石井紘基議員 刺殺事件の背後にある権力の闇より

『スキャンダル大戦争5』鹿砦社 のP36から貼り付け

(貼り付け)


石井紘基議員 刺殺事件の背後にある権力の闇
ある警察官僚の不祥事を追う!

高田欽一

事件と関係あるのか?
銀行による変額保険問題と石井事件

「どうしてこんな酷いことを許しておくんだ!」

民主党の石井紘基衆議院議員は、殺される2日前の昨年(2002年)10月23日、災害対策特別委員長室に呼びつけた金融庁の保健担当者を大声で怒鳴りつけたという。

石井は変額保険の問題について金融庁に説明を求め、銀行に対して弱腰だった担当者に苛立っていたのだ。

変額保険は投資信託付き生命保険だ。したがって株価が下がると損をする危険もある。本来その得失は、加入者の自己責任に帰すべきだろう。だが、日本での同種の保健の勧誘は、極めて特異なやり方で行われていた。それは銀行が優良顧客に相続税対策になると言って売っていたのだ。地価の高い都市部に住む顧客に、
「今のままでは相続税を払えずに家を手放さなくてはなりません」
と脅し、
「だからこの保険をお勧めします。保険料はご心配なく、当行が全額融資させていただきます。保健終了時(死亡時)には、相続税と融資分を返済し、なおこれだけ利益が出ます」
と用意した株価予想曲線などを見せて説得したのだ。

加入者たちは、お堅いイメージのある銀行から、「これはお世話になっているお客様に、当行が自信をもって勧める商品です」とまで言われれば、損をする結果になるとは思わないだろう。

ところが、ご存知のようにバブル崩壊後に株価が右肩下がりで下落すると、変額保険は元本割れになってしまった。ところがこの場合、銀行は損をしないのだ。いや、正確に言うと、保険を融資の担保にしている銀行は大損だが、不動産を担保にする銀行は、その家や土地を差し押さえてしまえばよいのだ。


だが、これは加入者にとってはたまったものではない。彼らの家や土地は銀行に借金して購入したのではない。それを銀行に相続税対策(つまり家屋敷の保全)になると勧められて加入した保険のせいで取られてしまうのでは、詐欺にあったも同然の気持ちになるだろう。

特にこの問題で悪質だったのは、東京三菱銀行だ。

変額保険を最も多く売ったのも同銀行なら、それにもまして裁判のやり方が陰険だった。神戸に住む人を相手に東京で裁判を起こしたりする嫌がらせをするのだ。さらに契約書に元利金は保健終了時(保険加入者の死亡時)の一括払いとあるのに、勝手に利息分を引き落としたりしている。加入者が気づいて告訴すると、契約書の誤記だと主張するのだ。

こんな主張はシェークスピアの喜劇『ベニスの商人』に登場する因業なユダヤ人の金貸しシャイロックも言わなかった。社会的に力のある側が、契約内容が都合が悪いからといって、契約書の誤記だと主張して通るのでは、被差別民族のユダヤ人は、安心して商売などできない。シャイロックは契約どおりに肉1ポンドの履行を求めただけだ。

ついでに述べると、中世ヨーロッパの都市国家ベニスが繁栄したのは、ユダヤ人でさえ法の下での平等を認めた法治主義が確立していたからだ。これは現在の日本の株式市場が低迷している原因にもつながるだろう。よく小泉や竹中が辞めたら株価が上がるとか言うが、これは経済を理解しない人の言葉だ。一時的なご祝儀相場ぐらいはあっても、1人の総理や大臣の進退で証券市場が活性化することはありえない。大切なのは総理の信用ではなく市場の信用だ。総理大臣が信用のない男でも市場に信用があれば投資は行われる。

バブル期には、銀行が大型フリーローンや提案型融資と称して、町の小金持ちの資産家に、年収の何倍もの大金を融資して株式投資を勧めたのだ。「絶対に損はさせません」と。ところが実際これらは、政治家や高級官僚、総会屋、ヤクザの仕手銘柄を売り抜けさせるためのもので、身ぐるみ剥がされた資産家が「話が違うじゃないか」と文句を言えば、「株式投資なんて麻薬みたいなものです。借りたものは返さなければ」と開き直る。これでは一般投資家が証券市場から逃げ出すのも当然だ。

さらに政府が市場の信用回復のために行なった対策も不十分だった。株価PKOなども続けてきた。銀行からノーパンしゃぶしゃぶ、女体盛りで接待された役人がインサイダー取引をやらないという保証はない。自分がやらなくても情報を流せば謝礼がもらえるのだ。政府が株式市場に介入したのは、江戸幕府が米価の安定を図ったのと同様、どだい無理な話なのだ。

話が脱線したが、今の日本では証券市場の信用だけでなく裁判所の信用すら失われつつある。そもそも銀行が生命保険を勧誘するのは銀行法違反だったのだ。違法行為によって結ばれた契約なら本来は無効になるはずだ。ところが、裁判ではことごとくと言っていいほど銀行側の勝訴に終わっている。

それどころか、裁判所は訴訟審理において、銀行側が稟議書や業務日誌の提出の拒否を承認しているという。これは医療ミスの訴訟で、病院側にカルテや看護記録の提出を求めないようなものだ。これでは個人が勝訴する可能性はなきに等しい。

銀行から研修と称して接待を受ける裁判官や、退官後に顧問に天下ったり、有利な条件で融資を受けて家を建てた判事もいるという。筆者は直接確認したわけではないが、そうした噂が銀行との訴訟に敗訴した人々の間に急速に広まったのも無理もない。裁判所が銀行寄りなのをいいことに、銀行側は極めて強気で横柄だという。その一方で、銀行が稲川会や住吉連合、山口組などの広域暴力団の舎弟企業を相手に強気な債権回収を行なったという話は聞かない。一般に名も知られていない不動産会社の債権を何千億円も放棄しているのだ。

石井議員が「どうしてこんな酷いことを……」と怒ったのは、住居を差し押さえられそうになった老人(変額保険の加入者の多くは老人だ)が、「これからどこに寝ろというのか」と抗議したのに対して、銀行の担当者が、「車で寝ればいい」などと答えたからだという。金融庁の役人を呼んだその前日には、東京三菱銀行に電話をかけて、「(三木繁光)頭取に衆議院議員の石井紘基まで必ず電話するように伝えてください」と伝言している。

さらに「変額保険・被害者の会」の人たちに「頭取から連絡がこないのなら、一緒に抗議に行きましょう。私も街宣車(選挙カー)を出すから皆さんもできるだけ多くの人を集めてください」と言っている。また週刊誌の記者に特ダネを提供したこともほのめかしていたようだが、残念ながらその詳細は不明だ。

同銀行本店前での抗議の日程は未定だったが、10月25に主要銀行の頭取たちが記者会見を行なう予定だった。だが、周知のようにその日の朝、石井は自宅前で殺されてしまうのだ。

もっとも、銀行員に国会議員の暗殺を計画する度胸はないだろう。だが、筆者は東京三菱銀行の役職者の名簿を見るうちに、「おや?」と思わせる名前を見つけたのだ。

東京三菱銀行の役職名簿にある城内(きうち)康光という男

その名は城内康光――第15代警視庁長官だ。かつて“警察のヒトラー”あるいは“暴君ネロ”などの異名で呼ばれた男だ。

城内は決して無能な男ではない。どころか警察官僚のドン後藤田正晴以来の逸材という評価もあるやり手官僚だった。本人も意識的に後藤田を真似したところがあった。しかし、それだけに敵も多かった。彼の退官後には警察内の不満分子が作ったと思われる「警察のヒトラー・城内長官の退陣」という、ワープロで打たれた40字詰め40行余りの告発文が流れた。

そこでは「城内の人事の私物化と上位下達体質によって警察内の正論派、良識派がすべて飛ばされ、ごますり上手とイエスマンばかりがはびこった。若手キャリアは面従腹背を決め込むか、死んだふり。一握りの城内ファミリーの横行に組織の志気は地に落ちた」と、その独裁者ぶりを激しく糾弾している。

城内は、彼が目標にしていた後藤田正晴と同様に政治志向が強かった。本人も機会があれば政治家に転身する意向だったのだろう。彼が内部の批判を押さえ込んでまで「ファミリー」と呼ばれた側近集団を作ったのは、退官後も警察に影響力を保持する狙いがあったようだ。また刑事警察より警備公安警察を重視したのも後藤田と同じだ。これも政治家になった時に役立つと考えたのだろう。

しかし、城内は結局政治家にはならず、退官と同時にギリシャ大使として海外に出国してしまう。あるいは、何か日本にいづらかった理由でもあったのだろうか?

また、城内元長官はオウム真理教事件を追うジャーナリストの間では有名な存在であった。一橋文哉という虚実ないまぜの「深層レポート」を発表する売れっ子ジャーナリストがいるが、彼の著書『オウム帝国の正体』の冒頭に紹介されている“伝説”のモデルが城内だったといわれている。一橋が発表した警察内部で密かに語られている伝説とは、次のようなものだ。

ある幹部警察官が、1983年に関東近県の本部長に単身赴任した際、婚約者のいる婦警をレイプするという事件を起こし、そのもみ消しを側近に命じる。側近たちは被害者の女性の説得に成功。女性はこの幹部警察官の愛人となり、彼女が口を噤んでくれたために彼は順調に出世し、団体(警察)のトップにまで上り詰めた。退官後は海外で別の仕事をしている……。

ここに出てくる幹部警察官の経歴が城内のそれとぴたりと当てはまるのだ。1983年当時、城内は群馬県警本部長だった。だがこの頃、城内がレイプ事件を起こしたなどという話はないはずだ。筆者がみおとしているのだろうか……。

では、この一橋の紹介していた伝説は根も葉もないデタラメだったのだろうか。実はこれとは別のものだがよく似た話がある。それは、城内元長官が将来の総監、長官候補として期待していた若手官僚が女性問題を起こし、そのもみ消しを城内が側近に指示。ところが、このスキャンダルをオウム真理教と関係が深いと噂されていた暴力団に気づかれてしまい、その連中との裏取引によってオウムに拉致殺害された坂本弁護士一家殺害事件の捜査が中断したのではないか、との疑惑があるのだ。

この女性問題を起こしたキャリア官僚の名は渡邊秀男――昭和49年入庁組のホープで、城内元長官のお気に入りだった男だ。渡邊は1992年4月20日付けで病気の療養を理由に依頼退職。最終職は警察庁の地域課長(厳密には警務局付)で、階級は警視長だった。

ところが、警察関係のOB名簿には渡邊の名前は記載されていない。財団法人警察教会発行の職員録に主要旧幹部の名簿があり、警視正以上の存命中のOBの名が載っているのだが、渡邊秀男の名はないのだ。他の幹部では、たとえば昭和27年に共産党に偽装入党し、自ら共産党の仕業に見せかけて駐在所を爆破、その後マスコミの目を避けて全国を逃亡した戸高公徳。警察の裏金疑惑を告発する『わが罪は、つねにわが前にあり』を著し、警察組織から村八分になった(検察庁の三井環大阪高検公安部長と同じだ)松橋忠光(1998年に死去)。彼らですら名前があるのに、である。その他では同じワタナベでも神奈川県警本部長の時に現職警官の覚醒剤事件をもみ消して起訴された渡邊泉朗の名前はあっても、渡邊秀男の名は抹消されている(次頁資料参照)。

いったい渡邊秀男は何をやったのか?覚醒剤事件もみ消しや駐在所の爆破、裏金疑惑の告発(これは警察組織以外では評価されるものだ)以上の悪事を働いたというのだろうか。

石井紘基議員 刺殺事件の背後にある権力の闇2

渡邊秀男の女性問題が本当に意味するものとは?

渡邊の女性問題が発覚した当時の新聞記事を見てみよう。

東京・霞ヶ関の警察庁の庁舎内で今月中旬、若い女性が白殺を図り、命は取りとめたが、その直前、この女性とかつて知り合いだった同庁のキャリアの課長(42)が「警務局付」の内示を受けていたことが、17日までに分かった。(中略)

女性が自殺を図ったのは15日午前5時ごろ。これまでの情報ではこの女性は早朝通用門を通って庁舎内に侵入、4階部分まで来て白殺を図ったらしい。

麹町署は、女性には外傷もなく薬物を飲んだ可能性が強いとみている。しかし、これまでの調べで女性は知り合いの課長の名前を出し「緊急の書類を届けに来た」と警備員に話したという話もあり、警察庁で確認を急いでいる。

この女性はかつて、課長と交際があつたという。警察庁では、「警務局付」とした理由は「病気(心臓が悪い)」としているが、課長が辞職の意向を漏らしているともいわれ、女性とのトラブルの責任をとった、との見方もある。
(『産経新聞』1992年4月17日付)

警察庁舎内でキャリア官僚と交際していた女性が自殺を図る。たしかにかつてないような事件かもしれないが、これだけなら渡邊の側にも同情すべき点はあるだろう。一時の火遊びのつもりだった不倫関係のもつれで、女から当てつけにしろ、恨みつらみにしろ、狂言自殺を図られ、将来の長官候補といわれたキャリアを棒に振ったのだから…。

事実、当時事件を取材した記者に警察幹部たちは「渡邊は2月ごろから女に別れ話を持ちかけていたのだが、それがもつれた挙げ句の自殺騒ぎのようだ。4月に課長への昇進が決まっていた渡邊は、身辺整理をしたかったのではないか。普通は自殺事件があって降格になるわけだが、渡邊は自殺騒ぎの前に課長を辞めたいと言っていた。話が普通と逆なんだ」と説明し、さらに「女(の頭)が少しオカシイようだ」とも言っていた。今であれば「あの女はストーカーだよ」といったところか。

いずれにせよ、渡邊は事件の5日後に警察庁を退官するが、あくまで病気療養のための依願退職扱いだった。従って、懲戒処分は受けていない。

その後、渡邊の女性問題は再びマスコミに登場する。自殺騒ぎから3カ月後、女性が渡邊を告訴したのだ。『夕刊フジ』(7月24日付)は、「警察エリート危険な情事」として1面に大きく報道している。

単身赴任中に交際していた女性が転勤したあとのある日の未明、オフィスに来て倒れ、救急車で運ばれる騒ぎになったことから警察庁を退職したエリート官僚が、その女性から東京地裁に民事訴訟を起こされていることが23日までに明らかになった。交際中に撮影されたというビデオテープなどの返還や千数百万円の支払いを求められたもの。訴えられた側は「テープなど存在しない。事実無根のいやがらせ」と全否定。31日が第1回口頭弁論。エリート官僚の”危険な情事”は法廷に持ち込まれた。

この『夕刊フジ』の記事は、女性の訴えの内容を紹介しながらも、「こんなことが、ありうるとは信じられない仰天内容なのだ」と慎重な扱いになっている。一方、記事中の渡邊は「やましいことはないにしても、彼女と関係があったことは事実です。しかし、あくまで個人的な問題だと考えていたのですが……」と余裕のコメント。渡邊側の望月千鶴子弁護士も、「彼女は私に対しても、初婚の夫とは死別したと言っていたが、後に生別と分かったりして、ことほどさように証言は信用できません」と述べる。さらに、女に奇矯な言動があると指摘して、「ちょっとした不倫を、隠そうとして泥沼にはまった感じです。小さいうちに消し止めておけば、こんなことにならずに済んだ、と思います」と渡邊を擁護している。

では、女性が渡邊を訴えた訴状の内容とはどんなものなのか、その概要を紹介
しよう。

訴状によると、この女性は名古屋市でコンピュータソフト開発会社「蜻蛉システム」を経営し、夫と息子一人に実母の4人で暮らしていた。女性は、日本開発銀行が世話役をする「東海活性化懇談会」という親睦会で営業活動をした際に知り合った人物から、愛知県警刑事部長に赴任したばかりの渡邊秀男を紹介されて懇意になったという。

1989年10月21日、女性は渡邊に食事に誘われる。この席で彼女はその年5月にヨーロッパに出張した際、モスクワに立ち寄り、観光したことを話題にした。その話の中で、防衛庁の開発プロジェクトに一緒に参加したチームのメンバーの一部が、仕事の性質上、共産圏には行かないようにと指示されていたことも話題にした。ところが、会食の帰り道に渡邊が突然この話について、「君の行動はスパイ行為にあたる」と言い出し、さらに神奈川県警外事課課長、警察庁外事課課員、在西ドイツ大使館書記官、警察庁国際刑事課理事官などの経歴を披涯。白分がスパイ取り締まりのエキスパートだと思い込ませて「本来は司直へ通報しなければならないことだが、貴方のことだから、助けてあげたい。ついては、詳しい話が聞きたいので、うちにいらっしゃい」と言葉巧みに単身赴任中の警察官舎に誘った。女性は、一瞬ためらったが、警察の官舎でもあることから渡邊についていったという。

ところが、部屋に入るなり、渡邊が襲いかかってきてレイプしたうえに、「裸体の原告の手足を縛って、そのあられもない姿態をポラロイド・カメラで撮影した」のだという。

その後、スパイ行為云々が虚偽であることを知った女性が、電話で詰め寄ると、逆に「僕に抵抗したら裸の写真をばらまく」などと脅迫し、渡邊の脅しに屈した女性を再び官舎に連れこんで犯す。その際に女性に泊まっていくことを要求し、「夫や子供がいるのだから、それ(宿泊)だけは許して下さい」と懇願する女性に「激昂した渡邊が殴る蹴るの暴行を加えて〃どうやら、君はまだ僕の身分が分かっていないようだ"と言い放って、またぞろ警察官僚のキャリア組の同期の出世頭としての力を誇示して原告を威圧した」(訴状原文)という。

この後、すっかり渡邊に怯えきって言いなりになっていた女性に対し、渡邊は金銭の交付も要求するようになる。最初は渡邊名義の口座に、後に「自分の名ではまずい」と言って女性名義の口座を山一証券に開かせ、多額の金を振り込ませた。渡邊の脅迫は警察庁に戻った後も続き、彼女が警察庁の幹部に相談するようになってからも、さまざまな術策を弄してこの訴えは、アタマのおかしな女の戯言だと周囲の人々に思いこませようとしていたというのだ。

たしかに〃こんなことが、あり得るとは信じられない仰天内容"だろう。裁判では、最初のうち渡邊は、女性の訴えを真っ向から否定し、女性との関係を次のように説明していた。

寺倉(女性の名)とは、前任者に誘われて名古屋市内のバーに飲みに行ったときに知り合った客とホステスという関係。最初の関係もレイプなどではなく、10月21日の会食で渡邊が所有するドイツ製の高級コーヒーカップを話題にしたとき、寺倉が「ぜひ、そのコーヒーカップでコーヒーをご馳走してほしい」と、ねだってついてきたのであり、スパイ罪云々などで脅したのではない。渡邊としては官舎に連れていくことには、周囲の目もあり若干抵抗を覚えたが、寺倉が「以前にも別の人に官舎でお茶をご馳走してもらった」と言い、執拗にねだったため同意した。部屋の中に入ると寺倉の方が積極的に誘惑してきたのだ。

また寺倉の学歴は詐称で、同女はいくつもの名前を使い分ける謎の多い女であり、人妻であることやコンピュータ会社を主宰することも交際開始時は知らされなかった。山一に寺倉名義の口座を開設して、そこに2149万円が入金されたのは認めるが、その金は渡邊が10年に渡ってこつこつ貯めた虎の子を、寺倉の勧めに従い株式投資などで利殖する目的で預けたもの。もともと渡邊に帰属する金であり、恐喝云々などとはとんでもない話だ。また、寺倉とはたびたびクラシックコンサートやオペラの観劇などに行ったが、その費用は全て渡邊が負担したのであり、寺倉に支払わせたことはない。

そして「寺倉との関係はホステスと客の不倫関係であり、渡邊を告訴したのは、寺倉に利殖のため運用させようと預けた金を横領し、併せて(関係を清算しようとした)渡邊に復讐するために行った虚偽である」と述べる。

さらに彼は自分の心情を吐露する。

上級職国家公務員の立場としてマイナスを避けねばならず、刑事犯罪を実行することはおろか、問接的に関与することもあり得ない話であり、実際私(原文は反訴原告)もそのように気を付けていたものである。

まさに、謎が謎を呼ぶ裁判

ここで読者は、渡邊の自負心にちょっと鼻白むかもしれない。渡邊の言い分が正しいとしても、そもそも人妻とW不倫(渡邊も緒婚して3人の子供がいる)したり、他人名義の口座で財テクを行なうことも、上級職国家公務員のするべきことではないからだ。さらに渡邊の主張にはいくつも矛盾がある。

まず、女がコンピュータソフト開発の会社を主宰し、いくつもの省庁や大企業(防衛庁やNTTなど)を顧客にしていたことは、渡邊側も否定していない。

それに渡邊の主張では、女性が恐喝により入金させられたと訴えた山一口座の女性名義の金の出所の説明が不十分だ。彼は「自分がこつこつと貯めた虎の子の2千万円余」の金について、郵便局の局長印を押した手書きの払い戻し証明書を裁判所に提出。相手側弁護士から、この資料では2149万円に足りないと指摘されると、手元の7百万円を充てたなどと回答。さらに「なぜ多額の金を置いていたのだ」と聞かれると、「警察の官舎ほど(金を置くのに)安全な場所はない」と答えている。

また渡邊は、寺倉との交際で1回のオペラ観劇に10万円以上を使ったとする。寺倉は、渡邊に強要されたデートで支払わされたと主張する蜻蛉システム宛のホテル代などの領収書を提出するが、これに対して渡邊は、支払いは自分がしたが、寺倉が節税のために領収書を欲しがったため、会社名の領収書を発行してもらったと主張した。

しかしながら、誰が考えても、エリート官僚が一ホステスの指示に従って財テクを行なうだろうかと疑問に感じざるを得ないだろう。

ところが、渡邊は裁判が始まってしばらくしてから、驚くべき内容の陳述書を提出する。少し長いのだが、とても興味深いものだからそのまま紹介しよう。

寺倉の特異な人格について
他方においてなによりも寺倉の特異な人格について触れておかないと、原告の交際開始から今日に至るまでの寺倉の行動が理解できないと考え、さらに寺倉の特異な人格に基づく私に対する働きかけに言及してはじめて私の意志決定、行動を説明できる側面があること、などの理由により寺倉の手紙を引用しながら寺倉の人格・性格を述べる事とします。(中略)

ところが、平成2年6月頃に入ると、寺倉の精神状態の不安定さは少しずつ顕著になり、失声症(口は開いて動いているのに声が出てこない状態)や、退行現象(幼児期の言動に戻る現象)が現れるようになりました。更に6月末から7月にかけて寺倉は、パン(後にヴィーナス)とか、ヘラ、エルム(後にエルメス)という別の人格を自らのうちに表現するようになり、私は狭義の寺倉一自らはウンディーネ又はニンフと名乗り、後にユーノ、アテネに代わる)以外にこれら別の人格とも親しく会話を交わすようになったのです。(中略)

六、ところで寺倉及び寺倉が表現する他の人格達は彼女たち独白の世界を以下のように説明していました。
1、自分たちは特殊な人間であって、いわば人間の突然変異したものであり世界の向上の為に働いている。
2、自分たちの世界には階級的なものがあり、それは5つに分かれていて(精神的あるいは霊としての)年齢と精進により上に上がっていくシステムになっている。
長老      最上級幹部
ソアコル    上級幹部
夢未(ゆめみ) 中級幹部
ミュー     一般構成員
フェアリー   見習い、訓練中の者

3、この世界には7つの世界があり、狭義の寺倉が生存する世界(つまり我々の世界)は、第7世界という。

4、寺倉には6人の分身(他の人格達)が他の6つの世界におり、これら7つの霊は相互に自在に往来することが可能である。

第1世界 ヘラ、ヘラの死後グローネ(日本名「藍」、後にフローラとなる)が現れる。
第2世界 エルム
第3世界 エウリディケ
第4世界 オイロペ
第5世界 パン(後にヴィーナス)
第6世界 アフロディーテ
第7世界 狭義の寺倉が存在しており、寺倉の名前が初めはウンディーネ(ニンフ)であったが、後にユーノ更にアテナとなった。

5、この7人は、それぞれ年齢、声色、口調、ボキャブラリーさらには表情、挙措動作も完全に異なり、全く別人と話している感じでした。例えば狭義の寺倉はテーブルマナーを身につけていましたが、十歳台のグローネやパンはナイフ、フォークがまったく使えず、レストランでよくナイフを落としてしまったり、またフォーク1本で物を突き刺して食べていました。またそれぞれの得意分野も異なり、エルムは医学、フローラは音楽、ヴィーナスは占い、そしてアテナ(寺倉)はコンピュータに詳しかったのです。更に、私のことを狭義の寺倉は「ひでおさん」と呼んでいましたが、エルムは「わたさん」、パンやヴィーナスは「なべちゃん」と呼んでいました。

6、また人格により書体も異なり、手紙(乙証第37号)は、エルムからの手紙であり、手紙ないし葉書(証第38号)は、フローラ(日本名「藍」)からのものです。

7、他の人格に代わるときは、一瞬空白の時問があり、倒れかかったり、崩れ落ちそうになったりした後に他の人格が現れます。

8、ある人格が体験したことあるいはその人格と話したことは他の人格は知らないが、7人が(全員一度ではないにしても(会って話し合う場(彼女たちは「広場」と言っている)があり、情報交換していると話していました。

七、私とのかかわり

私の前によく出現したのは、ヘラ、フローラ(前身はグローネ)、エルム、ヴィーナス(前身はパン)であり、エウリディケ、オイロペ、アフロディーテは極く希にしか現れませんでした。7人の人格は前記のとおり、それぞれ非常に個性豊かで、私としては7人の全く別人格と付き合っている錯覚に陥ることもありました。もちろん付き合っているのは基本的には狭義の寺倉(ウンデイーネ、ユーノ、アテナ)ですが、他の人格と長く話していたりすると、狭義の寺倉は嫉妬したりしました。

これが渡邊秀男が裁判所に提出した陳述書の内容である。当初、金目当ての水商売の女のように主張していた渡邊は、裁判の途中で自分が不倫関係にあった女は、7つの人格を持つ多重人格者で、人格が変わると得意分野が変わり、それぞれの分野で優れた能力を見せたと説明。そして、自分はこの特異な人格を持つ女に幻惑され、その言うがままになっていたという。筆者は女性に会ったわけではないので、渡邊の陳述内容の真偽を確認していないことを断っておく。

渡邊の名前とともに抹消されたものとは?

ところで、渡邊のスキャンダルが発覚した際、警察庁次長として長官のポストを目前にしていた城内が、自分が贔屓(ひいき)した彼の醜聞が表沙汰にならないように側近たちに工作させた疑いがあるのだ。そして、その工作の情報がオウム真理教と関わりの深い暴力団に流れたという噂もある。ちなみに裁判は渡邊側の主張が全面的に採用されて勝訴している。裁判記録の中でも、城内ファミリーの一員である杉田和博内閣危機管理監や、寺尾正大元警視庁捜査一課長らが、動いていた形跡が見てとれるのだ。

一方、坂本弁護士一家失踪事件は、暴カ団ルートから解明できそうになった時期があったという。ところが、城内長官の指示によって当時の神奈川県警本部長が前任地で起こしたセクハラを理由に解任され、新たに本部長に就任した杉田が捜査を中断させたのだという。

詳しい話は次の機会に譲るが、松本サリン事件が起きたときに神奈川県警のオウム班は、捜査が中断する少し前に麻原彰晃が高知支部の説法会でサリンに言及していたのを警察庁に報告している。城内が警察庁記者クラブに突然フラリと現われて、長官を辞任する意思を表明したのは、その直後のことだった。

退官後の城内は、渡邊の陳述書に出てきたヘラやアフロディーテなどの神々の故郷に大使として赴任。その間に国内では未曾有のテロ事件、いわゆる地下鉄サリン事件など一連のオウム犯罪が起こっていたわけだ。

ところで、昨年10月に殺害された石井紘基議員が、なぜ殺されたのかは、いぜんとして謎だ。石井は数多くの疑惑や不正を追及しており、さまざまな人間と交流もあった。ただ石井の家族の証言では、石井が刺された当日朝の警察の動きは極めて不自然なものがあったという。

そこに警察や右翼・暴力団が絡んだ陰謀があったというのは、考えすぎだろうか。

(渡邊秀男を訴えた女性・寺倉真由美のその後についてご存知の方は、編集部まで一報いただければ幸いです)

鹿砦社: http://www.rokusaisha.com/

(貼り付け終了)