわかっているんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」(佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』新潮文庫、2007年、277頁)


 その後も取り調べのときに検察官と国策捜査について何度も議論した。あるとき、こんなやりとりがあった。


「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」
「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」
「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」
「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」
「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」
「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきているんだ。一昔前ならば、鈴木さんが貰った数百万円程度なんか誰も問題にしなかった。しかし、特捜の僕たちも驚くほどのスピードで、ハードルが下がっていくんだ。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時代の変化しか言えない」(佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫、2007年、366~367頁)


 特捜部の取り調べは、はじめに筋書きが決められており、それにあわせた調書が作られていく。この特捜検察の常識が、村木事件では通用しなかった。国民の集合的無意識の部分で、検察の正義に対する信頼が揺らぎ始めている。

 村木氏の弁護を担当した弘中惇一郎弁護士は、鈴木宗男氏の弁護人でもある。弘中氏は、筆者に「村木氏の事件も、鈴木氏の事件も、検察のストーリーによって作られた冤罪だ」とはっきり述べた。最高裁判所の司法官僚は実に頭がいい。村木氏に対する無罪判決の後で、鈴木氏の上告を最高裁判所が棄却したら、世論はどう反応したであろうか? それをきちんと読んで、9月7日に上告棄却を決定したのだ。

 村木氏と鈴木氏の違いはどこにあるのか。大阪地検特捜と東京地検特捜の文化の相違、また厚生労働省が組織として村木氏を支援したなどの要因をあげる有識者もいるが、筆者はそれは副次的と考える。

 もっとも重要なのは運だ。村木氏は運が良かったが、鈴木氏は運が悪かったのである。また、いつもと同じように仕事をしていたのに、「無罪を取られてしまった」(註*起訴された事件の99.9%が第一審で有罪になる。無罪判決となった場合、担当した検察官の出世にマイナスになる。それだから、検察官は「無罪をとられる」という表現をする)検察官は運が悪かったのだ。それだけのことだ。筆者は村木氏の幸運を心の底から祝っている。(2010年9月10日脱稿)