「小沢史観」を持ち出すな

(VOICE 2010年9月13日掲載:上杉 隆)    http://p.tl/GAVY


記者クラブ・メディアの思考停止

 日本の政治報道は、いつになったら、小沢一郎という政治家の呪縛から逃れられるときが来るのだろうか。

 テレビ・新聞の政治報道をみていると、選挙も、政策も、なにもかも、すべて小沢一郎という政治家ひとりが陰謀し、全決定に関与し、あらゆる事象を知っているかのように読める。

 もちろん、そんなことはない。

 たしかに、小沢氏の議員歴は長いし、権力中枢で政治力を発揮していた時期が長かったことは事実だ。

 だが、マスコミがいうように、いまだに陰で政治権力を掌握しているようなことがあるかというと、そもそもいまの時代、そんなことはできない。

 にもかかわらず、なぜそうした「小沢史観」報道がいつまでも続くかというと、ひとえにそれは、自らの取材力のなさを、小沢氏が反論してこないのをいいことに、一方的に押し付けているマスコミの身勝手にすぎない。

 つまり、記者クラブ・メディアや古い政治評論家らは、自らの怠慢を隠すために「小沢史観」を持ち出して、思考を停止しているだけなのである。

 ところが、筆者がこう書くと、決まって同じ反応が返ってくる。

「上杉は、小沢寄りだ」

「カネをもらっている小沢の犬」

 残念なことに、これらはまったくのデマである。繰り返し書くことは憚られるが、解説委員やコメンテーターから繰り返し愚かな論評が続くので、再度、確認しておこう。

 小沢氏の自由党時代、与党自民党の野中広務氏との密議の末、「自自連立」に走った政治方針の矛盾を、記者会見の席上で問い質したのは、いったい誰か。小沢氏の民主党代表時代、政治資金収支報告書の虚偽記載の矛盾を突き、翌朝のトップニュースのネタを提供したのは誰か。その翌週、同じく政治資金規正法上のさらなる矛盾を突いて、小沢氏に会見の席上で発言を訂正させたのは誰か。

 本人の前では従順なフリをして、テレビのスタジオで勇ましいことばかりいう政治コメンテーターや政治評論家と一緒にしないでほしい。

いつから「検察国家」に……?

 さて、そうした卑怯な報道姿勢を続けてきた日本のメディアが、小沢一郎という反論しない便利なアイコンを利用しようとするのは、もっともなのかもしれない。推定無罪の原則を無視して、検察の意向を金科玉条のごとく振りかざし、「小沢は悪だ」というレッテル貼りに協力してきたのが記者クラブ・メディアである。

 検察報道の欺瞞については、紙幅の都合もあり、拙著『暴走検察』(朝日新聞出版)に譲る。

 今回、もっとも驚いたのは、そうした記者クラブ・メディアによる「洗脳」に、まともだと思われていた菅内閣の閣僚たちもが毒されてしまったことだ。

「岡田克也外相は13日、CS放送朝日ニュースターの番組収録で、9月の民主党代表選への小沢一郎前幹事長出馬に関し、『検察審査会の結果が出ていない段階で首相になり、審査会が起訴相当、不起訴不当と結論を出すのは考え難い』と述べ、出馬は難しいとの見方を示した」(『産経新聞』8月14日付)

 これは、筆者がMCを務める番組のなかで、筆者の質問に対する岡田大臣の回答である。

いったいいつから日本は、直近の選挙による有権者の票よりも、検察審査会の11人の委員の決定のほうが重い「検察国家」になってしまったのか。

 そして、またこの発言をもとに、「小沢氏は代表選に出るべきではないという世論が70%を超えています」(読売テレビ『ミヤネ屋』)という世論誘導が続く。そろそろ日本の政治記者や政治評論家たちは、検察審査会委員や世論調査の声に頼ってばかりいないで、自らの取材と信念によってニュースを報じたらどうだろうか。

 と書いたところで、たったいま(8月26日)、小沢氏は代表選への出馬を決めた。鳩山前首相も次のように語って小沢支持を打ち出した。

「民由合併のときからの同志としての協力が得られるならば出馬をしたいというご意向を述べられたところであります。私の一存で小沢先生には民主党に入っていただいた。その経緯からして、私としては応援すると。それが大義だと思っています」

 2003年の民由合併は菅氏と小沢氏によってなされたというのが、大手メディアの報道だ。だが、それは違う。前年の鳩山・小沢による密議を端緒として、両党の合併という結果をみたのだ。

 つまり、小沢氏と鳩山氏からすれば、現在の民主党は菅首相ではなく自分たちがつくった政党ということになる。

 同じように、記者クラブ・メディアと検察に追われた身――そうした共通点が二人の結束を強固にしたのだろう。